横浜スケッチ(第5回) 横浜開港記念会館を描きながら、書きながら
ペンネーム 成見 淳
横浜市開港記念会館のホームページによると、横浜開港50周年を記念して1917年(大正6年)創建、関東大震災によって、時計塔と壁体だけを残し、内部は焼失し、屋根ドーム群も欠落、1927年に震災復旧工事が竣工、終戦の1945年から開港100周年にあたる1958年まで米軍に接収され名前もメモリアルゴールと改称、1959年に横浜市に返還、1989年に創建当時の姿に復元されたとのこと。
昔、新聞か本で「関東大震災の時、火災から逃れるために人が押し寄せ、あまりの人数に扉が閉ざされ、中に入れなかった人が必死に入ろうともがいた爪の跡が残っていた。」と読んだ記憶があるが、建物の外壁は残ったが内部は消失しドームも焼け落ちた、とあるので中の人もどれだけの方が助かったのだろうか。
私が初めて建物の中に入ったのは56年前。当時英語部に入っていて中学生弁論大会(出場はしていない)の中学1年生の時。2回目はその15年後位で危険物取扱主任者の試験事前講習会の時だった。
ここは小さい頃から良く通る場所なので、その姿は頭の中にちゃんと格納されている。
最初に描いたのは1990年代の初め頃で、横浜を描き始めてからそれほど間もない時期に無謀にも挑戦した。場所は神奈川県庁の横。
そして20余年後の8月7日金曜日、37度近い猛暑の中(でも浜風のお陰で思ったより涼しい。)、再び挑戦した。場所は前回と違って横浜地方裁判所の前の並木の下。交番の前から時計台を正面にして描くのが定番だそうだが、『極力人が描かない構図で』と思っているのでここを選んだ。一日中裁判所に出入りする車を整理する守衛さんの良く通る声が響く。
毎回、20余年前のスケッチと比較するのを一つの楽しみとしてきたが、周りの景色も含めて横浜開港記念会館は変わっていないように思えたので、当初タイトルを「横浜開港記念会館は変わっていない」とするつもりだった。確かに昔描いた時と会館の姿そのものは変わっていない。でもそれはあくまでも「私の中の記憶」という短いスパンでのことに過ぎなかった。エッセーを描くために色々調べているうちに「関東大震災、ドーム屋根を除く復興、米軍による接収と名称変更・返還を経て、1985年創建当時の設計図の発見により1985年のドーム屋根等の復元。」と、建物の形、名称、管理者などが大きく変わって行った歴史を知ることが出来た。自分の狭い体験を超えてもう一度その姿を眺めると「開港記念会館は変わって行った。」とも言えるし、「歴史の変遷を経て元の姿に戻った。」とも言える。
そんなことを、開港記念会館を描きながら、書きながら思った。
さて、前月号で「人生はキャンバス」という自作曲をご紹介しましたが、今度は曲が先に出来たものの作詞に苦しんでいたところ、横浜のスケッチ・スポットを思い浮かべて「横浜Date」という詩が出来上がりました。両方とも横浜スケッチが縁で生まれた曲です。
筆者紹介
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ヨコハマNOW 動画
新横浜公園ランニングパークの紹介動画 | ||
ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。 |
横浜中華街 市場通りの夕景 | ||
横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。 |
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