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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第21回 第4章 フォークからニューミュージックへ 7

by staff on 2014/3/10, 月曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第4章 フォークからニューミュージックへ 7

郡山ワンステップフェスティバル

 話は前後しますがここからは年代ごとに書いていきたいと思います。

 1974年は日本のロック史上最大の野外イベント郡山ワンステップフェスティバルが開かれた年で、マスコミや世間の評価は今ひとつ盛り上がらなかったような感がありますが、日本のロックにとって一つのターニングポイントだったと思われます。主な出演者を見てみましょう。トリはオノ・ヨーコとプラスティック・スーパー・オノ・バンド。ゲストにクリス・クリストファーソン、リタ・クーリッジを迎えて、サディスティック・ミカ・バンド、キャロル、沢田研二&井上孝幸バンド、エディ藩とオリエントエキスプレス、上田正樹とサウストゥサウス、クリエイション、トランザム、DTブギウギバンド、つのだひろ、四人囃子、外道、内田裕也、ゴールデンカップス、かまやつひろし、めんたんぴん、センチメンタルシティロマンス、他にシュガーベイブなど、、この顔ぶれを見るだけでこの当時のロックシーンが分かります。古いものと新しい物が渾然としている感じですが、この当時はこの先ロックがどこへ行くのか誰もわからなかったのです。

日本のロックの進歩

 1975年にはいると、キャロル、はっぴいえんどが解散し、フォークとロックも渾然とし、それ以前の流れからさまざまなスタイルが出てきます。

 ’72年頃迄は、日本のロックと言えばイギリスのハードロックなどに影響され育った大音響サウンドのバンドが主流で、演奏テクニックが最重要視され歌詞はどちらかというとないがしろにされていた様に思います。彼らがテレビに出ることはほとんどなく、ラジオでもフォークはガンガンかかるのに日本のロックはあまりかかることがありませんでしたので、彼らの演奏に触れる為にはライブを見るしかなかったのです。今はネットでその音を聞くことができますが、ほとんどは中々聞くのにしんどさを覚えます。この頃のロックはあまり一般的ではなかったのでしょう。それが変化しだすのはやはりこの頃です。

 ロックも歌詞が日本語が主流になって行き、ギターなどもアンプをフルボリュームにし歪ませて大音量だったのがエフェクターの進歩により、より多様にソフトに以降していきます。重かったドラムのリズムも少しずつ軽く、少し後ろにもたるようなノリから高橋幸宏氏ドラムの様な(ミカバンド~YMO)ジャストのタイミングが主流のノリになっていきます。

 耳心地が良くなってくるとロックのレコードも売れるようになって行きラジオでもオンエアされるようになって行きます。演奏水準が急激に進歩した時期だといえるでしょう。

 おおざっぱですが’75年に活躍していたロック系を見ると、まず大きな流れとして、

  1. USに影響を感じるロック系は、大滝詠一のナイアガラレーベル、シュガーベイブ(山下達郎)ティンパンアレイ、等
  2. EUに影響を感じるロック系は、サディスティックミカバンド
  3. 女性シンガーソングライター系は、荒井由美、矢野顕子、吉田美奈子、等
  4. ロックンロール系は、ダウンタウンブギウギバンド、クールス
  5. ブルーズロックかららクリエイション、エディ藩エキスプレス、パワーハウスなど
  6. 関西系から上田正樹、ウエストロードブルースバンド

 更にこの頃、日本にもプログレッシブロックを演奏する四人囃子も登場! アルバム “一触即発” は当時話題になり、ロック好きなら一度は聞いたアルバムでしょう。実際今聞いてもそのグレードの高さにうなります。他にもファーイーストファミリーバンドなどがありました。

 そして女性ボーカルを擁しブルーズを基調にギンギンにロックするカルメンマキ&オズや金子まりとバックスバーニー。

 ヒッピームーブメントからハワイ、沖縄などの音楽を独自に盛り込んだ久保田麻琴と夕焼け楽団、又、その流れで横浜インディーズから出た吉野大作などバラエティの富んだグループが登場して新旧入り混じってこの時代独特の空気をかもし出しました。

 

横浜、街と風(社会人編) 7(22)

