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高野慈子の「四季・色・贅・食」 第9話 CDのプロデュース 『地下鉄の切符切り』SETU

by staff on 2016/5/10, 火曜日

 

WEBでの音楽配信が主流になり、若者のCD離れが進んでいるようですが、歌手や演奏家にとって形のあるCDは歌や作品を聴いてもらうこととは言うまでも無く、自分の経歴書でもあり、自分をPRするための名刺代わりの販促品にもなります。ですから、音楽家の皆様にはあえて『CD』を作ることをお勧めしています。

実家がレコード会社を営んでおりました

私の父は仕事を十数回も替えた人でしたが、ある時期、レコード会社を叔父と共に経営しておりました。 最初は「松本レコード研究所」と言い、私の旧姓である『松本』が屋号でした。私の実家の『松本』は音楽一族でもありました。

私の名付け親で、芸大の名誉教授だった故松本民之助(※注1)は、10歳だった坂本龍一氏にピアノを教えており(坂本龍一氏はこのころのピアノレッスンは苦痛だったと述べている)、息子の松本日之春は作曲家として活躍中、叔父の故松本浩はNHK交響楽団のホルン奏者でした。 叔母の故松本雅子はフルート奏者であり、自宅でフルートとピアノを教えておりました。従妹の松本ゆり子はチェロ奏者として活躍しており、チェロの指導にもあたっております。

私の父と母との出会いは、父が経営していた「音楽喫茶店」だと聞いています。クラッシック音楽が聞ける喫茶店でしたが、コーヒー一杯で長時間音楽を楽しまれるお客様が多くて、赤字となり、すぐ閉店したようです。(こうして父は仕事を十数回変えていきました)

私は異端児で音楽関係の仕事には就きませんでした。実は、私も幼い頃に叔母にピアノを習いましたが、ピアノの前に座るとお腹がいたくなり、「お腹が痛い」と言うと「また、ピアノのレッスンが嫌なんでしょう」と相手にしてもらえず、盲腸炎が悪化してしまい、緊急手術となってしまって・・・退院後はだれも「ピアノを弾きなさい」と言わなくなってしまいました。(苦笑)
そんな訳で、私は普通のOLから冷凍空調部材店を営む主人に嫁ぎ、趣味で訳詩をしたり、オペラやミュージカル、ライブを舞台やシャンソニエ、JAZZバーなどで音楽を聴くのを楽しんでおります。

さて再び話を過去に戻して、「松本レコード研究所」は「日本教育音工」と社名を替え、録音、レコード制作などを手掛けておりました。音楽家の内では「音」に評判が良く、デビュー前の歌手が「デモテープ」を作りに来られたり、大手レコード会社の下請けで録音していたこともありました。

CDが発売されるとレコードの需要は急速に落ち込ました。それまで、幼稚園や私立学校の卒業アルバムとかピアノ発表会などの大量受注がなくなり、「日本教育音工」は解散します。その時のことは『時代が潰す業種があるのだ』と深く脳裏に焼き付きました。そのCDも今や音楽をWEBで配信するようになり、当時の勢いは無くなりました。やがて、「時代に潰されていくのでしょうか?」。

その後「日本教育音工」のDNAは従弟の松本和人によって引き継がれ、CD制作、録音、貸スタジオなど「オーパス55」として現在も頑張っております。

(合)OPUS55:http://www.opus55.jp/index.php?FrontPage

セツさんとの出会い

シャンソン歌手セツさんとの出会いは新宿の老舗のシャンソニエ「新宿シャンパニュー(※注2)」でした。私はかねてから和歌うたの早苗ネネさん(じゅんとネネ)(※注3)を応援しており、ネネさんが新宿シャンパニューで歌う時は、応援に駆け付けておりました。その日、ネネさんの前歌としてシャンソンを数曲歌ったのが「セツ」さんでした。ピアノをモチーフにしたお手製のドレスを着ていたこと、ふくよかな体型から『人間グランドピアノだ』と記憶に留めました。

私がセツさんの歌声を「いいな」と感じたのは、彼女の独特な地声の響き。。。テンポの速い曲が特に良いと思いました。何度か新宿にセツさんの歌を聴きに行きましたが、仕事(店は午後7時閉店)を終えてから新宿に聴きに行くのがしんどいので、セツさんに横浜で歌ってもらえるように、数件の店に声を掛けました。ピアノバーLYON(※注4)とシャンソニエデュモン(※注5)が場所を提供してくれることになりました。。。現在はシャンソニエデュモンで毎月1回歌っています。


シャンソン歌手:セツさん


2016年5月のスケジュール
5月13日 シャンソニエデュモン
5月17日 神奈川県立音楽堂

セツさんの歌手生活20年目の節目の年にCDを作ることになりました。歌手にとってCDは自分をPRするための名刺代わりになると、熱弁をふるったことを思い出します。

1stアルバムを作成するにあたって選曲が大変でした。著作権が明確なものは著作権の使用料を管理会社に支払えば良いのですが、シャンソンの訳詩は個人から個人に依頼していることが多く、使用の許可を頂くのに時間が掛かりました。お願いに伺うのにお住いが分からず、出演しているライブを探しては、ライブ会場に足を運びました。快く歌わせて頂けることもありましたが、どうしても「快諾」をいただけないこともありました。こうして、15曲を候補にあげ、収録日を決めてスタジオに入りました。

