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横浜スケッチ(第9回) 横浜開港資料館のたまくすの木

by staff on 2016/1/10, 日曜日

ペンネーム 成見 淳

ペリー提督・横浜上陸の図 リトグラフ
by ヴィルヘルム・ハイネ
横浜開港資料館所蔵
「たまくすの木D」水彩F4
by 成見 淳

いきなり絵を冒頭に持ってきて、しかも歴史上の有名な画家ハイネの絵と私のスケッチを並べるという大胆な発想は、今月のテーマとそれにまつわる思い出を提供していただいた方のもので、私には思いもよらない事でした。

先月のテーマは海岸教会でした。今月はその海岸教会のお隣、横浜開港資料館の「たまくすの木」です。見事につながっていますね。(ちなみに牧師さんと資料館の館長のお名前が同じ上山様と気が付き、念のため資料館で伺いましたが姻戚関係はないそうです。)

正面奥が横浜海岸教会。右手前のサインのあたりから右向きに座って描きました。たますくの木はこの絵の右手にあります。 「たまくすの木C」。左の絵のサインのあたりから右向きに座って描きました。
二日間とも隣の県庁特設ステージからのAKBのライブを聴きながら。

海岸教会が設立されたのは1872年、明治維新の4年前。それをさかのぼる1854年にこの大木の間近で歴史的な日米和親条約 が締結され、米艦隊の随行画家ハイネの『ペリー横浜上陸図』にも、応接場とともに描き込まれていますから、たまくすの木は江戸時代から既にこの地にあったようです。浮世絵にも描かれていますから国籍を問わず絵心をそそる木だったのでしょうね。1859年横浜開港、1866年大火で焼失するもイギリス領事館で再び芽を吹き返し、さらに1923年関東大震災で大きな被害を受けるもまたしても復活、という驚異的な生命力で現在もこの地に立っています。(10mほど移設されましたが。)

この歴史の重みを踏まえながら描く前に、このテーマを推薦していただいたYさんに推薦理由や思い出を伺いました。

「私がハイネの日米和親条約のもようを描いた絵を初めて見たのは、1976年高校生でアメリカ留学していたときでした。アメリカは1776年にイギリスから独立を果たし、当時ちょうど建国200年祭。大いに賑わっていました。クリスマスプレゼントにホストマザーがTHE STORY OF AMERICA という、記念発売された百科事典のように分厚い本をくれたのです。200年しかない歴史が詳しく載っていて、星の数がだんだん増えていった星条旗の歴史なども詳しく載っていました。日本との関係の記載箇所が気になって探してみると、この絵がありました。日米和親条約の様子が描かれたものが残っているのかとびっくりし、その時を描いたものは世界に他に存在しないだろうと思い、その後、ずっと脳裏に残っていました。ハイネの絵では凛々しく、整列するペリー代表団と500名の将兵に対し、おろおろして、ひそひそ話でもしているような侍の姿が描かれでもいるのが対象的だと思いました。そして右端に緑の葉が茂った大きな木が描かれていました。
この日から日米関係が始まり、日本も鎖国が終わり、世界に再び門戸を開き、明治維新、近代化への歴史が始まったとても重要な日です。ハイネの絵はそれを描いた絵です。

そこに描かれた大きな木がまだ存在しているとわかったのは、結婚して、横浜に住み始め、ハイネの絵を見てから十数年近くたった後のことです。
英国領事館として長年使われ、今では横浜開港資料館と使われている場所にあります。
まだ、英国風の庭園の面影が残るなかで、力強く、生え、大木となっている楠木です。
関東大震災で、木は焼けてしまいましたが、根が残っていたので、再び力強く、生え始めたのです。2009年の横浜開港150周年記念祭では「タマクスの木」として、話題になりました。
私も米国留学後、微力ながら、日米友好、国際親善に関わりたいと願ってきました。私にとってはシンボル的な、木、場所です。」
このように、その思い出と心境を語っていただきました。Yさんは世界コマ大戦で渡航申請書類作成、通訳と大活躍された方です。

先月の横浜海岸教会の中で、アメリカ人宣教師が日本人と協力して作った教会を、教会の屋根に上ってアメリカが落とした焼夷弾から守り、教会の鐘の供出を「アメリカから贈られた愛の鐘を鉄砲の弾にして返すことは出来ない。」と拒み投獄された日本人牧師の話を紹介しました。
そして今年の初めに、日米の開国のはるか以前から、文明開化、不幸な日米開戦、日本の敗戦とアメリカの進駐、戦後の復興発展と常に日米関係を見守って来た、横浜開港資料館中庭の「たまくすの木」を紹介しました。
人間の命は有限ですが、「たまくすの木」が残るように、ハイネの絵も永遠に残るでしょう。そして国籍、民族、宗教を超えて人と人、文化と文化がつながって行くことを願いつつ2016年の横浜スケッチの始まりとします。

アメリカの地でハイネが描いた絵でこの木のことを知り、帰国後奇跡的に残っていたこの木と十数年近くたってから巡り合い、長年日米友好・国際親善に努力され、そしてこのテーマを提供していただいたYさん。ありがとうございました。

参考資料:横浜開港資料館はじめたくさんあります。検索してみてください。

お知らせが2件あります。

  1. 「津久井湖ゴルフ倶楽部会員二人展~津久井を描く」
    新年早々の1月16日(土)より2月29日(月)まで、津久井湖ゴルフ倶楽部至近のピザハウス、「ドリームファーム」で二人展を行います。イタリアの世界ピザ選手権で優勝経験のある梅沢社長のお店です。
    詳細はこちら⇒ または こちらから⇒
  2. 「第6回水曜・季彩会展」
    私が師事している水曜・季彩会会員による展覧会が2016年3月21日(月)~27日(日)に、横浜市民ギャラリーあざみ野2階展示室で開催されます。私も出品します。

なお、ここに掲載いたしました映像は著作権法で保護されており、横浜開港資料館の許可をいただいたものです。転載等一切お断りいたします。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 - 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に60年以上在住。いわゆる浜ッ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い) 。忘れやすい。(最近特に)
趣味 絵画(スケッチ、油彩、水彩)ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
フォルクローレ(アンデス音楽、ケーナ、サンポーニャ演奏・・・だったが、今はたまに聴くだけ。
年1回(と決めているわけではないが)の海外放浪の旅。
(心の洗濯:すぐ心が汚れやすいので。)
ゴルフ(1979年にホールインワンをしたことも。神奈川県津久井湖ゴルフコース、最近は月2~3回、ハンディキャップは全盛期13だったが、この頃は何とか10代後半。)
退職後は散歩や庭を眺めたり芝生の雑草を取ったり。
2015年作曲を始める。

 

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