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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第23回 第4章 フォークからニューミュージックへ 9

by staff on 2014/5/10, 土曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第4章 フォークからニューミュージックへ 9 -1977年~1978年 80年代への序章-

事件

 ’77年頃、テレビを媒体にロックと歌謡界が密接な関係になって行きダウンタウンブギウギバンドやアリスが歌謡曲的なメジャーヒットを飛ばしていくと、ロックやフォークのジャンル分けって何なの? と言う世界になっていきます。テレビドラマや映画の主題歌にロックが使われ、それがヒットに繋がっていき青少年が見る夕方の時間からお茶の間にロックスターが普通に登場。しかし当局はそんなアンダーグランドな世界から陽の当たる場所に出てきた彼らの影の部分に目をつけ、マリファナ疑惑が勃発、芸能界やロック界から数多くの逮捕者が出て世間の話題になりました。見せしめの部分もあったのでしょう。

イーストウエスト

 ヤマハ東京支局主催によるアマチュアコンテスト1976年から1985頃まで開催され、関東周辺のみのエリアでしたが後の音楽界を背負って立つ才能が数多く輩出しました。

 ’76年フュージョングループのカシオペア、’77年サザンオールスターズ、’78年シャネルズ、’79年子供バンド〈氏木つよし)その後も爆風スランプ、久保田利伸、Syo-yaなどがこれをきっかけにデビューしていきます。

サザンオールスターズ

 ボーカルの桑田さんは神奈川県茅ヶ崎出身、ピアノ原坊はご存知横浜関内老舗の天ぷら屋 “天吉” がご実家、横浜とは深い絆です。サザンオールスターズはイーストウエストコンテストでグランプリこそ取りませんでしたが桑田さんがベストボーカル賞を受賞、翌年’78年夏に「勝手にシンドバッドでデビューします。イーストウエストで歌った曲は「女呼んでブギ」。“女呼んでもんで抱いていい気持ち~” と歌うあれです。へえー! と思われるかも知れませんが最初はコミカル路線でした。テレビに出て売っていく手法で「勝手に~」が徐々にヒット、夜のヒットスタジオでもジョギングパンツでの出演が話題になりました。当初はキワモノ的に見られるふしもあった彼らですが2ndアルバムから「いとしのエリー」が大ヒット。その音楽性の高さを誰もが認める事になります。

横浜から

 横浜からも動きがありました。まずは’77年角川映画 “人間の証明” で主題歌を大ヒットさせたジョー山中、俳優としても出演していました。ジョー山中は横浜出身で元ボクサー、GS時代フォーナインエースと言うグループでボーカリストとしてのキャリアをスタートさせた人。その後フラワートラベリングバンドで’70年代の日本のロックを牽引しました。テーマ曲をヒットさせ、さあこれからブレイクと言う時に当局の疑惑事件。これで失速した感は否めません。ジョー山中さんは’11年8月7日死去されました。ジョー山中さんは何度か相生町アダムの頃エディ藩さんとご来店していただきました。ハイトーンボイスで歌ってくれた “朝日の当たる家” が忘れられません。キーはなんとCマイナー。普通声が高いといわれるプロの人でもAマイナー、一音半の高いキーで軽々と歌ってくれました。彼の功績は日本のロック史に永遠に刻まれていくでしょう。

 そして柳ジョージ。横浜市南区南太田出身で蒔田中学。前にも書いていますがGS時代パワーハウスでデビューしゴールデンカップスを経て(当時はベーシスト)自身のバンド “柳ジョージとレイニーウッド” を結成! そのしゃがれた渋い喉を前面に出し黒いストラトキャスターで泣きのギターを聞かせる。こんなに男心を奮わせるかっこいい人がかつていたでしょうか? ’77年の萩原健一主演のテレビドラマ “祭ばやしが聞こえる” の主題歌を歌い話題になり、’78年2月1stアルバムをリリース、同年7月に出した2ndアルバムからやはり萩原健一のテレビドラマ “死人狩り” の主題歌に使われた「雨に泣いてる」が全国的に大ヒット。

 苦節10年が報われました。この時夜のヒットスタジオにゲスト出演。そのかっこよさに他の出演者達もあっけに取られている感じで、その日は日本中がどぎもを抜かれた夜だったのではないでしょうか。ジョージさんは数々の名作を残し2011年10月10日死去、ジョージさんも亡くなる前エディ藩さんが二度程馬車道のハート&ソウルへ連れてきてくださり演奏してくださいました。柳ジョージさんは横浜出身の人間にとって当時の横浜の匂いを一番感じさせてくれる人であり憧れであり誇りです。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

77年のヒット作品

 「ダンシングクイーン(アバ)」 「勝手にしやがれ(沢田研二)」 「あんたのバラード(ツイスト)」 「渚のシンドバッド(ピンクレディー)」 アルバム「ホテルカリフォルニア(イーグルス)」 「噂(フリートウッドマック)」

