2015年10月 三ツ池だより 「点の連続であって欲しい また新しい一歩を踏み出す」
あんなに厳しい夏があって、何日も続く異常な雨がつづいても、秋はやってきた。運動会の予定があちこちで立ち並んでいる。また芸術の秋でもある。横須賀美術館に行く機会があった。海、そしてその向こうに千葉房総半島が展望できた。景色を見ながら食事をしたくて、一時間ほど待つことになった。クローバーが一面にあったので、四葉を探していたら幸いにも見つかった。
横須賀美術館は谷内六郎の常設館を併設していた。特別展は「長新太の脳内地図」で、奇想天外な漫画がぞろぞろあった。「“子供のように、自由に描けばこんないいことはない”と語り、子どものイマジネーションの豊かさと表現に嫉妬すら長新太はしていた」と案内にはあった。
さて、10月の俳句を見てみる。
台風が来るなどすると一斉に団栗が地に転がっている。寝ているような、という表現がいかにも一茶らしい。正岡子規や高浜虚子になるとつぎのようになる。
石榴を見つけることがすくなくなった。見つけると懐かしくなる。
石榴の赤さが露人ワシコフといわせるのだろうか。
空がきれいだし、10月は鰯雲が頻繁に現れる。
いわし雲と鰯雲はどんなに違うのかと思うことがある。
鰯雲の方が雲の密度があるのか? いわし雲の方がのんびりしている?
どこから暮るという発見が楽しい。どこから暮れる? と言ってみたくなる。
暮れる景色を一緒に見る人がいるといいなぁ!
お墓参りにいったのだろう。金木犀の匂いがなつかしくなる。
秋が深まると寂しくなる。旅に出るとなおさらだが、そればかしとはいえないことを感じた。
驚いたことがあった。新幹線で「のぞみ」の停車駅だと気がつかないのだが、「ひかり」や「こだま」の停車駅にいると、すごい勢いで「のぞみ」などが通り過ぎていく。
新幹線という箱の中にいると、自分の体は動いていないのに箱はすっ飛んで行く。箱の中は全くなにもおこっていないようなのに、実際の私はものすごいスピードで場所を変えている。その速さを実際に新幹線の各駅停車駅で見届けてみたのだが、なんともけたたましいのである。通過列車は、ホームから一本へだてた線路を猛スピードで走っていく。
見ている私は取り残されたように感じ、なにか大切なものが破壊されていくようで怖く悲しいのである。
ものの移動が速くなって、これを受け入れるのがあたりまえと考えるのがいいのだろうか。
生きるということはこの悲しさと、あたりまえさを受け入れていくことなのだろうか。
俳句に接しているせいか、時間のながれのゆったりすることの方が私は好きだ。
この速さのはざまが存在していることを忘れてはなるまいと思う。点を新幹線が線で繋いでいるのではなく点の連続の上に新幹線がのっているという、生活文化のつながりの連続が日本であっていいのではないか。狭い日本と言われているのに点という存在の間に文化の空白があってはなるまい。それこそが政治の重要な部分なのだ。
この原稿を書いている時にスーパームーンを見ることができた。「月にはやっぱり兎がいるんだよ」「これ以上解明してほしくないね」そんなことを思った。
“明日天気になーれ” とテルテル坊主を飾る日本の文化を見つめてみたい10月だ。
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(文・写真:横須賀 健治)
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