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高野慈子の「四季・色・贅・食」 第2話 ドナ・ドナ

by staff on 2015/10/10, 土曜日

 

『ドナ・ドナ』

日本の小学校で童謡だと習った「ドナ・ドナ」が反戦歌と知ったのは、19歳の頃、アメリカに英語研修(CESL)に行ったときのことでした。 その頃、アメリカはベトナム戦争のまっ直中で、英語研修に行っていた大学にも、ベトナム戦争が色濃く影を落としていました。


英語研修証書


裏面の寄せ書き

戦争の恐怖から逃れるためにマリファナが戦地で使われ、それが大学構内にも広がり、学生パーティに誘われると『マリファナ・パーティ』だったことがありました。 私は19才、未成年者のおチビちゃん、13~14才の子供にしか見られなかったので、酒やタバコ、マリファナの吸引などを強要されることは無かったけれど、同世代の若者が戦争について真剣に語り合い、ヒートアップしていって、ついには喧嘩になってしまう姿を何度も見ました。

ベトナム戦争は、既に長期化しており、樹木が生い茂ったジャングルを、移動したり隠れ家にしないようにと、枯葉剤を撒いたりナパーム弾で焼いてしまうという行為が、実は非人道的な行為であることを、アメリカ国民も分かってきたのだと思います。
アメリカ国民は戦うための大義名分も無ければ、名誉も誇りもない、誰の為に戦うのかさえ分からない、終わりの見えない泥沼化した戦争にうんざりしていましたから。。。

ロングヘアーのヒッピーと呼ばれる若者がいたのもこのころの話。そして、私は『ドナ・ドナ』に出合うことになりました。

とにかく、当時のアメリカ人は(今もそうかもしれないけれど)アジア人の区別ができなくて、中国人や韓国人と間違えられることは日常茶飯事でした。ベトナム人はともかくも、タイやインド人に間違えられたこともありました。

「べトナム人になって反戦歌を歌わない?」と誘われて、大学の構内で歌った曲が、ジョーン・バエズが歌っていた「ドナ・ドナ」でした。反戦歌だったから、ポリスに捕まれば日本に強制送還され、ビザの交付は受けられなくなります。『ポリスが来るよ』って誰かが教えてくれると、歌を途中で切り上げて、そっとその場から離れます。

歌が上手いとか下手だとか関係なく、ただただベトナム人として反戦歌を歌うことを求められただけ。。。そんな、即席の歌手?でしたが、馬鹿の一つ覚えのように、「チャビー※おいでよ」と誘われれば、「ドナ・ドナ」を歌っていました。

※おチビでポッチャリしていたので「チャビー」があだ名でした。


アリゾナ州ツーソンにて

 


通学途中の某所

『ドナ・ドナ』の歌詞は、荷車に乗せられて屠殺場につれて行かれる子牛たちに、農夫が「どうしてお前たちには自由に空を飛ぶツバメみたいな翼がないのか? どうしてツバメのように空を飛ぶことを習わなかったのか?」と尋ねます。短い夏、ツバメたちは自由に空を飛び、風は楽しげに子牛の上を通りすぎ、笑っている間に1日が過ぎていきます。子牛たちはどうして殺されるのか理由も分からぬまま、自由を奪われ、殺されていきます。。。そう、子牛たちは戦場に駆り出される若者の姿なのです。

日本は平和な国です。戦後、一度もどの国との紛争にも巻き込まれなかったから、安全で安定した国家でいられました。 技術力向上への努力も然ることながら、製品を安定供給できることから経済が高度成長したのだと私は思います。

民主主義では、価値観の多様化や複雑な利害関係から、何かを決定する時はイライラするほど年月がかかることがあるけれど、これも民主主義の国だからでしょう?! 主導権が国民にある限り、振り子のようにものごとは揺れ動きます。 左に寄れば右に、右に寄れば左にと、動き続けるのが民主主義だと思うのです。

民主主義はダラダラ主義だと言われることがありますが、そのダラダラに嫌気を差さないで欲しいのです。 誰かの主導で、ものごとがスムーズに進むことに怖さを感じて欲しいのです。

自由に空が飛べる翼を、自ら返上することはないとは思いませんか? 自由に空を飛んでいるツバメを、飛べない七面鳥や烏骨鶏がやっかんでも、仲間外れにしても、ツバメは空を飛でいればいいのです。
日本の平和が世界の手本となるように、ツバメは世界中の飛べない物たちに飛び方を教えながら、大空をいつまでも飛び続けて欲しいと願っております。

後記

数年前、主人と娘と私の3名でベトナム旅行に行きました。ホーチミンで『戦争証跡博物館』を訪れた時のショックは言いようのないものでした。人間はここまで残酷になれるのかと。。鳥肌が立ち、足が震え、本当に恐ろしくなりました。

http://vietnam.navi.com/miru/2/ ←直視できないような写真もあります。

枯葉剤は空中散布された為、戦場にいたアメリカ兵も被害に合いました。また、参加した韓国兵士にも被害者が出ています。

ベトナム戦争中、戦後、アメリカでは、ディア・ハンターや地獄の黙示録、カジュアリティーズなど「ベトナム戦争」を題材に沢山の映画が作られ、その多くが反戦映画だと。。。私は思っています。

ドキュメンタリー映画『ハーツ・アンド・マインズ』は、OL時代に勤めていた会社がTVのスポンサーだったため会社で視聴しました。ベトナム戦争終結後40年目の今年(2015年)7月~8月に横浜ジャック&ベティで『ハーツ・アンド・マインズ』を上映していました。ご覧になられた方もいらっしゃるでしょう。
http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/650/

私たちは、この悲惨な戦争からいったい何を学びとったのでしょうか?

高野慈子プロフィール

 

2014年10月に還暦を迎え、ますます元気なおばちゃんです。
実家はレコードの小さな町工場でした。
音楽家の多いファミリーツリーの中では、異色の人生を送っています。
アリゾナに1年間英語の勉強に行きましたが、素晴らしいインディアンに出会い、自然体で生きることを学びます。いろいろなボランティア活動・反戦活動を始めたのもこの頃かしら?

学生時代、弁論部だったことがあり、多くの政治家の選挙運動のお手伝いをしたことから、政治・経済にも強い関心がある「おばちゃん」。
アメリカから帰国し、OL時代は会社に内緒で訳詩・作詞のアルバイトをしたこともありました。また、OL時代は某会の映画モニターになり、某映画評論家の会にも入っていました。

横浜で一番古い冷凍・冷蔵・空調・エアコン部材店の高野商店に嫁ぎ(店と結婚したわけではないけど。。。)「冷たくしてごめんなさい」をキャッチコピーにして日々頑張っています。

2001年から2010年まで、中小企業の集まる会に所属し、そこで知り合ったIT業界の人からツイッターやfacebookを知り、facebookでは「高野家夫婦の会話から」が笑いを取っています。
その人の娘さんが作曲家で、「青虫もんじろちょう」が子ども向けの曲となり、ユーチューブにアップされています。(安希子はペンネーム)

2015年現在、本業の他に、NPO横浜カーフリーデーの副理事、ヨコハマNOWのプロデューサー、神奈川ドイツワイン協会のメンバー。

映画とオペラとミュージカルが大好き、ジャンルを問わず、JAZZやロック、シャンソン、ラテン音楽のコンサートやライブに顔を出し、頑張っている音楽家を応援しています。京都人の父と新潟人の母のDNAを受け、東京生まれ、埼玉育ち、横浜暮らしの「おばちゃん」です。

facebook:https://www.facebook.com/go.yasuko.gogo

あおむしもんじろちょう:

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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