15曲を2日間で収録することになりました。 ピアニストは上里知巳さん。セツさんが是非にと言われたピアニストで、シャンソンやJAZZ界では名ピアニストとされている方です。
南米で演奏経験があり、ラテン・ボサノバ風にも即席アレンジされるベテランです。


ピアニスト:上里知巳氏

最新の録音

録音は曲ごとに2~3回行われました。1回目をみんなで聞き意見を言い合い、2回目に修正したものを聴き、3回目が本番と言った具合に進めていきますが、3回目が納得できなければ4回、5回とテイクが増えていきます。
回数(テイク)が多くなると歌手の喉への負担やピアニストの疲労などリスクが高まります。そこで、最新の技術の出番があります。テイク1の良いところ切り取り、テイク2に繋げることが、PCの画面で簡単に(結構大変らしいが簡単に見える)出来るのには驚きました。
ピアノのペダル音や歌手の息継の音も消去したり、ピアノと歌のバランス(強弱)を変えたりと・・・私の知っているレコード録音時代とまったく違う「録音風景」に興味深々、時間を忘れてパソコンの画面に見入ってしまいました。
プロの方がこの文をお読みになったら「あたりまえ」と鼻先で笑われてしまうようなことが、私にとっては新鮮で興味深かったです。


OPUS55の松本和人氏

CDジャケットのデザイン

CDジャケットのデザインは私がする事になっておりましたが、セツさんがマンガ家の竜田一人(※注6)さんの知り合いだとわかり、急遽、竜田一人さんにお願いすることになりました。CDのタイトル『地下鉄の切符切り』は仕事に疲れ果てた男が自殺するというストリー性のある歌です。素人の私がデザインするには難しいタイトルでした。

竜田一人さんは、3月から4月にかけて、『いちえふ』関連の取材を受け、多忙を極め、表紙が仕上がってきたのが、録音から2カ月が経過した4月の上旬のことでした。

3パターンの同様なデザインの中から1つを選び、タイトルや曲目を書きこむ作業になりました。
デザインが素晴らしいので文字を被せるのがもったいなくもあり、松本和人氏から相談を受けました。「絵が素晴らしいものには上下に余白を作り、そこに文字を入れたら」とちょっとだけアドバイスをし、CDのジャケットが決まったのが4月28日のこと、CDは5月13日に仕上がって来ます。


竜田一人氏のデザイン画:セツさんはお手製のピアノの服を着て絵になっていた

私が初めてCDをデザインしたのは津田龍一氏の『ひき潮』でした。このジャケットの表紙は写真家の服部徹夫氏の作品です。
その時以来の久しぶりのCDの製作に・・・それも今回は最初から関わることができ、本当に楽しかったです。そして、素人の私がプロの方々と一緒に仕事ができることを光栄に思いました。


JAZZピアニスト津田龍一氏の『ひき潮』

さて、セツさんのCD『地下鉄の切符切り』は、ヨコハマNOWオンラインショップで購入できます。皆様のご意見、ご感想をお待ち申し上げております。(笑)
ヨコハマNOWオンラインショップ


録音が終わり、ちょっとお疲れの
「お疲れ様でした」・・・カシャ

 

 

高野慈子プロフィール

 

2014年10月に還暦を迎え、ますます元気なおばちゃんです。
実家はレコードの小さな町工場でした。
音楽家の多いファミリーツリーの中では、異色の人生を送っています。
アリゾナに1年間英語の勉強に行きましたが、素晴らしいインディアンに出会い、自然体で生きることを学びます。いろいろなボランティア活動・反戦活動を始めたのもこの頃かしら?

学生時代、弁論部だったことがあり、多くの政治家の選挙運動のお手伝いをしたことから、政治・経済にも強い関心がある「おばちゃん」。
アメリカから帰国し、OL時代は会社に内緒で訳詩・作詞のアルバイトをしたこともありました。また、OL時代は某会の映画モニターになり、某映画評論家の会にも入っていました。

横浜で一番古い冷凍・冷蔵・空調・エアコン部材店の高野商店に嫁ぎ(店と結婚したわけではないけど。。。)「冷たくしてごめんなさい」をキャッチコピーにして日々頑張っています。

2001年から2010年まで、中小企業の集まる会に所属し、そこで知り合ったIT業界の人からツイッターやfacebookを知り、facebookでは「高野家夫婦の会話から」が笑いを取っています。
その人の娘さんが作曲家で、「青虫もんじろちょう」が子ども向けの曲となり、ユーチューブにアップされています。(安希子はペンネーム)

2015年現在、本業の他に、NPO横浜カーフリーデーの副理事、ヨコハマNOWのプロデューサー、神奈川ドイツワイン協会のメンバー。

映画とオペラとミュージカルが大好き、ジャンルを問わず、JAZZやロック、シャンソン、ラテン音楽のコンサートやライブに顔を出し、頑張っている音楽家を応援しています。京都人の父と新潟人の母のDNAを受け、東京生まれ、埼玉育ち、横浜暮らしの「おばちゃん」です。

facebook:https://www.facebook.com/go.yasuko.gogo

あおむしもんじろちょう:

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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