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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第37回 第6章 社会人編 9

by staff on 2015/7/10, 金曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

横浜、街と風(社会人編) 23(38)

発声練習

声の出し方に悩んでいる時期があって、ある人から発声のトレーニングを受けたらという話がありトレーナーを紹介してもらいました。先生はバリバリのジャズピアニストで発声の洋書本の翻訳などもしている方で、昼間週1でお宅に訪問し1時間位発声のレクチュアーを受けながら難しいジャズの音階を延々歌わされました。一年くらい通いましたがジャズの音階練習は自分には楽しいと感じられなかったのであまり身につかなかったかも知れません。

この先生の教えで覚えているのは風船を出しこの風船を肺(お腹)と思い空気を入れると入口を手で握ります。ここが声帯になり手を緩めて空気が出るのを調節する。こんなイメージで声を出しなさいと教わりました。それから数年後、今度は、やはりジャズコーラスの専門家にトレーニングを付けてもらいました。発声の教則本を出している人で、喉を開いてお腹からの声を遠くに飛ばしなさいと言われ発声練習しました。私なりの印象ですが、先生によって考え方が随分違うもんだなあと、、、お腹から声を出せというのは同じですが、片や喉を閉じて調節しろ、かたや喉を開いて腹の力で調節しろ。とほとんど真逆! 本人たちの歌唱を聞くと硬い印象の声と柔らかい印象の声で当然違います。驚いたのは習っている私が習っていると段々声がそれぞれ習っている時々の先生に近くなっていく事です。これはいかんと、、、最終的に学んだことは、人に習うということはその人に近づくということです。私の考えですが、歌(発声)を習う時は先生の歌に惚れ込みその人の様に歌いたいと思えるかどうか、その人の考え方が尊敬出来るかどうか、尊敬していれば飲み込みも早いはずです。

結局私の発生の先生は昔からビートルズです。

リズムボックスの進歩

初めてリズムボックスに出会ったのはローランドのCR-78で、これは日本中の弾き語りに愛用されていたと思いますが、又、テクノポップを嗜好しているミュージシャン達に最も愛されたリズムボックスとも言えるでしょう。メジャーの人たちも愛用していたようで、ホール&オーツの「I Can’t Go For That」や陽水の「リバーサイドホテル」のイントロなどは多分これでしょう。1980年代になるとリズムボックスも段々進歩していき、8ビートで演奏しながらボタンを押すと次の小節にドラムのオカズが入り(タカタカドコドコのような目立つアクセント)、次の小節からリズムが16ビートになるというようなスグレものも登場してきます。その内今度は自分でリズムを自由に作れる様になっていきました。極め付きは、ドクターリズムDR-55の登場でした。あらかじめプリセットされているリズムはほとんど無く、一から自分で作ります。 ’80年代半ばかなり複雑になってきた音楽に対抗するには自分でリズムを作っていくしかなかったのです。まだシーケンサーもない時代、シコシコ家で一曲分のドラムをこれで打ち込んだりしてました。でも本番で使うのはかなり危険で、1小節間違えるととんでもない所で(ドラムの)オカズが入ったり、関係ないところでリズムが変わったり、途中で止めることができないので必死にドラムに合わせました。まあ私のレベルですが結構使い方を研究して楽しんでいました。

しかし、メジャーの世界ではこれが進化して行き、やがてサンプリング音源を使ったPCM音源なんてものが80年代後半主流になっていきます。そうなると実際にスタジオで録音したドラムの音よりPCM音源の方が音質が良いので、レコーディングにはスタジオミュージシャンが叩いたものをコピーして譜面にし、コンピューターで打ち込んだモノからPCM音源で録音しなおすという作業が行われていきます。ですから、80年代後半からの音楽は打楽器はコンピューター音源が主流なので何か味気なさを感じます。(90年代にはベースも鍵盤ベースが流行りました) これも80年代後半から音楽がつまらなくなった大きな要因ではないでしょうか?

