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元気な100歳を目指してウォーキングレッスンを! 整体師でウォーキングインストラクターの五十嵐弘子さん

by staff on 2015/11/10, 火曜日

『元気な100歳を目指してウォーキングレッスンを!』~整体師でウォーキングインストラクターの五十嵐弘子さんに筋肉のバランスや正しい歩き方のこと、震災後に福島から横浜に移住してきたこと、そしてご主人の絵がフランスの「サロンドートンヌ展」に入選したことなど、長時間に渡ってお話しを伺いました。弘子さんの波乱万丈なhistory(?)いえher storyを聞かせていただきましょう!

整体師でウォーキングインストラクターの五十嵐弘子さん整体師・ウォーキングインストラクター
五十嵐弘子さん
 
お名前 五十嵐 弘子(イガラシ ヒロコ)
ご年齢 昭和22年12月生まれ
お住まい 2011年8月まで郡山市
現在は横浜市西区在住
ご家族 夫と娘2人
お仕事
  • ウォーキング・インストラクター・整体師
  • リフォマ・ウォーキング・ラボ主催
    横浜市西区高島2丁目11-2 スカイメナー横浜9F
著書 これからはプリンセスとお呼び!

ヒロコ’Sストーリー 「これからはプリンセスとお呼び!」

50歳までは普通の主婦をしていました。若い時から猫背でだったせいか歩き方が悪く、アゴを突き出し、膝を曲げ、肩を左右に揺らしながら歩いていました。50代半ば過ぎに経験した手術(小腸腫瘍)。麻酔から覚めた時に「生きていて良かった」って本当に思いました。

それまでは健康についてあまり意識してこなかったこと、自分のカラダに無関心だったことなど、三段腹のお腹の傷口を眺めながら深く反省しました(笑)。
手術の傷跡は、ビキニを着る歳でもないので気にならないとはいえ、健康で若々しい老人になりたいという思いが「自分を変えたい」「猫背をなおしたい」「キレイに歩きたい」など、ムリと言われそうなとんでもないことを熱望させました・・・残りの人生への焦りかな(笑)

主人の「最後のチャンスかも」との応援もあり(笑)、郡山から東京のウォーキングスクールに通いました。通い始めてわかったことは、体型が悪いと正しい歩き方ができないということです。

 

(クリックで拡大画像)


50代の頃の私、よく言う「Before」写真ですね(笑)

そして「きれいなプロポーションの人と自分はどこが違うのだろうか?」「どうしてこんなにも体型に差がでるのかしら?」と次々と疑問がわきました。

きれいなプロポーションの方を見つけては、歩き方や体型を観察しました。それから、自分の「歩き方」や「姿勢」をなおしてみると、筋肉のバランスが整えられ、バランスの良い筋肉は、人を若々しく美しく見せること、それが元気のもととなり自信となって「自分が変わる」ことが分かったのです。

そこから骨格と筋肉のしくみに興味がわき、整体学を勉強しました。向学心があるでしょう?!(笑)向学心よりも好奇心かしら?(笑)

そして、自分の体型を変えた独自の方法を「リフォマ」と名付けました。「リフォマ」は造語で「筋肉の“リフォメーション”」&「骨格矯正“マジック”」を略して覚えやすくした言葉です。
「セコムしてますか~」のノリで「リフォマしてますか~」なんて覚えていただけたらなと思い…(笑)
どんなマジックかと言うと、自分の手を使って、凝り固まってしまった筋肉を耕すように柔軟に解くことです。
「どーして歩き方をレッスンするだけなのに、体型を変えなくちゃいけないの?」の疑問には「歪んだ体では中々正しい歩き方が身に付かないの」とお答えしています。

郡山で2006年「ヒロコ ウォーキング アカデミー」というスクールを開きました。 生徒さんの中には、「リフォマ」を始める前の私を知っている人もいて、私のように変われるならと言って通い始めた中高年の生徒さんが中心でした(笑)。
生徒さん達も以前の私のように猫背、膝痛、腰痛など悩みを持っていて、健康でいつまでも自分の足で歩きたい、願わくば若い頃に戻りたい…皆さん健康や美の意識の高い方達でした。


取材の打合せ

 


出版記念パーティで

生徒さん達の要望もあり、私のメソッドを教本にすることにしました。日頃、体型について“トド”、などとやかく言って来る家族をギャフンと言わせてやりましょう!という意味で、2009年4月に「これからはプリンセスとお呼び!」というタイトルで、教本を出版しました。(笑)還暦過ぎの61歳の時でした。

