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契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 波越さじとは

by staff on 2015/9/10, 木曜日

♪ 契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 波越さじとは ♪


絵・千絵崇石
 

読み人:清原 元輔(きよはら の もとすけ)

現代語訳・・・私達は約束したわ、二人とも目に涙を浮かべて、あの末の松の山を波が絶対に越す事がない様に、二人の愛も永遠に続いて 心変わりなんて・・・絶対あり得ないと。

清原元輔は 清少納言のお父様。すぐれた歌人で36歌仙の一人でもあります。私はこの清少納言の家系にはとても洗練された文化人の香りを感じて憧れの目で見ています。
特に元輔のお爺さん、清原深養父は大好き。 おしゃれなセンスの持ち主で時代を超えた美意識の人。というイメージがあります。現在生きていたら、野暮な私などは近づく事も出来ないモダンな生き方をされている男性として、遠くから密かに慕っているだろうな。

この歌は清原元輔が友人のために作った歌だと言われています。親友の恋人が心変わりをしてしまった事を、親友に代わって彼女に送る歌を作ってみたと言う事なのでしょう。
ちょっと愚痴っぽくって、でもそれがさらっと駆け抜ける風のような軽さがあります。
この「末の松山」は、永遠に変わらぬ愛の契りを意味する言葉としてよく使われている枕詞です。海岸の波がどんなに高くても絶対に波を超えることがない松、そのように絶対に愛は変わりませんよ、と言う決まり文句です。ではそんな松が一体どこにあるのかというと、あるんですね 現実に。宮城県の多賀城市八幡にある松が伝承として有名です。
特に2011年3月11日の東日本大震災の時に、地元の人たちがその松のもとに避難して助かった事によって、歴史からの言い伝えが本当だったことが確認されました。

多賀城市八幡の末の松山。以前は、まわりは海岸だった様で昔から津波があったら其の松山に避難すれば助かるとの 言い伝えが残っていました。このあたり一帯は地震も多発する地域で 最古の記録として残っているのは850年の出羽国地震(マグネチュード7)そのわずか13年後には越中越後地震が発生。5年後の868年には播磨山地震(マグネチュード7) そして869年の貞観地震(マグネチュード8.3) その後878年には相模武蔵地震(マグネチュード7.4) 最後に極めつけ!歴史の中では最大規模と言われる881年に起きた仁和地震(マグネチュード8.8)
「語り継がれる多賀城の“末の松山”と津波の歴史」より抜粋させて頂きました。
http://tanoshimutameno.com/suenomatsuyama-2442

それらのいずれの地震の際にも発生した津波が末の松山を超える事はなかったと言われています。凄いですね。これらのニュースは当時の京都にも伝わっていてますます絶対変わる事のない愛を誓う時の常套句として「末の松山」は宮廷人たちに好まれました。
そして東日本大震災でも周辺住民はその言い伝えを思い出して多くの人が「末の松山」に避難して助かり、千年以上前から伝承されている「末の松山」の安全性を証明しました。
変わらぬことを約束する言葉として、これからはどんな場合に使われてゆくのでしょう。
愛の誓いも素敵ですが「日本が戦争を起こすなんて末の松山だわ!」なんてどうかしら?

(早苗ネネ♪)

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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