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高野慈子の「四季・色・贅・食」 第3話 戸部界隈の山歩き?

by staff on 2015/11/10, 火曜日

 

~掃部山・伊勢山(野毛山)・御所山・(久保山)~

私は東京の中野区生まれです。生粋のはまっこではない私が、ヨコハマNOWで横浜の話をしているので、郷土史家の方々や、横浜通の方々がお読みになられて「それ違うじゃん」と思われましたら、是非、教えてくださいませ。。。思い違いをしていることが沢山ございます。

さて、今回は私が住んでいる横浜市西区の戸部界隈のお話をいたしましょう。私が横浜に嫁いで来たのは約34~5年前 昭和55年頃のことです。
昭和55年当時、戸部は、東急東横線の「高島町」※という駅と、市営地下鉄の「高島町」駅、京浜急行の「戸部駅」が最寄り駅で、3つの駅に囲まれた交通の便の良いところでした。「当時」と言ったのは、今は東横線がみなとみらい線に乗り入れて、「高島町」の駅が無くなった※からです。 (※東急みなとみらい線の駅『新高島』がありますが、戸部界隈よりもみなとみらい地区側に近い所にあります。)

<ちょっと休憩>

高島町駅が二代目横浜駅だったことをご存知ですか? 高島町が、たった8年間だけ『横浜駅』だったのです。 赤煉瓦造りの東京駅にも匹敵する素晴らしい駅舎だったのですが関東大震災で崩壊し、横浜駅は現在の場所に代わりました。高島町でその遺構を見る事ができます。

国道1号線から野毛方面に抜ける横浜道が「戸部通り」と呼ばれる通りになっています。横浜方向から桜木町方向に戸部7丁目から1丁目となります。7丁目から1丁目に向けて緩やかな登り坂になっています。
昭和55年頃は、まだ三菱ドックがあり大勢の人が戸部通りを通勤に使っていました。戸部通りにはいくつかの酒屋があり、店先で立ち飲みができました。酒の肴はもっぱら「ゆで玉子」。早朝、戸部通りを歩くと、卵の殻が散乱していたものです。酒屋の朝は、竹ぼうきで掃除から始まりました。

そのころは銭湯も多かったです。仕事帰りに一風呂浴びて帰る人、寮やアパート生活で銭湯を使う人。。。寮と言えば、戸部通りの電気店、1日にテレビを30台近くも販売したことがあったとか。。。量販店が近くに無かった時代、3月~4月の異動シーズンになると、やたらと電気製品が売れたそうです。

三菱ドックの跡地は、横浜博を経てみなとみらい地区へと変貌を遂げていきます。この頃の戸部界隈は工事関係者や作業員で賑わいました。三菱ドック相手の町工場は、郊外へと移っていったものもありましたが、地元に残ったものは暫し安堵したものです。しかしながら整備が進むにつれて、みなとみらい地区内に食堂やレストランができ、駅ができて、人の流が変わり商売が成り立たなくなるものが出てきました。酒屋がなくなり、仕出し弁当屋がなくなり、銭湯が少なくなりました。冷凍・冷蔵・空調の部材の販売や施工工事をしている私の店を取り巻く環境も変わり、残留組としてはとても淋しい思いをしています。

<ちょっと休憩>

戸部通りには松島館という昔ながらの銭湯が残っています。銭湯の裏道脇には赤煉瓦の物置があり薪に使うと思われる木材が山積みされ、三輪トラックが駐車していました(トラックは今もあるのでしょうか?) 戸部駅近くの記念湯はスーパー銭湯並みのバラエティに富んだ浴槽を揃え、コインランドリーや居酒屋などの多角経営で頑張っていますよ!

戸部通りから東に入ると、掃部山、伊勢山(野毛山)、西に入ると御所山、久保山と『山』がついた地名だらけです。実際に歩いてみると戸部界隈は坂の多い所です。

掃部山公園には戸部通りと岩亀横丁から坂を登って行くことができます。岩亀横丁には以前ヨコハマNOWでご紹介した『岩亀稲荷』があります。
http://yokohama-now.jp/home/?p=6365
掃部山公園には日本の開国・近代化を断行した井伊掃部守直弼の銅像が横浜港を見据えて立っています。
(今は埋立地みなとみらい地区の高層ビルが邪魔して港は見えなくなりましたけど・・・)
掃部山は、夏には『虫の音を聞く会』や地区のラジオ体操に使われたり、野立ての会などが行われ市民の憩いの場になっています。

掃部山から能楽堂を経て伊勢山に出ることができます。横浜の総鎮守伊勢山皇大神宮が出来て、野毛山が伊勢山と呼ばれるようになりました。横浜の掃部山と伊勢山に挟まれた青少年センターに神奈川奉行所跡があります。伊勢山から桜木町方向に下りると野毛町になります。市民の憩いの場である野毛動物園へは野毛の切通しから坂を上って行きます。

 

(クリックで拡大画像)

野毛の話はまた別の機会にするとして、神奈川奉行所跡から「御所五郎丸(ごしょごろうまる)」が名の由来の御所山を経て藤棚方面に歩くことにしましょう。そうそう、御所山には地元の人から「おばけ段々」と呼ばれる急な階段があります。「おばけ階段」でなく「おばけ段々(だんだん)」です。私の子供達は近道だと言って、この段々を上って「戸部幼稚園」に通いました。御所五郎丸の墓は戸部幼稚園の近くにあります。

