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第9回 親の介護について、はじめて考えた

by staff on 2014/5/10, 土曜日

 

父が倒れた

 先日父が倒れ、救急車で運ばれた。
 父は今年で85歳になる。とはいえ、長年一人暮らしをしており、足腰も丈夫で、一人でどこにでも出かけて行くいたって元気な老人だった。
 その父が、風呂場で丸一日意識を失って倒れていた。
毎日1食、お弁当を配達してくれるお弁当やさんが、食べられていない前日のお弁当を不審に思い、かねてより伝えてあった私の連絡先に連絡をくれた。仕事先だった私は警察へ連絡し、鍵を専門業者に開けてもらい中を確認してくれるよう頼んだ。
 結局、病院に救急搬送され、その日のうちに手術となった。病名は、慢性硬膜下血腫。幸いにも命には別状なく、事なきを得た。
 老人に多い病気だそうで、頭の硬膜と脳の間に、長期に渡りゆっくり血液が溜まり、脳みそを内側に圧迫していく病気だ。原因はわかっていないのだそうだ。
 手術は、おでこに2カ所穴を開け、溜まった血液を抜くというもの。父は高齢なため、回復にも時間はかかるだろうし、最悪は再発もあると説明された。が、手術自体は1時間程度で終わり、局所麻酔だったため、ぼんやりはしていたものの、手術後に父と会話もできた。
 看護師さんに、入院に必要な備品などの説明を受け、病院を出たのは、夜の9時を回っていた。

 翌朝、1時間ちょっとのところに住む父の家に行き、看護師さんからもらった入院の手引きをみながら、備品を揃えた。保険証、メガネ、入れ歯ケース・・・。保険証もどこにあるかわからない。メガネもいくつもあって、どれを持って行っていいかわからない。悪戦苦闘しながら、なんとか一式揃え病院へ向かった。

先生、どうしたらいいんでしょう?

 ひたいにフランケンシュタインのようなみごとな(?)縫いキズを二つつけ、ろれつの回らない父と、たわいもない話しをしたり、先生から詳細な説明を受けたり、看護師さんに備品を渡したり、事務手続きをしたりと、バタバタと時間が過ぎた。お昼を食べそこねていたので、病院内の喫茶店で軽食をとった。
 一息ついて、しみじみ思った。
 人一倍元気だったとはいえ、父はもう85歳。いつ、どうなっても少しもおかしくない年齢なのだ。人はいつかは必ず死ぬ。この事に関しては「絶対」なのだ。なのに、その絶対に対し、見てみぬ振りをしてきた。これまでにも、父の口から「いつ死んでもおかしくないんだぞ」という話が出る事はあった。しかしその度に、嫌な顔をして、耳をふさいできた。

 病院の先生から、「今までは元気でもご高齢ですから、これをいい機会だととらえて、これから先、もしこれまでのように動けなくなった時の事や、今後の生活について是非考えてみてください。」と言われた。
 そうなのだ。100%避けては通れないところに来たのだ。
 しかし、いくら先生に考えてみてくださいと言われても、私にも私の事情ってものがある。私も一人暮らしだし、働かなければ私が死んでしまう。もちろん先生にはそれを訴えた。
 「先生、どうしたらいいんでしょう」
 脳神経外科の先生に生活相談をした事になる。しかし、まだ比較的若い良い先生で、親身になって相談に乗ってくれた。あーだ、こうだ20分くらい話してくれたころ、「では、病院内のソーシャルワーカーに相談してみてはどうでしょう。私よりもずっと専門的に対策を検討してもらえると思いますよ。私から連絡を入れておきますから、すぐ予約を入れてください」
 「先生! 早く言ってよー。」と言いそうにはなったが、専門外の相談に親身になって時間を割いてくれた事がとても嬉しかったし有り難かった。何度も礼を言ってソーシャルワーカーに予約を入れた。

準備を開始

 先生が言うように、これは良い機会かもしれない。
 ソーシャルワーカーに相談した結果、介護保険申請をただちに行う事を薦められた。申請からサービスが受けられるまでに1ヶ月はかかるからだ。
 早速、その足で父の住む街の保険福祉センターの高齢者相談課なるところへ行き、手続きをしてきた。

 現代の医療技術はすばらしく、父も5日で退院ができた。というより、長期の入院は筋力低下やボケにつながるなど、老人には決して良くないため、できるだけ早く退院するべきだと言われたのだ。しかし、退院=完治ではない。退院後は不自由な状態で日常生活を強いられると言う事なのだ。私にはその意識がかけていた。
 わずか5日の入院で、父は驚くほどヨボヨボになっていた。支えなくては歩けず、意識もおかしく、夜と昼を間違えて、電話をかけたりしていた。退院後1週間たっても、症状はあまり変わらず、術後の経過をみるために通院するのが一苦労だった。