横浜には川がありました

 私たちは大岡川を見て育ちました。横浜の川はいく筋かに分かれ私たちの町から横浜港近くの海へ流れていくのです。そんな川もその姿を変えていきました。

 まず、現在の大通り公園は川を埋め立てて作られた公園で、元は全て川でした。関内線路脇の高速道路も確か川だったと思います。又、元町の横を流れる川の上には高速道路はなく、晴れやかに澄みやかに流れていました。先日、横浜橋商店街の三吉演芸場の横に流れる川の写真を見ましたが、今みたいに陰気なムードはなく情緒あふれる景観でした。現在の新山下ドンキホーテの所は、元々バンドホテルという老舗のホテルがあり、外人客が多く利用していました。この前にも高速道路が通り、ここからの素晴らしい景観も失われてしまいました。

 横浜に私の好きだった場所がいくつかあるのですが、一つは夜、山元町から山手の道を外人墓地に向かい走っていき、左右に立ち並ぶ洋館を見ながら港の見える丘公園を右折、本牧方面に向かっていきますと、ワシン坂を降りる手前の左側の崖沿いにパーっと景色が広がる所があります。ここに車を止めて見下ろすと横浜港の見事な夜景が一望できたのです。考え事があるときやデートコースにもよく活用しました。今は、みなとみらいも出来、眺めもより一層豪華になりましたが、山下町がかすんでしまい、少し淋しい気がします。私たちの世代、横浜港といえば山下公園が中心なんですよね。そんな秘密の場所も最近はいつも何台か車が止まっていて停車が難しくなりました。いつの間にか有名になってしまったのでしょう。

 もう一つ、ユーミンの曲 “海を見ていた午後” に出てくる山手のドルフィン。先ほどの山元町の道を逆に根岸の森林公園に向かい右に米軍の消防車の駐車場の所を左折して急坂を降りる手前の左側にありました。昼に行くと海が遠くに見えて陽の光を反射し本当にソーダ水の中を貨物船が通るようでした。今は近所にマンションとかが建ちすっかり景色も変ってしまいました。記憶の中でだけ残る風景が今も心を暖めてくれます。

バイク事故

 以前書いたアマチュアバンドのスノーウィウッドは活発に活動していてブリティシュブルースを中心に演奏していました。選曲のセンスはいいのですがマニアックすぎて誰も知らない、知らないから受けない、それでも何人かの人には良い評価をいただきました。主な演奏場所は野毛にあったライブハウス “グッピー” 。それとアマチュアバンドのコンサート、学園祭やパーティにも頼まれると出張しました。

 馬車道に有隣ファボリという建物があり(今のスターバックスの所)、確か有隣堂の支店だったと思われますが、この中にバンドの練習スタジオとライブハウス “横浜放送局” がありよく利用していました。横浜放送局でも何度かライブをやりましたが、大体いつも一日3バンドくらいが抱き合わせで出演、チケットノルマをこなしていました。出番が終わり客席で他のバンドを聞いていたら、ハスキーボイスでえらく歌の上手いボーカルが歌っていて、自分が好きだったジョー・コッカーの「アイ・キャン・スタンド・ア・リトル・レイン」なんかをやっていてえらく受けてました。出番が先でよかったなんて思ってましたが、後から考えると少し年上の青学の軽音バンドで、女性がピアノなんて多分アマチュアの頃結成前のサザンだったんじゃないかと思っています。

 ある日、有隣ファボリで練習スタジオの帰りナナハンにまたがって馬車道の信号を右折しようとしたところ、歩道前で止まっているバスの横をゆっくりすり抜けようとしました。するといきなり女性が飛び出してきたのです。女性は私のバイクに激突。避けようとした自分は右にハンドルを切った為、前からきた車に衝突。そのまま転倒してしまいました。自分はかすり傷ぐらいでしたが、女性は足を痛めていました。現場は人だかりで騒然となりましたが、誰かが警察を呼んでくれてました。運よく保険には入っていましたが、バイクはこの時廃車。これ以降懲りてしまい二度とバイクに乗ることはありませんでした。

 数日後、事故の相手が水商売のホステスさんで、その生活保障のお金が欲しいという事で、いかにもその筋の人と分かる人たちが自宅にやってきました。未成年だった私は、家の奥で恐ろしくて震えそうでしたが、父親が対応すると一喝! どんな内容だったのかは覚えていませんが、かなりの時間大きい声で怒鳴りあっていました。最終的に父親が追い返しましたが、この連中は二度と現れませんでした。まあ来られても取られるものは何もなかったのですが。。。大正2年生まれの父は、この時64歳くらいの高齢でしたが、母の看病と仕事も現役のバリバリで元気一杯、まず弱音を吐いたのを見たことがありません。背は小さいけど声は馬鹿でかく迫力がありました。この世代の胆の据わった度胸につくづく感服、感謝。この人には一生頭が上がらないと思いました。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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