郡山では人との繋がりにも恵まれて、出版記念パーティーを開いていただいたり、NHK福島を始め地元テレビ局への出演や講師として出張講座を持つこともありました。

その間、義兄や兄が癌を患い辛い別れがあり、主人までも2010年腎臓癌になり、改めて健康の大切さを痛感いたしました。主人は幸いステージが初期でほっといたしましたが・・・
その翌年のあの大震災が福島県や私達家族に深い爪痕を残し、私の人生も大きく変わっていくことになりました。

ヒロコ’Sストーリー 「そして横浜へ」

主人は、広告デザインの仕事と地方の企業に優秀な人材を紹介する人材紹介会社を経営していました。主人の病気を機に長女が心配して東京での生活を切り上げ、主人の手伝いをすることになり、次女も含めた家族四人で主人の仕事を手伝い始めました。
二人の娘は東京の大学へ進学させましたので、久々の家族全員の生活がとても嬉しく思っていた矢先に起きた震災でした。

福島県はご存知の通り放射能問題があり、当時は、先が見通せず、一番の心配は娘たちのことと会社のことでした。
郡山は内陸部にありますので津波の被害はありませんでしたが、原発の事故の影響で、仕事ができなくなってしまうのではと、不安を抱えていました。
「残るも地獄出るも地獄」家族で話し合った末に、県外へ出て外から福島を応援しようとの結論に至りました。
家族経営の身軽さがあったからできたのでしょうね。

「どうして『横浜』へ?」とよく聞かれますが、いつも答えに困ってしまいます・・・当初は東北自動車道沿いの都市を検討していましたが、どうせ移るなら東京を越えて横浜なんかいいね…何のあてもないままに勢いだけで決めてしまいました(笑)
さすがに住みたい町ナンバーワンの横浜は、街も人も本当に素敵なところで私達の勘もさすがと自画自賛しております。(笑)

「万事塞翁が馬」と申しますように、「60歳過ぎて、違う人生もいいのかな」と主人の言葉に、震災を凶ではなく吉にしていこう 故郷を離れ2011年8月31日に横浜へ引っ越してきました。

本当に人生は、予想も付かないことがおきるのですね。いわゆる想定外ですね(笑)

ヒロコ’Sストーリー 「希望の光」

知人がいるわけでもなく、思い付きで選んだ「横浜」だったので、土地勘もない田舎者には駅近くが一番安心と、住まいと会社を横浜駅東口近くに決めました。
そこで出会えたのが粋生倶楽部を主催する岩谷ゆり子さんです。住み始めたマンションのすぐ近くに岩谷学園があり、玄関先の「粋生倶楽部」のスタンド看板が気になっていました。

何の倶楽部かな?シニアの方の集まりかな? 恐る恐る訪ねて見ると、美しいご婦人が現れ、とても感じがよく「シニアの“学びと交流”のサロンです。」と応えてくれました。
「シニアの方にいつまでも“粋”に“素敵”に輝いて欲しいから」と講座の説明があり、私も同じ思いなので嬉しくなり、すぐ主人と一緒に入会させて頂きました。

横浜に転居したばかりで、右も左も不慣れな私にとって、専門家と歴史を訪ねて歩いたり、話題の商店街を散策したり、お薦めレストランでランチ会など・・・私が知りたい横浜の情報を教えていただき、その活動を通して素敵なメンバーとも知り合うことができました。

お陰さまで今ではすっかり横浜の暮らしにも慣れ、まるで生まれも育ちも横浜の“浜っ子”よろしく、長く横浜に暮らす友人に仕入れた知識を披露したりしています。


粋生倶楽部で講師

粋生倶楽部に私の「100歳元気講座」ができました。100歳まで自分の足で歩きたい方はご参加ください。CM(笑)

粋生倶楽部は私の横浜の灯台の光でもあり、水先案内船でもあります。
(粋生倶楽部:http://www.ikiiki-club.jp/

ヒロコ’Sストーリー 「友達作り」

早朝の臨港パークで、ラジオ体操を楽しんでいるグループがあります。ひどい台風以外は、毎朝6時30分のラジオに合わせて365日休みなしです。
たまたま早朝の散歩で臨港パークまで足をのばしたことがきっかけで参加するようになり、おかげで沢山の朝のお仲間もできました。私の家からは片道25分、往復で7200歩のいい運動です。
今年の6月で通い始めてから2年が過ぎ、主人も健康を取り戻し、すっかり元気になりました。車の生活に慣れきっていた郡山では考えられないことです。

