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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第41回 第6章 社会人編 13

by staff on 2015/11/10, 火曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

横浜、街と風(社会人編) 27(42)

(続)俺たちが歌うビートルズ

キャッツウォークに出演交渉を取り付け、次はテレビで見たビートルースですが、まだネットもない時代でしたので直接テレビ局に問い合わせ事情を説明して連絡先を教えてもらいました。電話に出てくれたのは確かキーボードを担当していた人だったと思いますが、コンサートの趣旨を説明し主演をお願いしたところ、残念ながらベースが仕事が忙しくなりバンドを抜けるので解散することになり出演は無理だということでした。その時わたしの頭にラバーソウルのマスター鈴木くんの顔がふっとひらめき、「私の知り合いにポールのパートならなんでも出来るすごい男が居るのですが、その人と一緒にやることはできないでしょうか?」。その後鈴木くんの了解を取り付けルース側と双方を引き合わせ何度も交渉を重ねて新ビートルース結成に至ることができました。これでやっと出演者が揃い、コンサート企画会社にお願いし関内ホールの抽選で大ホールを抑え、いよいよ実現の運びになりました。

この当時、地球環境問題が最初に話題になった頃で、私も本を読んで衝撃を受けて、何かこの為に何かできないかと考えていました。ちょうどポールマッカートニーがソロ初来日が実現の時で、彼は今回のコンサートでツアーで地球鑑賞問題のために活動している「フレンドオブジアース(地球の友)」を応援すると言っていたので、我々もこのコンサートの収益をすこしでも寄付したいと思い地球環境のために頑張っている団体に寄付しました。

それから1100枚のチケットを売る日々が始まりました。神奈川新聞では紙面1枚で大々的に取り上げていただき、TVK神奈川テレビでも生出演させていただき、そして出演者全員一丸となって何とかチケットを完売しコンサート当日を迎える事が出来ました。

続々俺達が歌うビートルズ

関内ホール以前にも何度か出演したことがありましたが、発案・企画から出演までこなすのは初めての経験でした。鈴木さんに紹介していただいた東京ビートルズファンクラブからビートルズ本人が着ていた衣装やレア物のレコードなどがロビーに展示され、専門の司会が登場しデビュー前のビートルズを再現するトップバッターのキャッツウオークを紹介! やはりカッコイイ!! 黒革の上下にリーゼント、キャバーンに出演していた頃のワイルドな世界が展開しました。そして我々の出番。プリーズプリーズミーを始めヒットナンバーを次々演奏すると、お馴染みの曲の連発に場内はいやが上にも盛り上がりラストはのっぽのサリーで締め。そしてトリのビートルースがサージェントペパーズの衣装で登場した時には城内割れんばかりの拍手で、ラストのアビーロードメドレーからジ・エンドで感動のラスト。この時には私自身も自分が描いた夢の達成感で胸が熱くなりました。アンコールでは全員がステージに上り大セッションのツイスト&シャウトで幕を下ろしました。

その後キャッツウォークはメンバーチェンジしてビートメンという名前で活動していたようです。そしてビートルースはこれを機会にこのメンバーで活動を始められ(若干メンバーは交代)、数枚のCDをリリースし全国ビートルズコンテストでは地区大会を勝ち抜き本大会において準優勝。審査員のジョージマーティンを驚かせたア・ディ・イン・ザ・ライフで特別賞を獲得しています。彼らは現在も活動中、鶴見のラバーソウルなどで後期ビートルズを完璧に再現してくれてます。

喉の異変

風邪をひいたりして我々が休む時は大変です。まず代わりをできる人がなかなかいません。又、いたとしても、そういう人はちゃんとかっきり仕事をしていますので、スケジュールが合いません。しかもこの時代カラオケやなんやで同業者がどんどん廃業に追い込まれている頃で(エキストラの略だと思いますが業界用語で替りのミュージシャンを”トラ”といいます)、トラを見つけるのは至難の技でした。仕方がないので、たとえどんなに熱があろうと、はってでも仕事に行きました。風邪で声が出ないときは本当に大変でした。昔のミュージシャンの先輩たちはみんな体育会系だったので、ちゃんと腹から声が出てればどんな時だって歌は歌えるんだとよく叱られましたが、こういう時は自分との戦いです。出ないと思った瞬間に声は本当に出なくなります。ただ本当に腹から声を出せば出るんだと自分に言い聞かせて頑張るしかありません。すると何とかなるもので、どんな時でもある程度声は出ました。それは勿論鼻声だったりすれば少々おかしい声ですが、自分が思っているほどは周りはひどいとは思わないようです。

