Skip to content

ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第40回 第6章 社会人編 12

by staff on 2015/10/10, 土曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

横浜、街と風(社会人編) 26(41)

ビートルーズライブ

おかげさまで楽しみで始めたビートルーズはなかなかの人気であっちこっちから出演依頼があり、月に1、2本はライブをやっていました。レパートリーは分かりやすい前期のビートルズオンリー。ライブでは前半はハーモニーを重視し後半のロックンロールではガンガン踊らせました。合間にはHIさんとのボケネタやハゲネタトークが受けてました。HIさんいきなりズラをはずし、中から万国旗やハンカチを出したり、半分ずらして鬼太郎ってやってみたりいつも楽しい雰囲気でした。

私個人としては日曜以外毎日3軒掛け持ちの仕事しながら50曲程歌い、ビートルーズは週一回2時間のスタジオリハと個人練習、更にライブと。。。ビートルズはキーが高いからギリギリの高さを絞り出します。サウンドにこだわりがありますから絶対にキーは下げません。今思えば若かったからできたことだなと思います。

ビートルーズは色んな所に出かけてライブやりました。横浜市内のライブハウスほほとんど出ましたし、鶴見にあるビートルズ専門ライブハウス・ラバーソウル(ここのマスター鈴木さんはポールの歌も演奏もほとんど完璧に出来る人でルックスも似てる。彼のバンドのテクニックを勉強しに行こうとバンドで通っているうちここにも出演させてもらいました。)ここにはイギリス、キャバーンクラブを真似たレンガのアーチにビートルズが使っていたボックスのアンプ3台がデーンと並んでいて、これでリッケンバッカーを鳴らすとビートルズと同じ音が出てジーンと感激します。

あと面白かったのは鶴見にあったプロレス屋台村! この頃様々な屋台が周りを取り囲み好きなものを自由に食べれるという屋台村が流行りました。ここは体育館の様な所の周りを屋台が取り囲みど真ん中にプロレスのリングがあり、そこでプロレスや女子プロの試合を観戦しながら飲食ができるという屋台村でした。なんとこのリングの上でライブです。マットの上は弾力があるのでここで飛んだり跳ねたりロープに駆け上ったりと大暴れのライブ。無茶くちゃでしたが楽しかったです。

高崎のホテルでは元キャロルのジョニー大倉さんとジョイントライブをやったり、この時のジョニーさんはビートルズ一杯歌ってました。俺の原点はジョンレノンなんだと話していました。

ビートルーズのライブは大体いつも50分位2ステージやるのですが、辛かったのは夏のライブで、一張羅のビートルズ衣装は長袖冬モノのスーツにネクタイをバッチリ締めていたのでいつも絞れるほど汗ビッショリ。思い出すのは保土ヶ谷にあった会員制のリゾート、アービルでのプールサイドのライブ。バブルの時代ですからリッチなまるでハワイのリゾートにいるようなロケーションで遊ぶ水着の客を尻目に汗だくのライブ。もっと忘れられないのは改装前の大桟橋の先端にあったビアガーデンでのライブ。昼と夜の2回でしたが、昼の部は炎天下のステージに海からの真夏の熱風を受けギリギリのキーをシャウトするたびに目まいでクラクラ。しかもHIさんはマッシュルームのカツラまでかぶって、まるで我慢大会のようなステージ。よく救急車に運ばれないで済んだものだと思います。

バスバー

忘れられないライブにバスバーライブがあります。バスバーとは、アメリカのグレーハウンドバスを改造し移動出来るショットバーの事です。多分日本で一つしかない、知る人ぞ知る、横浜の隠れた名所で、以前は私と同業のミュージシャンだったMさんが発案し実現した夢のバーです。取材一切お断りで宣伝も一切しないので、何処にあるか知ってる人しか行けません。このバスで限定17人の常連客を乗せ富士五湖の本栖湖(五百円札の裏の絵に使われた景勝地ポイント)の辺にバスを止めそこでバスの中でライブをやろうという計画、それにビートルースが依頼を受けたのです。生ギターにベース&ギター、ドラムはギターケースを叩くというアコースティックライブこの何とも言えぬシチュエーション。沈みゆく夕暮れの富士と本栖湖を見ながらバーカウンターでカクテルを飲み、そこに生のライブ! 気分は最高潮に達し限定の観客とともに一生忘れられないライブになりました。

俺たちが歌うビートルズ

とあるライブで対バンになったバンド、キャッツウォークと仲良くなりました。彼らは黒い革の上下ジャンプスーツに身を包み、ビートルズがデビューする前にアメリカのR&Bやロックンロールをコピーし演奏していた頃の曲だけを完コピし演奏する超マニアックなグループでした。みんなルックスも良く結構追っかけがいました。彼らは、又、ビートルズの海賊版レコードのコレクターの集まりでもあり、イエローマターカスタ-ドなどビートルマニアヨダレ物のレア盤を多数持っていて、まだインターネットもなくアンソロジーなど出ていないこの頃から自分たちの耳で歌詞やサウンドをコピーしていたのです。

