Skip to content

2016年3月 三ツ池だより 「地方創生を考える」

by staff on 2016/3/10, 木曜日
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

日ごとに暖かくなる。もうそこに春がきている。
地方創生の件で石破国務大臣の話を聞く機会があった。「ある町に旅人が立ち寄った。その時にそこに住む人がどう言うか。“何にもないところによくきたね。なんにもないよ”それを聞いて旅人は帰っていくしかない。それでいいんだろうか。日本はすみずみまで水があり、森があり、畑がある。言い伝えの物語もある。そんな国は世界中探してもそうあるものではない。その町に住む人が自分の町に自信を持たなければいけない。“おれの町はこんな町だ”と言えるようにならなければいけない。」

道路行政を見てみたい。どーんと大きな道が造られて、それで便利になったと言われる。それでいいのだろうか。幹線道路があって、そこから緩やかに生活道路になる。その先に森があり水が流れている。たとえば人間の体を考えてみよう。大動脈があって、毛細血管が体の末端まではりめぐらされている。体が大動脈だけでは大変なことになる。少しぶつかっただけで血がとびだしてきてしまうだろう。体中が毛細血管だけでは、今度は末端まで血が届かないだろう。中央にポンプがあって、大動脈で血を流していき、支流はだんだん細くなっていく。道路行政でいうならば、幹線道路と生活道路といったものだ。幹線道路だけ手入れをすればいいのではない。生活道路にも注意を払わなければいけないのだ。

地方創生を考えるときも、都会は地方のためにあるわけではなく、地方は都会のためにあるわけではない。そこに生活するということはどのようなことを意味するのだろうか。森のなかにいたら森との共生、海にいたら海との共生を! では、都会にいたらどのようなことになるのだろうか。そして都会とはなんなのだろう。都会には何でもあるという。そうだろうか。ものがあつまってくるところであることは間違いない。しかし度が過ぎると、周りが疲弊してしまう。マザーテレサは東京をみて東京砂漠といった。都会のなかで孤独死していく人がる。

生命を維持していくためには酸素と食料が必要である。その源は地方にこそある。水にしても当然都会に運ばれてくるものなのだから、都会が正常に動くためには地方の健全な存在こそが求められるのだ。地方が壊れていく原因は都会にこそある。だから都会に住むことと同時に、地方にも住むことが求められている。命の洗濯に地方へ戻るのだ。「あなたにそんなことができるのか?」といった問題提起がされそうだ。できそうにないことを実現しないといけない時代になってきている。悠久の時間の中で限られた時間を意図的にかえていくのである。

大国と小国の関係もそうだ。大国は消費で小国は供給なのでもなく、小国は大国に守られているのがいいわけでもない。大国の役割と小国の役割とはどんな関係になればいいのだろうか。地球規模でどのように考えたらいいのだろうか。アフガンで水路を開く人がいる。台湾でダムを建設した人がいて、砂漠に植林をし続ける人がいる。

進歩という名のもとに自然を破壊してきた。文化という名のもとに新しいものをどんどん取り入れてきた。進歩や文化についてこられないものはおいてきぼりになり、そして保護される形をつくってきた。今しなければいけないことはなんなのだろう? 失われた機能を取り戻していくこと、たりないものをお互いに補い合っていくこと、そして地球との共存なのではないだろうか。

人の一生はいろいろあるけれども
  さまざまな関わり合いがある
   そのかかわりこそが生きることである
    あきらめるのではなく
     かぎりなく関わりをもつこと
      つきてしまっていることではなく出番なのだ
       出番は待つのではなく
        自分でつくりだしていくのだ

地方創生はそういった意味で大きな冒険であり、実験だ。リスクを分散しながら、それぞれ末端の組織の役割に目を向けていくのだ。それは教育の問題であり、指導する立場の意識の改革である。地方活性化といえば補助金が出てくる。補助金行政が既得権益の確保になってしまうのでなく、地域の代表者の利益隠しにするのではなく、地球と共存することの意義を理解し、森と水の豊かな供給を共に夢見る役割分担のための費用なのだと!

地球を守るのだという発想が起きれば若い人も理解できるだろう。実際にIターンを志しながら、「そんなことできやしない」という地元の長老との行き違いなどで戻ってくる例もある。若い世代だからやれることを考えると地方創生も面白くなる。では行政はどのような役割を持つのか。励ましであり、理論づけであり、見守っている姿勢である。

千枚田を見るたび、水を順次落としていく先人の知恵に驚く。小さな労力しかないからできたことである。小さな力しかない時代にあの大きなピラミットを作り上げた知恵の素晴らしさを思う。偉大なる自然のいとなみの中で力ない人類が何を行おうとするのか。それはただひたすら自然を敬うことであり、命のバトンを渡していく、現世にいきる私たちの命のはぐくみなのである。

 

龍の目のかしこき輝き二月尽
横須賀 詢
狛犬の阿吽の像や春日向
横須賀 詢

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

Comments are closed.

ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

Page Top