さて、御所山から藤棚へ歩く途中に「くらやみ坂」があります。古地図によれば、奉行所からはほぼ直線距離にあり、ここに「戸部刑場」がありました。 島田荘司氏のミステリー小説「暗闇坂の人喰いの木」の「暗闇坂」がこの坂です。処刑場の跡地は小さな祠のある公園があるだけ。。。既に、官舎や個人住宅が建ち並び、小説のタイトルにもなった「人喰いの木」なる大きな楠の木の姿は無く、「くらやみ坂」という名から受けるイメージとはずいぶんとかけ離れた感じです。

近代化の歴史は刑場跡という形跡を残したくなかったのでしょうか? それとも宅地開発の妨げとなったからでしょうか? 鬼怒川の任侠人が建てたといわれる慰霊塔は場所を移されて、平沼水天宮に近い、久成寺の境内に柵に囲まれて立っています。くらやみ坂にあった願成寺も少し場所を移しました。願成寺の境内には戸部刑場で処刑された鳶の小亀(※注1)の墓と清水清次・間宮一の墓(鎌倉事件)(※注2)があります。郷土史家によれば、当時、処刑された人は投込み墓に入れられるのを住職が哀れに思い墓をつくり弔っていたとのことです。

<ちょっと休憩>

開港当時の横浜みやげとして戸部刑場の磔の写真や晒し首の写真を外国人が買いました。そこで写真は絵葉書にもされたということです。(写真をご覧になられたい方は『戸部刑場』で画像検索をすると見ることができます)

くらやみ坂を上って久保山方面に歩くと小さな寺や葬儀場、石店が目立ってきます。久保山は山全体が葬儀施設と墓地になっています。山手の外人墓地と対して日本人墓地が久保山です。

昭和55年から始まった私の話はとりとめもなく・・・時間を彷徨ってしまいました(苦笑)

さて、2015年に戻って、藤棚商店街に今年新しい映画館ができました。『シネマノヴェチェント』は客席数が28席という小さな映画館です。この映画館についてはいずれ「ヨコハマNOW」でご紹介いたしましょう。

<ちょっと休憩>

私がこの記事を書いたのが、2015年の10月4日(日)のことです。翌5日に産経のWEBニュースで映画雑誌「スクリーン」を発行していた出版社、ケーイー(東京)が東京地裁から破産手続きの決定を2日に受けたことが発信されました。雑誌「スクリーン」は私の憧れの雑誌で、毎月は購入できなかったけれど、ファンのスターが表紙の時は、本屋に買いにいったことを思いだしました。尚、「スクリーン」は、別の出版社に引き継がれるとか。。。(?)

横浜の「山歩き」はいかがでしたか? あなたも掃部山・伊勢山(野毛山)・御所山・を歩いてみませんか? (ああ、久保山はお墓ですから。。ご注意を!)

※注1)鳶の小亀:慶応2年、酒に酔った2人のフランス人水兵が、現在の横浜公園にあった港崎町の遊廓(岩亀楼か?)に入って遊女に乱暴を働いた。水夫たちをその場にいた力士の鹿毛山が取り押さえ、駆けつけてきた鳶の小亀(亀吉)が持っていた鳶口で殴打、1人が即死した。小亀は鹿毛山をかばい下手人として処刑された。

※注2)清水清次・間宮一の墓(鎌倉事件):詳しくはこちらをご覧ください。
鎌倉事件 – Wikipedia

高野慈子プロフィール

 

2014年10月に還暦を迎え、ますます元気なおばちゃんです。
実家はレコードの小さな町工場でした。
音楽家の多いファミリーツリーの中では、異色の人生を送っています。
アリゾナに1年間英語の勉強に行きましたが、素晴らしいインディアンに出会い、自然体で生きることを学びます。いろいろなボランティア活動・反戦活動を始めたのもこの頃かしら?

学生時代、弁論部だったことがあり、多くの政治家の選挙運動のお手伝いをしたことから、政治・経済にも強い関心がある「おばちゃん」。
アメリカから帰国し、OL時代は会社に内緒で訳詩・作詞のアルバイトをしたこともありました。また、OL時代は某会の映画モニターになり、某映画評論家の会にも入っていました。

横浜で一番古い冷凍・冷蔵・空調・エアコン部材店の高野商店に嫁ぎ(店と結婚したわけではないけど。。。)「冷たくしてごめんなさい」をキャッチコピーにして日々頑張っています。

2001年から2010年まで、中小企業の集まる会に所属し、そこで知り合ったIT業界の人からツイッターやfacebookを知り、facebookでは「高野家夫婦の会話から」が笑いを取っています。
その人の娘さんが作曲家で、「青虫もんじろちょう」が子ども向けの曲となり、ユーチューブにアップされています。(安希子はペンネーム)

2015年現在、本業の他に、NPO横浜カーフリーデーの副理事、ヨコハマNOWのプロデューサー、神奈川ドイツワイン協会のメンバー。

映画とオペラとミュージカルが大好き、ジャンルを問わず、JAZZやロック、シャンソン、ラテン音楽のコンサートやライブに顔を出し、頑張っている音楽家を応援しています。京都人の父と新潟人の母のDNAを受け、東京生まれ、埼玉育ち、横浜暮らしの「おばちゃん」です。

facebook:https://www.facebook.com/go.yasuko.gogo

あおむしもんじろちょう:

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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