今年は、粋生倶楽部でご一緒した寺井由紀子さんからのお誘いで、毎年9月に行われる「横浜カーフリーデー2015」のお手伝いをさせていただき、地域のボランティア活動をしている方とも知り合うことができました。寺井さん曰く「五十嵐さんが横浜に馴染めるようになれば」と・・・本当に横浜はいい方達が多い街です。

昨年末、郡山に残してきた自宅を売却して、今後もずっと横浜で暮らして行こうと決めたのは、出会った人達の優しさあってのことだと思います。

ヒロコ’Sストーリー 「夫のサロンドートンヌ展の入選」

基盤のないところで会社を維持して行くのは、やはり大変なことです。郡山の親戚や友人から、郡山に戻って来るようにすすめられたこともありました。そんな中、我が家に久しぶりに嬉しい知らせが届きました。
主人(雅号が魯敏)が描いた「流し雛」という絵画がパリで開催されるサロンドートンヌ展2014に入選した手紙です。

「流し雛」は、2013年に横浜で開催した個展で出品した「FUKUSHIMA」シリーズの一点です。昨年10月、主人と娘で、パリの展覧会場に入選の確認? に行ってきました。ちゃんと飾ってあったそうです・・・(笑)

「流し雛」
森の中に 小さな村がありました
子どもの祭りがありました
明日は旧暦の雛の節句
爺さまが 夜遅くまで藁(わら)をうち
細縄の帯を巻いて 人形をつくってくれました
できた人形の腹を開けて 婆さまがごっつおを詰めました
椿のかんざしも挿しました
誰がつくって あそこに置いたのか
大きな地震のあった日に 浜の発電所がこわれました
あれから みんな困りました
あれから父母は喧嘩ばかり
ほんとに ほとほと困りました
どこかで鉦(かね)を打つ音がします
そろそろ雛人形を 川に流す時刻
人形には 穢れ落しと 明日への願いをたくします
息災に暮らせるよう
早く漁に出られるよう 米や果実が実るよう
穫れた作物が売れるよう
毒の塵吐く炉など 早くなくなるよう
あの年から願い事が
やたら たんとふえました
人形は「ひきうけた」と言って
ぐんぐん川下へ流れていきました

 

(クリックで拡大画像)


(絵画/詩 五十嵐魯敏)

魯敏のブログ: http://ameblo.jp/igaken-koubou/

ヒロコ’Sストーリー 「100歳 健美寿命」

現在の平均寿命は、男性80.21歳女性86.61歳ですが、年々伸びているそうです。今や100歳以上の方が6万人もいる時代になりました。
しかし、元気に動ける“健康寿命”は、男性が71歳、女性も74歳と以外に短く“平均寿命”まで9年~12,3年は男女とも病気を抱えて生きているのが現実です。

私が横浜でやりたいことは、健康寿命を延ばすこととあわせて、健美寿命(けんびじゅみょう)という概念を普及させたてみたいと思っています。

健康で元気なだけでなく、100歳になっても美しく颯爽と街を歩ける、そんな美しいおばあちゃんづくりです。お洒落なイメージの街「横浜」にピッタリでしょう(笑)

体型を変える、姿勢を変える、歩き方を変える・・・ムリなようで意外と単純なことで実現できます。それは私の考案した「リフォマ」をすることです。

「リフォマ」は自分の“手”という鍬を使い、カチカチに固まってしまった“筋肉”という畑を耕すようによく揉み、ふかふかと柔らかい本来の身体に戻していきます。耕された畑には立派な苗が育つように、柔軟な筋肉も血液がよく流れ、栄養が隅々まで行きわたります。
それにより自然治癒力、免疫力が高くなります。
また「リフォマ」をすることで、関節も柔らかくなり骨格が矯正されます。

歳を重ねるうちに身体はどうしても、歪んできてしまいます。でも歪んだものは元に戻せばいいのです。
プロポーションは創るものです。いくつになっても変えられます!

「リフォマ」についてご興味のる方は私のサロンに遊びに来てください。続CM

リフォマ・ウォーキング・ラボ:  http://refoma.jp/
お問い合わせ E-mail:info@refoma.jp

 

(クリックで拡大画像)


98才の母といっしょに!


リフォマ・ウォーキング・ラボ

ヒロコさんにとっての横浜は?

「私にとっての横浜は、魔法のランプです」
アラジンのように、横浜というランプを摩って夢を叶えたい。

(インタビュー:高野慈子 資料提供:リフォマ・ウォーキング・ラボ/岩谷学園 粋生倶楽部)

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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