 映画「ロッキー」 「スターウオーズ」 「人間の証明」 「宇宙戦艦ヤマト」

78年のヒット作品

 「恋のナイトフィーバー」 「素顔のままで(ビリージョエル)」 「微笑がえし(キャンディーズ)」 「Mr.サマータイム(サーカス)」 「君の瞳は10000ボルト(堀内孝雄)」「プレイバックPart.2(山口百恵)」

 映画「未知との遭遇」 「サタディナイトフィーバー」

 

横浜、街と風(社会人編) 9(24)

金縛り

 この頃母が退院しました。といっても殆ど寝たきりで壁をつたいやっと歩ける程度。父は近所に構えた不動産の店といったり来たりしながら必死の看護をしていました。お金も大変だったようでその頃住んでいた家は一軒屋とはいえ思い出したくもないほどの古いあばら家で私も3畳ほどの部屋に寝ていました。

 この頃頻繁に金縛りにあったのです。一番最初は18の時、上大岡から岡沢町に引っ越して上大岡の家に最後の掃除にひとりで行った時のこと。ある暑い初夏の午後。疲れて1階の畳の上でうたた寝をしていた所、2階から誰かが降りてくる気配がしました。声を出そうとすると声が出ません。逃げようと思い体を動かそうとすると全く体が動きません。なんとも言えない妖気が漂い足音が近づいてきます。なんとも言えない恐怖心で殺されると感じました。足音が部屋の前で止まり、その瞬間体が動きました。全身脂汗びっしょりでした。夢かと思いましたがあまりにもリアルでまだ興奮状態のまま、まだ繋がったままになっていた電話で片っ端から友達に今金縛りにあったぞと電話していました。その後頻繁に金縛りにあい岡沢町の家では自分の腹の上に老婆が乗っていたりしました。自分は霊感があるのか、憑かれているのかと思った時期もありましたが、今ではそんな事は笑い話です。長い間に対処法を見つける事ができるようになりました。いずれこの件についてはじっくり書いてみたいと思います。

リクエスト

 受けない日々が続き落ち込む毎日、しかし、やがて顔なじみの客から「さっきの曲いい曲だね、だれの歌?」なんて声をかけてくれる人も出てきました。又、リクエストされた曲を覚えてきて喜ばれ仲良くなった客もいたり、すこしづつですが慣れていきました。当時はやっていたのは確か「勝手にしやがれ」とか「気絶するほど悩ましい」 「あんたのバラード」あたりでしたか。片っ端から覚え歌っていくと徐々にリクエストも増えていきました。マンタロウが軽く優しいフォーク系だったので、自分は力こぶ系で流行の歌をいの一番に歌うことで受けを狙おうと思ったのです。とにかく歌うことが楽しかった。歌う場所があることが嬉しかった。そして実家はありましたがお金はありませんので稼がなければいけません。必死で毎晩汗びっしょりになって歌っていました。

リズムボックス

 ギターはたった六本の弦、これでコード(和音)を弾きリズムを出し、更にイントロや間奏でメロディを弾き、又、更に歌を歌わなければいけません。間奏で単音でメロディを弾くといきなりサウンドが薄くなってしまい、リズムも止まったようになってしまいます。そこでよく使ったのがプロビデンスのステージに置いてあったリズムボックス(ドラムマシーン)。四角い木の箱にカラフルな色のボタンが付いていて、ボタンを押すとエイトビート、ボサノバ、ルンバ、マンボなどのリズムが始まり、つまみで速さを調節、足でフットスイッチをおしてスタートストップをさせることが出来ます。なんて便利なんだと最初は感激しました。マンタロウは生演奏感がなくなるとあまり使いませんでしたが自分はこれをフルに利用しました。リズムの練習にもなりますし曲のレパートリーも広がりロックっぽい曲もできるようになったのです。

ウタバン

 この当時弾き語りの仕事にウタバンがありました。お客様の歌の伴奏です。この当時まだカラオケは普及しておらず、焼き鳥やスナックのカウンターに8トラックの安っぽいカラオケマシーンを見かける程度でした。音が悪く曲数も少ない、ましてこの頃は伴奏にあわせて歌える人があまりいません。でも酔って気持ちが大きくなると歌いたくなるのは今も昔も一緒。お店にとっても歌いに来る客は大切で弾き語りにとってウタバンは重要な仕事でした。

 しかし、この時飲みに来ているのは自分よりみんな年上ですから私が子供の頃ヒットした歌謡曲やムード歌謡がほとんどでした。又、昭和20年代に育った人は小さい頃からドラムのビートなどになじみがないのでかなりの人が小節というものを意識して歌えません。メロディを伸ばしたいだけ伸ばして歌いますから伴奏からずれてしまいます。
(美空ひばりなどアドリブでよくメロディを伸ばして歌いますが和音からはずれる事はないしちゃんと元のリズムに戻します。素人がまねをすると元に戻せず伴奏とずれたまま最後まで歌ってしまいます)
ほとんどがそんな人ですから伴奏する方は大変です。リズムボックスを止めたり始めたり挙句はリズムボックスを使うのもあきらめてしまった人もいます。合わせるのに本当に必死でした。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL
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営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
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地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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