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横浜の外国人墓地

by staff on 2010/8/10, 火曜日

横浜には外国人墓地が4つあると言われています。

有名なのは観光スポットにもなっている山手にある「横浜外国人墓地」です。

毎年3月末から12月末まで毎週土・日。祭日に「募金の為の墓地内一般公開」として墓地内を拝観することができます。

横浜外国人墓地の歴史は1854年(安政元年)、ペリー艦隊再来の際に事故死した隊員の埋葬に始まります。1866年(慶応2年)には横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書が締結され、ほぼ現在の墓域まで拡張されました。

ここには日本の西洋文化への発展に関わる多くの著名な外国人が眠っています。5000柱を超す埋葬記録があるそうですが、現在の墓石数は3000程度になっているそうです。日本初の鉄道(桜木町~新橋間)の建設技師長で「日本鉄道の恩人」とも呼ばれている、エドモンド・モレル(1840年~1871年)のお墓もあります。

 
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山手にある「横浜外国人墓地」
山手にある「横浜外国人墓地」

私たちが訪れた土曜日も、たくさんの観光客が訪れていました。

中区には他に二つの外国人墓地があります。

手狭になった山手の外国人墓地の代替に設けられたが、「根岸外国人専用墓地」です。山手駅からほど近い丘の上にあります。横浜市で管理しているのですが、この墓地の存在はほとんど知られていません。

ここには第二次世界大戦後、米軍兵士と日本女性との間にできたお子さんが数多く埋葬されています。「ヨコハマ・この人」の依田さんが山手ライオンズクラブの会長のときにこの墓地の整備活動を進めらました。ライオンズクラブで建立された慰霊碑が、墓地の入口にあります。山手の外国人墓地とは対照的にひっそりとした草深い墓地の中には、きちんとした墓石があまりありません。日米混血の嬰児たちが墓石もなくここに眠っていると聞きました。私も山手駅が最寄りなのに、恥ずかしながらこの墓地の存在をこれまで知りませんでした。

 
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根岸外国人専用墓地
根岸外国人専用墓地

もう一つの外国人墓地は、山手の外国人墓地から1871年(明治4年)に中区
大芝台に移された華僑の方々の墓地です。ここは「中華義荘」と呼ばれています。

境内は赤を主体とした装飾で、墓地なのにきらびやかな感じがします。柱の中の彫刻も手が込んでいて、美術品を見ているようでした。

所狭しと立ち並んでいるお墓の形状は日本と同じですが、墓石に中国のどこの省から来られたかが印してありました。祖先のお墓参りに訪れる人のためのお休み所も設置されていました。

この墓地の中には私の師匠である鮑啓泰(ほうけいたい)さんの祖先のお墓もあります。鮑家は広東省香山県(現中山市)の出身で、同郷の親戚、鮑焜(ほうこん)が1869年、ジャーディン・マセソン商会の買弁として訪れ、一族の横浜とのつながりが始まりだと言われています。

昨年、横浜開港資料館で開催された「横浜横浜中華街150年」展には鮑さんのお母さま(98歳で茅ヶ崎市在住)の結婚式の写真が展示されました。

横浜の開港とともに来日した中国人の子孫は、日本にしっかりと根をおろして様々な場所で活躍されています。

ちなみにもう一つの墓地は保土ヶ谷区にある「英連邦戦死者墓地」です。エリザベス女王やダイアナ妃、サッチャー首相も来日時に訪れています。

参考サイト

 
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中華義荘
中華義荘
鮑啓泰(ほうけいたい)さんの祖先のお墓
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横浜開港資料館のたまくす
横浜開港資料館のたまくす

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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