そして、又、或る時テレビを見ていたらファイト! という番組でアマチュアのビートルズバンドの勝ち抜き戦をやったいました。そこで優勝したバンドがビート・ルースBeat Loose(私たちはビート・ルーズBeat Lose1字違いで紛らわしいですが、、)あまりにも素晴らしい演奏でリボルバー以降の生演奏が難しいナンバーを再現するのがポリシーと言う変わったバンドでした。特にアイアムザウォルラスが絶品で、ここまで完璧に再現するバンドは今まで聞いた事がありませんでした。そこでふと思いついたのです。キャッツウォークとビートルースと我々でビートルズの誕生から解散までというコンセプトで関内ホールを貸切にして大コンサートをやりたいと!

 

ここからは原の音楽夜話 - ソロボーカル(ブラック編1)

これからは黒人ソロボーカルにスポットを当てましょう。歴史を紐解けばかつてアフリカの大地から奴隷として連れてこられ、綿畑など苦しい日々の労働を忘れるため仕事をしながら彼らが歌ったのがワークソングでした。アフリカ土着の民が白人文化に出会い彼らの楽器を手にする事で生まれたのが独特のブルースの音階、いわゆるブルーノートというやつで、ドレミファソラシドのミとラを半音下げた物悲しい音です。これに彼らが本来身につけていた独特のリズムが融合しブルーズが生まれ、それがやがてジャズに発展していきます。又、彼らにとって新しい大地で出会った白人たちの宗教キリスト教も虐げられた彼らの救いとなり、その教会で歌われるキリストを賛美する歌もゴスペルとして独自に発展していきました。100年くらい前まではメディアも発達しておらず、彼らの音楽が録音されるような事はなかったので全てが口伝えの伝承です。特に差別の激しかった南部のあちこちから色んな音楽が発生。ミシシッピあたりの南部ではギターを手にした黒人が生み出したデルタ・ブルーズ、ニューオリンズではデキシーランド・ジャズ。元々死者を埋葬するパレードから生まれたモノらしくトランペット奏者のルイ・アームストロング(サッチモ)が有名ですが、これらが1930年代、40年代のジャズ全盛期につながっていくわけです。それではボーカルを支点に話を進めましょう。

ジャズボーカル

1920年代ジャズはニューオリンズで生まれ、デキシーランドジャズなどと呼ばれました。その第一人者ルイアームストロングは、その黒人独特のしゃがれ声だけどとっても愛嬌のある声でジャズを歌い人気者でした。やがてシカゴ、ニューヨークへと移りナイトクラブなどで絶大な人気を誇りました。アルカポネなどでお馴染みの禁酒法の時代です。

やがて30年代ビッグバンド全盛時代には大人数のビッグバンドをバックに歌うエンターテイメントボーカルの時代。映画ブルースブラザーズに出ていたキャブキャロウェーやサミーディビスJr等。キャブなどは自分のバンドを持っていたそうです。ビッグバンドがバックですから半端ない声量が必要とされ、完璧な音程の良さが要求されました。個性あるトークやものまねやさらにはコントまでできる人もいたそうです。

40年代スイングの時代になっていくとナットキングコールが登場。ビロードの肌触りのような声と言われ少しハスキーな声は誰からも愛されましたし、これ以降活躍する黒人ボーカル達の最高のお手本になりました。(Star dust,Too Young他)

そして盲目の天才レイチャールズの登場。ブルージーなピアノにハスキーで野太い声どこかチャーミングなその声はいつまで聞いていても飽きません(georgia on my mind /what’d I say他)。女性も活躍しました。まずなんといってもダイアナロスが主演した「ビリーホリディ物語」のビリーホリディ。白人のリンチにあって吊るされた黒人を歌った「奇妙な果実」が有名です。絞り出すようなその声はとてもBGMにはなりません。でもどこかやはりチャーミングな魅力を感じます。「Lullaby of birdland」のサラボーン、スキャットの天才エラフィッツジェラルド。

れらは50年代黒人ボーカルのレジェンド達です。彼らはその声で名声を得て一部の白人たちにも受け入れられましたが、まだまだ人種の壁は厚く、映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」にも描かれていましたが、南部ではホテルのショーでタキシードの白人たちに拍手喝采を浴びた彼らはその肌ゆえに同じホテル内のレストランやトイレにも入ることが出来ません。そこには “Whites Only” と書かれているからです。彼らの声を聞くとき何故か物悲しさを感じるのはそのへんもあるのかなと思いますが、その反面、体からにじみ出るような力強い何かを感じます。これがSoulと言うものでしょう。

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL DATAMAP

HEART&SOUL
〒231-0014 横浜市中区真砂町3-33 CERTE11階
営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
JR関内駅徒歩より1分
地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

バックナンバー

 

Comments are closed.

ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

Page Top