順調な日々が続いていましたが、ある日喉の調子が思わしくありませんが、かすれてなかなか元に戻りません。又、ある音域になると音をコントロールしづらくなりました。こういう時はしばらく休むと治るのですが、替りもみつからないので、無理をして出ているうちかすれ声がひどくなり裏声が全くでなくなりました。こんな事は初めてでした。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック編2)

1955年代と言えばロックンロールが誕生したと言われる年。ロックンロールとはなんでしょう? それは黒人達の間に発展したブルースと白人たちの間で発展したカントリーの融合です。それ以前は黒は黒、白は白、ほとんどの人々が他の人種の音楽には理解を示しませんでした。ロックンロール誕生以前を、少しマニアックになりますが、差別の激しい南部の貧しい環境から育っていったブルースから見ていきましょう。そしてそれらの中心には常にギターがありました。

デルタ・ブルース

差別の激しい南部の貧しい環境から生まれたブルース。ギターを覚えた黒人たちが生ギターによる弾き語りで悲しみや欲望を歌にしたのが口伝えに伝承していくうち、ブルーノートという音階が生まれ、延々と続かせる事が出来るシンプルなコード進行による12小節繰り返しというスタイルが生まれました。1903年米国南部のミシシッピを旅行中だったW.C.ハンディという人が偶然これを耳にし譜面にして広く世間に知らしめたそうです。これらはミシシッピ・デルタ・ブルースと呼ばれ右手親指がベース、他の指でメロやコードを弾くフィンガリングスタイルや、親指を人差し指ピックをはさみ後の指で和音を弾くスタイル、しかし複雑でとても理解不能です。べースを開放弦で鳴らせる為プレイキーはシャープ系がほとんど。やがてチャーリーパットンという人が瓶の口などを用いて初めてボトルネック奏法を編み出しました、

デルタブルースと並び称されるのがやはり南部のテキサスのテキサス・ブルースで、初期にはブラインドレモンジェファーソン、そしてライトニンホプキンス、Tボーンウオーカーなどがいます。

ロバートジョンソンやエルモアジェームスなどこの時代の演奏はみんな個性的で、コピーしようとしても一筋縄ではいきません。特に我々には到底真似することができないのが黒人独特のリズムと “間”。これにつきると思います。

また、こんな時代にすでにボトルネック奏法が完成されていたのには驚きです。

しかしサウンドはかなり泥臭く、好きな人には良いですがそうでない人には長時間は辛いかもしれません。しかしロックもヒップホップも現在のポピュラーミュージックの原点の一つはここにあるのです。

チェスレコード

40年代から50年代にかけて楽器の発展に伴いエレキギターが登場。バンドと演奏しても引けを取らないボリュームになり、より広い場所で演奏できるようになりました。デルタブルースを継承する若者の中には都会に憧れ上京する人も数多くいました。マディ・ウオーターズもその一人で、シカゴのレーベル、チェスレコードで録音されデビューし、大人気になりました。

映画「キャデラックレコード」をご覧になったでしょうか? あれはこのチェスレコードがモデルです。

他にもハウリン・ウルやビヨンセが演じたエタ・ジェームズなどこれらはシカゴ・ブルーズと呼ばれブルーズを広く世に知らしめました。

この頃はまだ黒人社会においてのみですが。これが60年代には海をこえてイギリスの若者に多大な影響を与え、ストーンズらによってすっかりブルースを忘れていたアメリカの黒人やブルースを知らなかったアメリカの白人たちに逆輸入の形で影響を与えます。この頃になるとサウンドもかなり洗練されてきてバンドサウンドも原型が確立していきます。ロックに欠かせないリフなどもこの頃に確立されたのではないでしょうか。そしてこの後、同じチェスレコードからロックの革命児チャックベリーが登場するのです。

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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