頑固じいさんのこだわり

 術後は、できるだけ父の家に寄ったり、父のところから職場に通ったりする日が続いた。
 父は昔の人で、たいそうな堅物。昔からの習慣を一切変えようとしないタイプの人間だ。
 そのため、翌日の朝食のパンを、200メートル先の百貨店にほぼ毎日買いに行くのだ。目の前のコンビニではなくだ。はじめは私が買いにいっていた。しかし私がいない日は自分で買いに出る。危ないからやめろと言ってもきかない。根負けし、杖を持つよう条件を出した。かっこう悪いと過去にさんざん拒んできた杖だ。しかし、今回はそれを飲んだ。というより、杖がないと歩けないのだ。こんなヨボヨボの状態で、パンを買いに出かけるのだ。
 はじめは全く理解ができなかった。「ころんだらどうするの!」。つい口調がきつくなる。しかし、申し訳なさそうに「でもあっちの店の方がおいしいんだよ」と細い声でつぶやく父。
 あまりの細い声に、色々な気持ちがこみ上げ、涙が出そうになった。
 昔はこんなにか細い声で話すような人ではなかった。申し訳なさそうになんてしなかった。
 怒鳴りちらし、わがままし放題の人だったはずだ。もう二度と、彼の口からは昔の様な憎まれ口や、怒鳴り声を聞くことはないのかもしれない。父の怒鳴る声は何よりも嫌いだったはずなのに、それをもう二度と聞けないのかと思うと、それはそれで、決して嬉しいものではないから不思議だ。
 そしてまたこの人は、自分が倒れそうでも、たとえ死と隣り合わせになったとしても、毎日の習慣を変えず、いつもの通り過すのであろう。パンにこだわりながら。

 愚かに思えたり、衰えを実感したりする一方で、この妙なこだわりに、尊敬や強さや凄さ、そして生活の豊かさすら感じさせられた。昔の人の規則正しさは、良くも悪くも凄い。
 思えば、戦争を生き抜き、日本を復興させ、たんたんと仕事をして、子供を育て上げた人だ。これまで、母を泣かせ続けた頑固なわがままオヤジとレッテルを貼り続けてきたが、この年になってはじめて、それが子供としての偏った見方だったのかもしれないと思うようになった。

 結局、この人のやりたい事を、自分のできる範囲で支えていくか・・・
 そう、思うようになった。

父との距離が一気に縮まる3週間

 今回の事で、一気に父との距離が縮まった。病院に行ったり、パン屋に行ったりする際、父を支えるため、自然と腕を組んだり、手をつないだりして歩いた。今ではそれも普通になったが、今回の事が起こるまでは、父に触れる事自体、何十年もした事がなかった。
 また、父も自由にならない体で、必死で私を気遣ってくれている。
 せめて、夜ご飯だけでも私においしいものを食べさせようと、近くのイタリアンへ行こうと言ったり、私が泊まる朝は、ゆっくりゆっくり驚異的な時間を掛けながらサラダを作って、例のパンを添えて振る舞おうとする。
 お互いが一歩も二歩も歩み寄って、物理的にも、精神的にも距離が劇的に縮まった。
 どうしてもっと、お互いが若く、体力も行動力もある時に、こういう事ができなかったのかと、苦笑いである。

自分のための介護

 お陰様で、父の状態は、ほんの少しずつではあるが、回復はしてきている。杖も上手に使えるようになっている。しかしこれから先、最後の時を迎えるまで、どのような状態になるのかは誰にもわからない。
 だが、私が当初抱いていた、妙な恐怖心や、焦りのようなものは無くなってきた。少し覚悟のようなものができたのかもしれない。

 職場の上司が、私にこう言ってくれた事を、今しみじみ思う。
 「私も、ずっと憎んでいた父だったけど、最後の数年間、父親の介護をして、本当によかったと思っているのよ。人はこうやって亡くなっていくのだという事を、父が身をもって最後に教えてくれたんだと、今ではそう思っているし、介護をした期間で、私は心の整理もできました。きっとお父様の介護は、自分の為だったのだなぁって思える時が来ると思うわ。」

 自分の為か・・・。
 ナルホドそうなのかもしれない。
 無理せず、穏やかに、チャレンジしてみっか。

プロフィール

ペンネーム: 津木 雫(つぎ しずく)
オヤジ・オバチャン・オトメのO3マインドを持つ、なんちゃってコラムニスト。
約20年間メーカー勤務。広報・マーケティングを経て、現在フリーランス。
典型的な仕事人間という生活を過ごし、はたと気がつけば人生の折り返し地点。「さぁどうする!」と我が道を振り返っている真最中。
学生時代に、約15カ国を貧乏旅行。
その経験から、今の若者が育つ環境には、問題を自らの力で乗り越える体験が不足していると、感じている。若者教育関連のNPOを立ち上げ、神奈川を中心に現在活動展開中。

 

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