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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第25回 第5章 80年代 1

by staff on 2014/7/10, 木曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

1980年~1981年

幕開け

 1980年の幕開けはこの年の1月に来日したポール・マッカートニーの大麻不法所持から始まりました! ウイングスを率いソロ活動も絶頂期を迎えていたポールのビートルズ1966年来日以来の日本公演。チケットもソールドアウトでファンは心から楽しみにしていました、が結局9日間の拘留の後強制送還させられコンサートは全て中止、幻の日本公演となってしましました。

 その80年の暮れ今度はジョンレノンの突然の訃報。一つの時代が確実に終わったと感じたのが1980年代の始まりでした。

ステレオからウオークマンへ

 1979年7月ソニーがウオークマンを発表。自宅でしか聞くことのできなかったマイ・ライブラリーが外に持ち出せる様になりました。もちろんラジカセなどはありましたがスピーカーの都合上ガタイが大きく持ち運びには不便でした。基本ヘッドホンで聞くためスピーカーは不要。手のひらサイズが受けてウオークマンは需要を拡大。みんな家のステレオでカセットにバシバシダビングをしていきました。やがて街にレンタルレコード屋なるものが現れ、当初こそ著作権問題ですったもんだありましたが、これもやがて市民権を得ていき安価でアルバムを手に入れカセットに入れて通勤やウオーキングで楽しむのが一般的になり、音楽をたしなむ時間が増えていったといえるでしょう。

ラジオスターの悲劇

 1981年MTVがスタート。MTVはアメリカとロンドンの本拠地を置くアメリカの若者向けにはじめられたケーブルテレビジョン。24時間ポピュラーミュージックのビデオクリップを流し続けるという音楽専門チャンネルでした。1981年8月1日午前12時1分に最初にかけられたのがバグルスの「ラジオスターの悲劇」。これ以降、ヒットにはビデオクリップが欠かせないものに変わっていくわけです。日本でも小林克也がDJの “ベストヒットUSA” が人気番組になり、みんなこれを見て最新のヒットを知りました。又、神奈川ではTVK神奈川テレビがミュージックトマトなどを放送し、ビデオクリップが身近になっていきその映像イメージが曲の印象に影響を与え、80年代は音楽だけでは商品として成り立ちにくい時代に入って行きました。

ピコピコ

 YMOから広がった音楽は一般的にテクノミュージックと呼ばれ、82、83年頃には歌謡曲の世界でもピコピコ言い出していきます。沢田研二の「TOKIO」、ジューシーフルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」等。無機質なサウンドが街にあふれていくようになっていきました。私自身はテクノ、ニューウエーブの台頭についていけず新しい音楽への興味が急速に薄らいでゆきました。私たちの世代はこのように感じていた人は少なくなかったと思います。

ロングバケーション

 そんな時代の中でも70年代からの系譜で新しいサウンドを作っている人たちもいました。

 まず、フォークグループとして認識されていたRCサクセションがロックスタイルに転向。80年に「雨上がりの夜空」をヒットさせています。ニューウエーブやパンクの括りに入れられる事が多かった彼らですが、しっかりロックンロールバンドとして足がちについた演奏を聴かせてくれました。又、同年地道に音楽活動を続けていた山下達郎が「ライドオンタイム」でブレイク! その才能を開花させています。81年に入ると大御所ハッピーエンドの大滝詠一さんが名作アルバム「ロングバケーション」を発表。彼らが80年代に向けてのもうひとつの道筋を示唆してくれました。

 

横浜、街と風(社会人編) 11(26)

ラーメン

 この頃凝っていたのがラーメンで、あそこが美味いと聞くとすぐに食べに行きました。子供の頃、近所のラーメン屋の味がベースにある自分は普通の中華料理の支那そばが基本です。鶏がらスープに赤いフチのあるチャーシューが一枚、ナルトにシナチクが入っていました。又、よく食べたのがサンマーメンでもやしなどをアンで炒めたものが盛ってありました。横浜が発祥だそうで横浜以外の人とその話題になると「なにそれ? さんまが入ってるの?」などと言われました。今はかなり有名になったのでそんなことはありませんが当時はほんとにこんな感じでした。

