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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第46回 第6章 社会人編 18

by staff on 2016/4/10, 日曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

<ご注意>
最近お店にいらっしゃるお客様から「原さん喉の具合が悪いんですってね、ヨコハマNOWで見ましたとよ、大丈夫ですか?」と言われます。 “横浜、街と風”はヨコハマNOWさんに投稿させていただいてる私のヒストリーで、25年以上前のお話です。連載ものなので過去の記事を読まずに読んでしまうと誤解される事が多いようようです。
現在は喉の調子も快調ですので、そうぞ誤解のないようにお願いいたします。

 

横浜、街と風(社会人編) 32(47)

自問自答

3年ほど続いたドゥ・ミュージック・スクールでしたが、これ以上続けるためにはミュージシャンとの2足のわらじでやっていくのはもう限界があると感じていました。

正直自分の時間も作れないし無理なスケジュールで体もそろそろ限界を感じていたし、そんな心の反映か少しずつ生徒さんの数も減少していき、スクールを続けるならば音楽の仕事をやめ運営に集中しなければやっていけないと考えるようになりました。

どこか場所を借り完全に音楽学校を立ち上げそれでやっていくのか? それで家族を養い食っていけるのか? 自分自身の音楽活動をやめられるのか? それでお前はいいのか? 自問自答の毎日が続き時間が過ぎて行きました。

このころ自分の中でもう一つ昔から密かに抱いていた夢があり、小さくてもいい自分の店を持ちそこで好きな音楽を演奏していきたい、もしくは好きなレコードをかけて同じ世代の人たちと時間を共有したい、そんな夢でした。悩みぬいた末、結果行き着いた先は “いつか自分で店を持ち声が続く限り歌を歌い続けたい” という思いでした。その為にドゥ・ミュージック・スクールをやめる決意をします。

閉校を伝えると「えー! やめちゃうんですか?」 最後までいてくれた生徒さんたちには今でも本当に申し訳なく思っています。「でも私たち再開したらいつでも来ますからね」の一言が本当に嬉しかった。そんな生徒さん達は今でもお店に来てくれたり良いお付き合いをさせていただいたりしています。ここで人を教えることの難しさ、喜び、辛抱、教える課程を人に合わせて考える事などを学びました。これは今でも自分の宝ですし、お店をやってからも大いに役に立ちました。

決断

正にそんな時期に、ある日働いていたお店のマスターHさんとYさんから「原さん、お店を貸したいという人がいるんだけどやってみない?」と話がありました。しかもHさんYさんが「やるなら開業資金を貸しますよ」というお話。お店を見てみると17坪くらいの小奇麗なお店で、自分が貯めていたお金と合わせればいけるかもしれないと思いました。まるでタイミングを計って天から降ってきたような話。場所もHさん達の店の真ん前で、そのお店でも演奏しながら自分の店と掛け持ちすれば収入も助かる。しかし果たして自分が店なんか経営していけるんだろうか? 失敗したらすべてを無くし借金だけ残り家族共々路頭に迷うんじゃないかとか、リスクばかりが頭をよぎります。家内に相談すると「やったらいいじゃない!」と一言。この一言に背中を押されました。

ただ、お世話になったハーバーガイズをやめなければいけない事が心の気がかり。駆け出しの自分を拾っていただき、15年間面倒をみてくださったM社長。いつも自分の音楽を聴いてくださり、時には厳しく自分を育ててくれ、愛してくれたハーバー常連のお客様たち、たくさんの企画ライブやイベントや社員旅行、大掃除や事件、バブルの時代には行列ができるほど忙しかった事、そしてドゥ・ミュージック・スクール、30坪のスペースで作られたたくさんの思い出とお別れしなければいけない。。。また、自分がやめた後ハーバーガイズは大丈夫か? と心配もありました。しかし後戻りはできません! 意を決しM社長に自分で店をやりたいので3か月後に辞めさせてくださいと告げました。するとM社長は一瞬驚いてだまりましたが、すぐに「分かった、頑張ってやれ!」と一言。

引き留める事もなく男らしい一言に今でも感謝しています。

ここで自分の新しい道が決まりました! 1997年の2月のことでした。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック男性編4)

今回は、60年代初期モータウンの成長期を支えた偉大なるアーティストをいくつか取り上げたいと思います。

マービン・ゲイ

ため息が出るような美声と歌唱のテクニック。端正な顔立ちとほとんどの黒人女性を虜にしてしまうセックスアピール度。そして、モータウンや黒人音楽の歴史に大きな足あとを残した作品を生み出した輝かしい功績。天は二物どころか三物も四物も与え、彼にこの世界で大きな仕事をさせました。

マービンは牧師の家に生まれ小さい頃から聖歌隊で歌い共にドラムやピアノを習得していきました。成人後、空軍を除隊後、ドゥーワップグループに参加。この頃社長のベリー・ゴーディにスカウトされモータウンに入り、ソロとしてのキャリアをスタート。当初はスタジオ録音のドラマーとしても活躍していたようですからかなりの腕前だったようです。ソロシンガーとして出したシングルも、やがて好調に売れ出して、人気者になり営業的にも初期のモータウンを支えました。

