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心にも あらで憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半のつきかな

by staff on 2014/7/10, 木曜日

♪心にも あらで憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半のつきかな♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:三条院(さん じょういん)

 現代語訳・・・この先、自分の想いとは裏腹に 長生きをしてしまったら、きっと今夜の月が 懐かしく思いだされるのだろう

 前回、非劇の天皇の筆頭と思われる「崇徳院」の歌を紹介しましたが、今回は島に流されたわけではありませんが、やはり不遇の天皇、第67代天皇 三条院の歌を紹介します。

彼は目が見えなくなるという病気を抱えていました。

 天皇になったのは36歳の時。そして5年で在位を退いています。その在位中に2回も内裏が火事に遭遇しています。弱り目に祟り目とは正にこの事でしょう。

 この歌は彼が退位を決意した時に詠んだとされています。

 ある意味で辞世の句なのかもしれません。退位して2年後の42歳に崩御されています。

 もう一つの非劇として、彼の娘で伊勢神宮の斎宮を務めて帰ってきた当子内親王が恋に落ちてそれを知った三条院が烈火のごとく怒り、二人の仲を引き裂いてしまいます。彼女のまわりには護衛を付けて、愛する人と二度と会うことが出来ないようにしてしまいます。
ヨコハマナウ2011年の5月号に恋人の左京大夫道雅の歌と共に、二人の悲しい物語を載せています。ぜひ合わせて読んで下さい。)

 ♪今はただ 思いたえなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな♪ 道雅
 当子内親王は悲しみのあまり17歳で自ら髪を切って出家してしまいます。そして絶望の中で5年後、23才の花の人生を閉じます。

 三条院の場合はちょうど時の大臣 藤原道長 が権力を握っていて、全てが道長の都合によって政治が動かされていた事が大きな悲劇の原因であったと思えます。

 三条院の眼病は不老長寿の薬として仙丹(水銀)を飲んだ後から早まったと言われていますが失明を理由に道長から退位を迫られました。又火事に合った事も退位の理由にされて天皇としての徳がないからだ、と道長からいびられたそうです。

 「いじめ」という言葉がぴったりの執拗さだったようで、三条天皇はとうとうあきらめて自分の息子を次期皇太子にすることを条件に退位を受け入れました。

 でも残念ながら三条院の崩御後、息子の親王はあからさまな道長の横暴さに負けて自分の方から皇太子になることを辞退したそうです。

 この藤原道長、三条院の前の66代の一条天皇が崩御された時に天皇のお妃様となっていた自分の娘の彰子と一緒に、一条天皇の遺品を整理していて「道長一族たちの専横によって国が乱れている」という意味合いに取れる手紙を発見して、激怒。

 天皇の遺品である手紙を勝手に焼き捨ててしまったという記録が残されています。

 自分の思うように国を動かしていく権力者たち。
 三条院に退位を強いた藤原道長と、戦争が出来る国にしようと強いている昨今の権力者が私の中でオーバーラップしています。

(早苗ネネ♪)

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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