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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第28回 第5章 80年代 4

by staff on 2014/10/10, 金曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

1986年~(最終回)

1960年代初頭ベンチャーズの衝撃から日本のポピュラーミュージックは幕を開け誰もがこぞってエレキを持ちそのサウンドが革命となり、ビートルズの登場からそれに歌が乗ってグループサウンズが生まれ、それと並行するように手軽なフォークギターを手にした学生たちがオリジナルの歌を作る様になり、そしてそれらは洋楽のサウンドに影響を受けそれをコピーすることから始まりました。

70年代に入ると日本人としてのオリジナリティを模索するようになり、80年代には楽器や音楽機器の進歩に連れ楽器演奏のレベルも欧米に近づいてきました。YMOが欧米に高く評価されたり日本の音楽もかなりのレベルまで登ってきた感があります。

がむしゃらに向こうの音楽を追いかけた時代は終わりつつあり、行くところまで来た日本の音楽は1980年代後半には停滞している印象を持ちました。1985年以降90年代前後にはテレビのイカスバンド天国から火がつきイカ天、ホコ天と言った空前のバンドブームが訪れて楽器は飛ぶように売れ、全国でも音楽スタジオがぞくぞく出来て音楽界はいやが上にも盛り上がりましたが、粗製濫造の為か今思えばわずかしか残されたモノがないような気がします。時はバブル絶頂期、それも崩壊とともにいつしかブームも去りました。音楽の世界もアナログからデジタルへ移行していく時期でパソコンの普及などで表向きはものすごい勢いで全てが変化していった様に見えましたが、、本質はこの頃から何も変わっていない様な気がします。

私は1985年以降新しい音楽を追いかけるのに興味を失いました。今2014年になり今の音楽シーンを見てみると1985年頃と本質的には何も変わっていない様な気がします。これから日本のロックはどこへ行くのでしょう?

次回からは新章です。もう一度私の視点で音楽の聞き方を語るコーナーを始めたいと思います。
長い間、私のつたない文章にお付き合いくだされたヨコハマNOW読者の皆様と編集長の辰巳様に心から感謝いたします。

原 正行

 

横浜、街と風(社会人編) 14(29)

風習

この世界に入ると独特の言葉があって、まず夜でも最初の挨拶は「おはようございます!」ここから入ります。始まり時間が不規則なバンドや芸能界の一日の始まりを正当化するために生まれた独自の風習でしょう。そしてバンドマンの世界では言葉をひっくり返して使うバンドマン用語というのがありました、
例えば「シーメ食いに行ったらズイマーでさ、しかもイータカでバーソがツェーセンイーヒャクだったよ」
分かりますか?
解説すると「メシくいにいったら不味くてしかも(料金が)高くてお蕎麦が1300円だったよ」となります。
最近はテレビに出てる芸能人も「まいうー」なんて使ってますから知ってる人もいると思いますが、当時は本当にこの業界にいる人しか知らなかったし、これを知っていることがこの世界にいる人のステータスみたいなところもありました。

お金が幾らかと言うのも独特で一万五千円を「ツェーマンゲーセン」と言います。音楽の世界で数字の1は(1度)はドレミで言うところの “ド” にあたり、英語ではC(しー)ドイツ語になるとC(ツェー)になり数字の部分を全てドイツ語にしたのがバンドマンの数字の数え方でした。

1=C(ツエー)、2=D(デー)、3=E(エー)、4=F(エフ)、5=G(ゲー)、6=A(アー)、7=B(ハー)、8=(オクターブ)、9=(ナインス)
(例)258000円=デージュー・ゲーマン・オクターブセン

当時まだ寂れた感じの駅だった桜木町の駅の真ん前に「一力(イチリキ)」という24時間空いている飯屋がありました。広い店内にぐるっと回るように、そばとか天ぷらとかお惣菜とか寿司とか確かラーメンもあったかな、いろんなものが食べれる所で料金も安く、深夜2時位になると東京などへ帰る始発待のバンドマンで溢れます。長髪のグループがアチラこちらでジョノカ(彼女)がどうした、ラーギャ(ギャラ)がどうした。イーマン・オクターブ(18000円)がどうしたとバンドマン用語が飛び交っていました。

(例)
タイコ(ドラマー)、ターギ(ギタリスト)、ターウ(ボーカリスト)、ナオン(女性)、チャンバー(年配の女性)、マイウー(上手、美味い)、ターへ(下手くそ)、ザヤク(あるギョーカイの方)、バンマス(バンドマスター、リーダー)

控え室

バンドが入っている店には控え室があり、そこで休憩時間を過ごします。練習する奴、寝てる奴、うちのバンドではバンマスが禁止されていましたが、ポーカーゲームやギャンブルをやっているバンドもいました。この時先輩たちにバンドマンが使う楽譜の読み方や書き方を教わりました。たまには広くゆったりとした所もありましたが大体地下室とか屋根裏とか階段の下とかロクなとこにはなかったです

キャバレーとかでやらされた時なんかは壁にバンドマン心得10箇条なるパネルが貼ってあり、1つ、○分前にはスタンバイを済ますこと、2つ、ホステスは店の商品であるから決して手を出さないこと、インターバル(曲と曲の間)は5秒以内。などと書かれていました。あるお店ではバンド控え室の隣がホステスの託児所になっていて、子供が10人位騒いでいて専門の保育士さんが面倒見ています。ステージに行くとそのお母さんたちが客席の椅子に乗っかってゴーゴーを踊っています。中にはトップレスも。。。昭和のたくましい母達を見ました。

ある時外でタバコをすっていたらメンバーでイケメンのギタリストが休憩時間にこっそり抜け出して公衆電話をかけていたので面白半分に後ろでこっそり聞いていたら「もしもしサユリさんお願いします。」、、、「サユリさんですか? さっき目の前でギター弾いてたものですけど、、、今日終わったら○○で待っています、来てくれますか?」なんとさっき出演してた店に電話かけてホステス口説いている。こんな豪傑? もいました。

恩人

こんな日々も段々嫌気がさしてきましたが、それでも我慢できたのはバンマスのおかげでした。バンマスのカーボーちゃんは私より12歳ほど年上で本業はテレビの歌謡ベストテン番組のレギュラーを勤めていたビッグバンドのセカンドギタリスト。家族を持っていたのでそれだけでは食べていけず夜バンドを組んで稼いでいました。ギターは何しろ正確無比、リズムの歯切れが最高でオリジナルも書いていて、いつかヒットを出したいと夢を持っている人でした。自分をボーカリストとして高く評価してくださり、僕に彼のオリジナルを吹き込ませ、そのデモテープを持って売り込みに行ったりしてくれました。時にはメジャー系のオーディションの話があると「お前行ってこい」と言われ、有名コーラスグルループのオーディションにも行ったことがあります。苦手なダンスまでやらされ結果は、、、又あるときは彼の知り合いで有名歌手を抱えている音楽事務所に連れて行かれ、応接室で社長が来て挨拶するといきなり「そこでなんか歌ってくれ」 えっ、ここで、と思いましたが、もう無我夢中、無伴奏で歌いました。結果はやはりダメでしたがバンマスはいつも自分を励ましてくれました。

そんなカーボーちゃんも数年前他界され、ずっと音信不通でしたが最後のお別れとお礼を言うことが出来ました。今でも期待してくれた事に応えられず申し訳ないと思っています。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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営業時間
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休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
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