 一番好きだったのは元町の石川町側の入口に横に夜になると出ていた屋台のラーメン屋さん。どぎつい化粧をした少し太めのお母さんと旦那が二人でやってました、純粋な支那そばでその澄んだスープの上手いこと。。。チャーシュウが自家製らしく絶品でした。出来上がるとおばちゃん真っ赤なマニキュアの親指をスープにいれておまちどうさま! これだけは勘弁してと思いましたが、食べると美味いので許してしまいます。あとは平沼橋の下で銭湯の横にあった平沼ラーメン。昔かき氷屋だったと思われるボロボロの木造の建物のこわれかけた引き戸を開けるとおじいいちゃんが一人「いらっしゃい!」。シナチクを切っている、カウンター席だけで、6~7席程度でお品書きはラーメンのみ1杯300円、2杯600円、、、と延々書いてある。作っているのは厨房で客席からは見えない。おもむろにおじさん奥に取りに行くとお盆にラーメンが乗っている。お盆ごと取ろうとすると「お客さんウチ始めてだね。丼だけとってくんな」。器をとってカウンターに乗せると斜めに傾いているので汁がこぼれて流れていく。鶏がら醤油ラーメンでグルタミン酸が聞いている感じ。ともかく美味い! 食後も後を引く感じで不思議にまた食べたくなる。食べ終わるといつも首の後ろが熱くなる。一緒に食べた人もみんなそういうのであそこは人骨をだしにしてるんじゃないか、などと悪口を言っていましたが、1ヶ月と開けず又食べに行ってしまうのでした。

 30年前の横浜ラーメン通なら知っている二つの名店。いつの頃からなくなりました。元町屋台の味は私見ですが大桟橋入口の交番脇にあるザ・ラーメン屋のチャーシューメンに継承されていると思われます。お試し下さい。

長髪

 高校時代は校則で長髪禁止だったので卒業後は伸ばし放題伸ばして1年もすると憧れの立派な長髪に。しかし元々毛が細く猫っ毛だったのでボリュームが出ずセットにえらく苦労しました。色々やりましたが、ウエートレスのお姉さんからからホットカーラーを借りて寝しなの洗い髪にセット。朝起きると何とも言えないふっくらヘアーに。。。今思うととってもおぞましいオカマさんみたいなヘアースタイルでした。やがて美容院に行く様になり、パーマをかけるようになりましたが。毛が細いのでかかりすぎてしまいいつももしゃもしゃな感じでした。(当時は美容院に行く男は少なかったのでかなり勇気が要りました) 服はジーンズのラッパズボン(パンタロン?ブルボトム?)にロンドンブーツ、上はウエスタンシャツのような感じを好んで着ていました。ロンドンブーツはヘビ皮と白を持っていてヒールが後ろ15センチから18センチ位で、前も7~8センチは高くなっていてまるで高下駄を履いているようでした。スラックスの時もやはりパンタロンでヒールはズボンの裾で隠れていますが、普通の革靴でもやはり10センチ以上は高いヒールでした。今でこそどこにも売っていませんが、当時は普通に売っていたのです。これを履くと視界が変わり優越感に浸れます。しかし脱ぐと一気に背が低くなり、刃傷松の廊下の武士のような状態になり歩きにくいことこの上ない。喫茶店で背の低い椅子に座ると裾が上がりヒール丸見えでカッコ悪いなと思ってました。

新しい仕事

 プロビデンスでの仕事も1年以上が過ぎた頃、お客さんから近々開店する自分の店で演奏しないかと言われました。プロビデンスが12時位で終わるだろうからその後朝までやらないかというのです、願ってもない話で喜んで引き受けギターを抱え行ってみると南太田の駅近くの国道沿いにその店はありました。入口を開けると20人も入ると一杯になりそうな狭い店でステージを囲んでベンチシートが並んでいました。楽器をセットするとやがて客が入ってきます。バッチリ化粧したドレス姿のお姉さんや中年の男性、タキシードに身を包んだホスト風のイケメンなど、ここはサラリーマン主体のプロビデンスとは違い、関内方面のクラブやスナックの人たちがお店を締めたあとに遊びに来る店でした。薄汚れたジーンズ姿の自分とお店が全くの違和感で居心地の悪さを感じていました。これが2軒目のお店でした。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

第4回 横濱音楽波止場 in 象の鼻

今年もやります! 横濱音楽波止場 in 象の鼻。
チケットのお問い合わせはは、HEART&SOULまで。 詳細はこちら


6月30日読売新聞朝刊に記事が掲載されました
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HEART&SOUL DATAMAP

HEART&SOUL
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