DCT

この時期、あるユニットにボーカルとして起用されました。それは平野さんという当時エレキ業界では名を馳せていたギタリストをメインに売り出そうとしたプロジェクトで、総勢12,3人の大所帯バンド、六本木界隈で何度かライブをやりました。インストがメインでしたが、オールディーズのコーナーがありレパートリーはポールアンカやニールセダカ。私の得意は裏声のシェリーでした。この時ボーカルは3人組で私以外に2人の女性ボーカルがコニーフランシスやピーナッツなどを歌っていましたが、このうちの一人がMちゃんと言って、北海道から上京したばかり、体は小さいのに伸びやかでよく通る声でした。彼女が後年DCTのリードボーカルとして90年代のJポップで一世を風靡するとはこの当時夢にも思いませんでした。

私はこのユニットからは数回のライブを経て抜けましたが、私の後に入ったNジョージ君はその後ブルージーンズのボーカルとして活躍することになり、私ともその後何かと交流がありました。今でも会うと当時のMちゃんの話をします。

 

ここからは原の音楽夜話 - ファルセットボイス(ブラック編4)

スタイリスティックスが売れだした頃には全米各地で様々なスイートソウルのグループが誕生、名曲が次々に生まれていきました。今回はそんな中からひとつまみしてご紹介します。

黒人男性ファルセットリードで有名な曲は、グループではありませんが、エディ・ホールマンの「ヘイ・ゼア・ロンリーガール!」 1970年に全米2位を記録しました。失恋した女の子を見守る男の子が実は心の中でその子を愛しているというストーリーのバラードで、エディが卓越した裏声のみで見事に歌い切っています。元々は ’63年女性のグループが「ヘイゼアロンリーボーイ」で歌っていた曲を、歌詞の “ボーイ” を “ガール” に変えたもので、シャイな男のハートを裏声で表現するというところが見事に当たったという所でしょうか。

又この曲は、名作カバーが沢山あって、ソフトーンズ(TheSoftones)が特に素晴らしい出来です。エディはこの曲をAのキーで歌い、Bbに転調した後のハイライトのロングトーン(ファの音)を見事な裏声で決めていますが、ソフトーンズは2音落としたFのキー(カラオケのキーチェンジャーで4つ落とし)で低く歌いメロディに工夫を加えて、更に高い(ファシャープ)を出しています。最初に低く歌った分、より高く聞こえる訳です。音域のある歌手が何かの曲をカバーする時わざと低いキーで歌い始めて後半にメロディをアレンジして高い声でドラチックに曲を演出する手法でした。

余談ですが、当時横浜のディスコによく出演していたCCO(獅子王)という日本のバンドが、この曲をソフトーンズのバージョンで演奏していてよく聴きに行きました。

「ヘイゼアロンリーガール」は、最近はYoutubeで簡単に聞く事ができます。検索して是非聴き比べてください。Hey There Lonely Girl = Eddie Holman、The Softones。

他にも山下達郎、グラスハウス、などがカバーしています。

この曲が入っているソフトーンズのアルバムをプロデュースしたのは、ヒューゴとルイージという白人作曲家チームで、彼らはプレスリーの名曲「好きにならずにいられない」の作曲者として知られています。ソフトーンズもこの曲をカバーしています。スタイリスティックスもカバーしていますが、アレンジ、ボーカルの出来共に明らかにソフトーンズのほうが優れていると思います。

プレスリーのカバーと言えばフローターズというグループが歌っていた「この胸のときめきを」。

元々はダスティスプリングフィールドのヒット曲をプレスリーがカバーしたものですが、フローターズのファルセットは一言で言うといやらしい! よく言えばセクシーなのですが、鳥肌が立ちそうなエッチさかげんがちょっと良かったりします。後半には原曲にはないアレンジでしゃがれ声のバリトンがシャウトして出来を熱いものにしています。

脱線ですが昔のディスコのチークタイムにはよくこんなエッチな雰囲気の曲がかかりました。女性のなまめかしい声が名曲にかぶさり延々と続くのです。ドナサマーの「誘惑のブギー」、マービンゲイの「アフターザダンス」、ジュテーム等はチークには最高でした。暗い照明の中、ブラックライトが胸元の下着をうっっすらと浮き上がらせこんな曲をバックに彼女と踊っていたなんて今では考えられないですね。

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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