都田舎の津久井便り 三日目 「聖徳太子の碑」
聖徳太子の碑
おーーい、三太待ってくれよ! どけぃーいくだぁ?
おらぁ、おかぁのつけーでイナバまでしょーゆけぇーに行くだ。
おーー、そーぉけ、けぇーりにヨーフクヤ(陽福屋)でアイスをかうべーよ。
アイスって、ひゃっこくって夏には最高だーよな!
んじゃあ、おらぁ太子講でまってべーよ。
けぇーたら、あがりはなへ、ふんがけて、そりょうーくーべぇ!
「おーい、三太まってくれよ、どこに行くんだい?
僕は母のお使いで、稲葉まで醤油を買いに行くんだ。
おー、そうなのか。帰りに陽福屋によってアイスクリームを買おうよ。
アイスって冷たくて夏には最高だよな!
だったら、俺は聖徳太子碑の前で待ってるよ。
帰ったら、上り間口に座ってそれをたべようね!」
津久井弁 監修 酒饅頭の泰平堂製菓舗 奈良哲弥氏
聖徳太子は法隆寺や四天王寺など日本において初となる本格的建築物を作らせたことで建築の祖として大工達、職人から職能神(守護神)として崇められていました。 この場所は甲州街道へ至る相模湖(S22年建造の人造湖)への道と甲州街道の裏街道にあたる道志道と厚木方面に向かう大山街道(?)の分岐点で相模の国と甲斐の国との交通の要衝だったところです。 |
(クリックで拡大画像) |
寛政六年は西暦1794年にあたり、天明の大飢饉を受けて農業振興を図った寛政の改革が行われたころで、田沼意次の重商主義への反発から緊縮政策で生活にゆとりが失われていた時代でした。そして江戸末期の動乱の時代を担う大老井伊直亮、老中水野忠邦らが生まれた年で、欧州ではフランス革命の真っ最中でした。
ここ津久井は幕府直轄領として日本でただ一か所、津久井県という地域区分名を与えられていました。
人口増加の江戸時代にあって新田開発がさかんに行われていた時代でもありました。童人夢農場の場所も字名は「開戸」と言い比較的新しい村だったのではと推測されます。
僕が小学生のころはまだ砂利道で、東京オリンピックのボート競技が開催されることがきっかけで道路整備が図られこの分岐の上部に新しく舗装された道が出来、バイパスとなり現在の国道412号線となりました。
(文:山羊髭)
筆者紹介
梅澤 勉 |
相模湖・津久井の本格薪窯ピッツェリア | ピザレストラン「童人夢農場 | ドリームファーム」オーナーオーナーシェフ 梅澤勉さんのインタビュー動画。
緑あふれる津久井の魅力、童人夢農場(ドリームファーム)のこだわり、デザートピザへの想い
についてオーナーシェフの梅澤勉さんが語ります。ご覧ください。
ヨコハマNOW 動画
新横浜公園ランニングパークの紹介動画 | ||
ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。 |
横浜中華街 市場通りの夕景 | ||
横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。 |
Comments are closed.