この頃会社の営業戦略の一環として女性シンガーとのデュエットを企画しこれが当たります。特にタミー・テレルとのコンビが彼の人気を決定づけました。タミー・テレルは可愛らしい容姿に加えその声が実にチャーミング。マービンとの相性も抜群で数枚のアルバムを残しています。しかし、コンビが絶頂のさなか突然タミーが脳腫瘍に冒され帰らぬ人となり強いショックを受けたマービンはしばらく音楽活動ができなくなってしまいました。

♪ 「Ain’t No Mountain High Enough」/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル

活動休止中、今までの音楽活動を見直し疑問を持っていた彼は、ベトナム戦争から帰還した弟の話を聞き、新しい自分の音楽の方向性を確信、アルバム「ワッツ・ゴーイング・オン」の制作に取り掛かります。そうして完成した作品は当時の黒人音楽としては珍しいアルバム1枚でテーマを表現するコンセプトアルバムで、内容は激化していたベトナムへの反戦、地球環境汚染、貧困などの社会問題でした。これを聞いたベリー・ゴーディはじめ会社側は猛反対。今までモータウンは全て分業作業で、作詞作曲はその道のプロがやるのが常識。しかも、黒人の会社として成功し地位を確立したモータウンが、白人社会にあえてリスクを負う社会問題を扱うなどともっての他の事でした。マービンは強硬にこれを押し通し、アルバムをリリースしました。こんなアルバムは売れるわけがないとタカをくくっていた会社側を尻目に、アルバムは大ヒット。これにより自分でメッセージを込めた曲を作り、アルバムで表現するというスティービーなど、後進のモータウンのアーティスト達に道が開かれました。

♪ What’s Going On – Marvin Gaye (Greatest Hits – Live In Amsterdam)

アルバム「ワッツ・ゴーイン・グオン」はサウンドが斬新でした。ランニングするベースラインを軸に、大きくうねる16ビートのリズム、それに絡むアフロアフリカンを象徴する楽器コンガなどのパーカッションをフューチュア、それにメロディアスなストリングスが厚く重なるという個性的なサウンドを確立しました。これはニューソウルと呼ばれ、これ以降のソウルにおいて多大な影響を与えています。又、マービンの声がその心情、悲しさ、切なさ諸々の感情を見事に表現しています。(以前ネットで流出したワッツ・ゴーイング・オンの声とコンガだけのアカペラトラックを聞いた事がありますが、これだけで他の音は何もいらないと思わせるほど感動的で見事でした。又、その音程の完璧さにも驚きました)

こんな凄い作品を作っておきながら次に出したアルバムは180度趣きを変え、男女間の愛や性を赤裸々に歌った「レッツ・ゲット・イット・オン」。ありゃ? という感じですがこれはこれで最高の名作。マービンの表現力の幅広さと言うか彼にしか成し得ない技かもしれません。個人的にはこの路線で作られた「アイ・ウォント・ユー」のアルバムが一番好きですが、、、

黒人ボーカルの魅力の聞き方の一つにエロさがあります。どれだけセクシーかエロいか。マービンはズバリ、エロい! でもそのエロさの中にエレガントな品があります。「アイ・ウォント・ユー」を聞いていると最上級のホテルで最高の女性と過ごしているような気分にさせてくれます。その筋肉の張りや汗までも感じさせるような声、男が聞いてもそう思うのだから女性からしたらたまらないと思います。

♪ I Want You – Marvin Gaye

私の青春時代に熟聴したダイアナ・ロスとのデュエットアルバムはソウル史上最高のデュエットアルバムだと思っています。音楽史上頂点を極めた声と声が絶妙に絡む贅沢。企画物で作られたアルバムで曲はほとんどカバーだし、多忙な二人の為最初にダイアナが声を入れ後日それにマービンが合わせた形で録音されるという形で録音されたにも関わらず、息の合った絶妙なハーモニーを聞かせてくれています。彼の声は表声だけでも大変な音域ですが、又、裏声を絡ませることによって低音から高音まで幅広い音域を駆使する事ができました。そして、又、表現力豊かな声の色をいくつも持っていてそれを見事に使いこなし女性の声に溶け合わす事が出来ます。

そんなマービンですが70年代後半は薬物依存や、妻だったモータウン社長ベリー・ゴーディの妹との離婚問題、2度目の妻との破局、破産など、諸々の問題で音楽活動は低迷。しかし80年代周りの援助もあってCBSソニーに移籍、セクシャル・ヒーリングの大ヒットで復活を遂げ、グラミー賞まで受賞しましたが、1984年4月、実の父に射殺されるという悲劇で45年の生涯の幕を下ろしました。(もともと両親の喧嘩に仲裁に入ったことが発端のようで、皮肉にも使われた拳銃は父の誕生日に彼がプレゼントした物だそうです。マービン誕生日の1日前のことでした)

70年代初頭の歴史的名盤アルバム“ワッツ・ゴーイング・オン”中の曲「マーシー・マーシー・ミー」で30代前半のマービンがすでに地球環境汚染を歌っていることに今更大きな衝撃を覚えます。是非もう一度歌詞を見ながら今こそ聞いていただきたい1枚です。

♪ Mercy Mercy Me – Marvin Gaye

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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