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横浜は「新しい文化のまち」 株式会社花丸本舗 佐藤白砂さん

by staff on 2014/10/10, 金曜日

 横浜の味「ミルクせんべい」は佐藤白砂さんの御祖父、佐藤三治さんが戦後考案した「おせんべい」です。日本全国100軒もあった「ミルクせんべい」の町工場は現在3軒になってしまいました。町から「駄菓子屋さん」が消え、少子化といった逆境の中で、この味を次世代に伝えたいと奮闘する、株式会社花丸本舗の佐藤白砂さんのお話です。

株式会社花丸本舗 佐藤白砂さん
株式会社花丸本舗
佐藤白砂さん
 
お名前 佐藤 白砂(さとう しらさ)さん
ご出身 保土ヶ谷区桜ヶ丘
ご年齢 26歳(2014.9時点)
お住まい 保土ヶ谷区仏向町
ご家族 ご両親とお姉さん
お仕事 株式会社花丸本舗 製造管理
http://www.hanamaru-honpo.com
特技 少林寺拳法

小学校の頃は獣医さんになりたかった

 仏向町は自然豊かな町です。白砂さんが小学校1年生の時に父(登志郎さん)が独立し、桜ヶ丘から引っ越してきた頃は、藤塚のインターもなく、高台の住宅地とはいっても畑や、森の多い町でした。

 ご両親が早朝から夜遅くまで忙しく働く姿を見ながら育ちました。近所の自然の中で友達と遊ぶのが好きでした。姉の渚さんとは8歳年が離れているので、一緒に遊ぶ対象に思ってもらえなかったようです(笑)

 動物が好きで、小学校の頃は獣医さんになるのが白砂さんの夢でした。その後、何か人の役に立つ職業につきたいと思っていたそうです。

 

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お母様とミルクせんべいと奥の棚には少林寺拳法の楯やトロフィーが飾られていました
お母様とミルクせんべいと奥の棚には少林寺拳法の楯やトロフィーが飾られていました

 中学校から6年間は部活で少林寺拳法部に所属していました。インターハイにも出場した経験があるそうです。(戸棚の中には沢山のトロフィーが飾られていました)大学では文学を専攻していましたが、大学を卒業して就職するにあたって「1年間家業を手伝いたい」とご両親に伝えました。

創業者は祖父です

 『ミルクせんべい』は白砂さんの祖父(佐藤三治さん)が1948年に横浜で考案したおせんべいです。名古屋のえびせんべいからヒントをもらい、水と小麦粉とコンスターチ、脱脂粉乳、砂糖などを使って200℃に熱した鉄板で焼き上げます。油や添加物はいっさい使いません。

 「戦後の子供たちに栄養を」と子供たちがおこづかいで買えるお菓子『駄菓子』として世に出回り、大人気となりました。

 お祖父さんは誰にでも作り方を教えたので、最盛期には全国100軒もの「ミルクせんべい屋さん」があったと聞いています。今は3軒しかありません。

 白砂さんが小学校1年生の時に、父の登志郎さんはお祖父さんの会社から独立し、「株式会社花丸本舗」を創りました。

 花丸本舗の「ミルクせんべい」の生地にはトマトパウダーやニンジンパウダー、カボチャパウダーが練り込まれています。お父さんが独立する時に考案しました。また余計な添加物も使わないようにしています。

 「工場の機械もその時の特注品です。同じ機械はありませんし部品もありません。何か不具合が生じると父が市販の部品を加工して修理しています。」

たねを200℃の鉄板の上に流し込むと鉄板で挟み丸く焼き上げる、それをベルトコンベアで運び作業室へ
たねを200℃の鉄板の上に流し込むと鉄板で挟み丸く焼き上げる、それをベルトコンベアで運び作業室へ

 白砂さんは、1年間、家業を手伝ってご両親の苦労を自分の体で感じました。その日の気温と湿度、天候、仕入れた材料の状態、水の温度・・・材料の調合は、お父さんの長年の勘がたよりです。機械のオーブンは200℃、室温は60℃。それでもエアコンをかけたり、窓を開けたりすれば、風で炎がゆらぎ、ミルクせんべいはうまく作れません。1日13~15万枚を焼き上げますので早朝の火入れから深夜までの仕事になることがあります。

 こうした苦労の中、お祖父さんが生みだし、ご両親が守ってきた『ミルクせんべい』の味を伝えて行きたいと思いました。

「最初『ミルクせんべいの仕事を手伝いたい』と言った時は、両親の猛反対にあいました。娘にこんな苦労はさせたくないという親心を理解しながらも、無理やり入社しました。(笑)」
「ミルクせんべいを広めるために、何か自分に出来ることがあると思ったからです。」

ミルクせんべいをご存知ですか?

 最近では町から『駄菓子屋さん』が消えて、子どもたちがお菓子を買うところが「コンビニ」になりました。コンビニのお菓子は、チョコレートやキャンディ、アイスクリーム、スナック菓子が主流で、子どもたちが駄菓子と出合う機会は少なくなりました。

 「今の子供たちは、ミルクせんべいにソースで絵を描くといった楽しみ方を知らないかもしれません。ですが一緒にジャムやソースを付けて食べると、美味しいと言って喜んでくれますね。」

 「ミルクせんべいはやさしくて懐かしい味のおせんべいです。1袋20円から100円程のお菓子で、ソースや梅ジャム、水飴を塗って食べるのが主流ですが、そのまま食べても美味しいですね。 他にも、チョコレートや餡子、バニラアイスクリーム、生クリームなどをつけて食べても美味しいので、『駄菓子』の販売ルートだけでなく、新しい販路を見つけたいと思っています。」

作業室では、ベルトコンベアで運ばれてきたせんべいを検品し、ソースを入れて袋詰めする
作業室では、ベルトコンベアで運ばれてきたせんべいを検品し、ソースを入れて袋詰めする

試行錯誤とチャレンジの毎日です

 「失敗作は数知れずあります。イカ墨を入れて黒いおせんべいを焼いてみたり、もんじゃ焼きやフルーツのフレーバーにしたけれど、200℃で焼き上げると香りが分からなくなってしまったり・・・大きさを変えて機械が不安定になってしまったりと、試行錯誤の毎日です。

 長年働いてもらっている先輩のパートさん達のアドバイスや励ましの言葉を聞きながらチャレンジの毎日です。

 横浜のお土産品として、健康食品として、アジアへの進出へと販路を求めて外に出て行き、横浜市のイベントにも参加させていただきました。」

 

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2014年横浜カーフリーデーで販売
2014年横浜カーフリーデーで販売

 「最近では、食材としての可能性も探っています。デザートやサラダの添え物として、料理の食感や味のアクセントにならないかと考えています。」

オロナミンCの「キミハツ」で佐藤さんのお仕事の様子(動画)を見ることができます。
http://kimihatsu.com/project/sato/

東京新聞 2014年8月7日(11版32)に「ミルクせんべいの夢」が掲載されました。
PDFを見る

佐藤さんにとって「横浜」とは・・

 「昭和の時代に祖父が新しい味『ミルクせんべい』を生み出してから、ミルクせんべいは横浜から全 国に広がりました。そのミルクせんべいを両親が昭和から平成へと繋いでくれました。
私は、平成から次世代に『新しい文化』として広げていきたいと思います。」

 私にとっての横浜は「新しい文化のまち」です。

 

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「新しい文化のまち」 株式会社花丸本舗 佐藤白砂さん
「新しい文化のまち」
株式会社花丸本舗 佐藤白砂さん

インタビュー:寺井由紀子(NPO法人横浜カーフリーデー理事)/写真・文:高野慈子

 

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