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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第33回 第6章 社会人編 5

by staff on 2015/3/10, 火曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

横浜、街と風(社会人編) 19(34)

仕事にも慣れ収入もそこそこ安定してきた頃2人乗りのフェアレディZを新車で購入。当時は雑誌ポパイなどの影響で巷はアメ車がブーム! 友人のK君なども80万円で買ったギブソンレスポール ’58年のゴールドトップを売り飛ばしカマロを購入。美人の彼女をゲットしていました。(レスポール ’58年オールド、今持っていてら500万円位はするでしょう) そんな周りの空気もあり最初は憧れのムスタングのマッハワンを買おうと中古車屋に行きました。試乗してみるとあまりのノリ心地の悪さにビックリ。後ろの窓は小さくて視界が悪い。しかも燃費はリッター1キロか2キロしか走らない。外車で中古は壊れたらパーツも高くて大変。でもカッコイイから欲しいなと悩んでいたら兄に国産にしたらと諭されZを購入することにしました。しかし、Zもモデルチェンジ後のタイプで、本当は自分が欲しかったZはコンパクトで流れるようなコルベット・スティングレイのような流線型が美しい前のタイプ、ニューモデルは安定感はありますがスポーツタイプとしての魅力がイマイチだと思っていたからです。でもZはやはり名車でした。後から考えたらこれでよかったと思っています。

この頃父が保土ケ谷区の松原商店街の外れで小さい不動産屋をやっていた関係で、神奈川区の羽沢町に賃貸で信じられないくらい安い新築の物件を見つける事ができたので親子三人でそこに住んでいました。母が亡くなると父はだんだん物忘れが激しくなり車の事故が多くなり、危険を感じた我々兄弟は父に運転をやめるよう説得、しかし頑固な父は受け付けず兄弟結束して無理やり車を取り上げました。やがて不動産屋もできなくなりビルの管理などをしていましたがある日脳梗塞で倒れて半身が不自由になってしまいました。この頃兄は勤めていた保険会社の特殊制度で半年間の海外研修に行ける試験に異例の若さで見事合格、渡航を控えていたので親戚の勧めもあり父をリハビリの施設のある病院に預ける事にしました。

やがて兄は渡航、父もリハビリの効果もあって杖があれば一人で歩けるようになってきました。しかしこの頃になると父のボケはかなり激しくなって行き、まともな会話はほとんどできなくなっていました。

ある日見舞いに行くと父がしっかりとした口調で兄貴はアメリカでしっかりやっているのかと言います。私はびっくりしてこれは回復してきたのかなと思い、もしかしたら退院できるようになるかも知れないと思いました。そんな翌日か翌々日病院から連絡があり駆けつけるとすでに危篤状態でした。やがて静かに息を引き取った父。最後に会った時はまるでロウソクが燃え尽きる時一瞬燃え上がるように最後の瞬間に少しだけ神様が記憶を取り戻したのかもしれません。

今となっては父が倒れる前、旅行好きだった父が日光に行きたいと言ったので、買ったばかりの二人乗りのZに父を乗せ、二泊三日位で日光に連れて行ったのが最後の親孝行になってしまいました。母の死からわずか5年、昭和57年父は70年間の人生を閉じました。偉大だった祖母の莫大な遺産も何も残してくれなかった父、ワンマンな性格でかなり周りには迷惑をかけたかもしれませんが、母の闘病生活で僕たちに見せてくれた母への愛は本物でした。これは私にとってかけがえのない遺産です。

ファルセットボイス(ブラック編1)

ブラックミュージックのファルセットに一番最初にハマったのは高校生の時アースウインド&ファイヤーの『宇宙のファンタジー』を初めて聞いた時です。それからディスコに行くようになると、スタイリスティックスなどのソウルコーラスグループに興味を持つようになりました。彼らはファルセットのみで一曲リードボーカルを歌い、70年代にはスイートソウルミュージックとして一つのスタイルを確率していきました。

まず黒人のファルセットを語るにはその歴史から行きましょう。
50年代は人種差別も激しく、都会の音楽好きな黒人たちはみんな貧しく楽器を買う金もありません。そこで街角に集まった若者達は声だけで音楽を奏でました。アカペラというやつですね。一番低音の出る人がベースを担当ボンボンと声を出すと、後の3人がアーっとドミソと和音を分担、そこに花形リードボーカルが乗るとストリートシンフォニーが誕生します。やがてドゥワップと呼ばれ数多くのグループが出現しました。(ドゥワップ好きの山下達郎さんがオンザストリートコーナーと言うアカペラの名盤を3枚出しています、おすすめです)

コーラスのハイパートには裏声が使用されます。黒人さんの裏声文化はそこから発展していったのかと思われます。彼らの喉は基本的に強靭で自在に動くことが出来、広い音域を持っています。表声は基本的にハスキーで強い響きを持っています。ともすると強すぎてアクが強いイメージにもなります。しかしそのアクの裏返しでしょうか、ファルセットは逆に甘美な響きを持っていますこの対比がたまらないのです。

’50年代初めザ・クロウズというグループが『ジー』というヒットを出したのが最初という説が有力で、やがてドゥワップの世界にもキャデラックスやムーングロウズといったスターが誕生。初めはブラックミュージックとして始まったものが、やがて白人の若者達がその曲をカバーしたりして浸透していき、50年代終わり頃にはホワイトドゥワップとして確率していきます。

’50年代でも艶やかな声のプラターズなどは白人層にも受け入れられたようですが、まだまだ人種音楽の壁は超えられません、その殻を破ったのがモータウンレコード。最初に出てきたのがスモーキーロビンソンとミラクルズで、スイートソウルの初めと言われるのが『ウーベイビーベイビー』というスローバラードでした。スモーキーのまるで地声とファルセットの境がないようなソフトヴォイス、そしてそれを包むようなメジャーセブンス系のコーラス。しかもそのほとんどがスモーキーの自作曲でした。(マイ・ガール、ゲットレディも彼の作曲です)

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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