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アフリカ独立革命に命をかける革命児 島岡 強さん

by staff on 2016/6/10, 金曜日

アフリカ・タンザニアに30年以上も住んで、地域振興のために頑張っている横浜出身の男性がいるんだよ・・・と聞いたのは黄金週間の最中でした。会ってみたら、その凄さがわかるからと勧められて、日本大通公園のギャルリーパリで開催されていた絵画の展示会を訪ねお話をお伺いしました。
この展示会の様子は島岡由美子夫人のブログに掲載されています。
http://sky.ap.teacup.com/africafe/1674.html

アフリカ独立革命に命をかける革命児 島岡 強さんアフリカ独立革命に命をかける革命児
島岡 強さん
(島岡由美子夫人のブログより転載)
 
お名前 島岡 強(しまおか つよし)
イスラム名はアブドゥル・ハリーム
お生まれ 1963年8月17日
出身地 横浜市
お住い タンザニアのザンジバル
ご家族 由美子夫人
ご職業 革命家
お仕事 漁業会社、運送会社、タンザニア製品の日本との貿易会社を経営。
ザンジバル柔道連盟名誉会長、ナショナルコーチ。
HP http://www.africafe.jp
ご趣味 趣味とか余暇というものとは無縁

島岡さんは現地では何と呼ばれているのですか?

「アブドゥル」って呼ぶ奴もいるし、「カクメイジ」と呼ぶ人もいます。
趣味ですか? 趣味なんかないですよね。性格ね。まあ普通にこんな風ですよ。ラフで明るく、健康的で。

「怖そうに見えて実は繊細で優しいです」とお聞きしました。

革命家ってみんなそうでしょう。繊細じゃないと皆ついてきませんし、計画性も必要だから緻密じゃなければいけないし、まあ大ざっぱでなければいけないところもあるし。情あり合理性ありね。

ネットで拝見したのですが、仕事が終わってみんなで食事に行く時に、人数に見合うタクシーが横付けされていて皆で焼肉屋に行って、ご自分は一日一食だから食べないで・・・というような気配りもおありだとか?

ああ、2年前のこの会場の設営が終わった時のことですね。当日設営に来ていたうちの社員は、俺たちも入れて、5人。そのほか、手伝いに来てくれた人たちも入れると20人位。みんな連れて食事に行くのですけどね。

ご自分は一日一食だから食べずに・・・

人間一日一食で充分でしょう。

意志が強いのですね。

そういう訳じゃあないけど、アフリカは歯医者がいないでしょう。だから歯が悪くなったら困る訳ですよね。だから昼食べたら、あとはコーヒーと夜は酒。

イスラム教は酒がダメなのでは?

いけないですよ。まあ。そこは日本人ですからね。酒は飲みますよ。

じゃあ毎日5回礼拝を・・・?

5回なんかしないですね。朝の起床時と、柔道の練習を終えてからなど、2回から3回。柔道から帰って来て、シャワー浴びてとか、寝る前とか。ラマダンはしますよ。
まあイスラムと言っても善悪の基準は儒教がベースだから「儒教ベースのイスラム教徒」というのが正確な表現なのかな。

磯子小学校ご出身とお聞きしましたが・・・

弘明寺ですね。南区。大岡小学校です。磯子小は間違い。中学は南中。高校が磯子。

その時は普通の人だったのですか?

いやいや。革命家ですよ。

いつから?

小学校の頃、物心ついた時からですよ。

イスラム教徒になったのはいつ頃ですか?

6年頃です。親父がイスラム教徒だったので。
親父は日本人で4番目とかにメッカに行ったと言っていました。
親父が自分にイスラム教徒になれと言ったのは、「お前はこれから貧しい所へ行け。貧しい所はイスラム教徒が多いから。だからなっておいた方が良い。」と、そういうことですよ。小学校の時からコーラン読まされて、アブドゥル・ハリームって名前つけられました。

小学生でアラビア語出来たのですか?

いや出来ないけど、カナが書いてあって。三日三晩全部読まされて。

お父さんはどんな仕事されていたのですか?

彼も基本的には、革命家・・・でありたかったのでしょうけど、職業は何だったのかと言われると・・・。事業家ですかね。貿易会社、金属、通関屋、土木、建築。そういった企業グループでしたね。
 
親父っていうのは二二六事件の思想的バックボーンとなった北一輝が親父の理想的な生き方だったのですよ。彼の盟友だった井上農夫の所に住込み書生をしていたみたいです。
 
16歳の時に満州の延安に行き、毛沢東の八路軍に加わろうとしたそうです。でもその時に、満州に出稼ぎに行っていたお母さんの体の具合が悪くなって日本に連れて帰って来たので毛沢東と行動を共にすることは出来なかったのです。俺には後悔していないと言っていたけれど、行きたかったのでしょうね。だからそれを俺に託したかったのでしょうね。

お父様の5つの掟はいつ頃から言われていたのですか? 幾つ実現しているのですか?

小学校のときからですね。結婚以外は守っていますよ。自分が死んで悲しむ人を作るな、という理由ですよ。「定職に就くな」 「一切の免許・資格を取るな」 「日本で仕事をするな」 「定職を持つな」 「一切の物を所有するな」 「結婚はするな」の5つです。みんな革命家としての掟ですね。

小学校の頃から革命家になれと言われて育って、他の子とは違うとは思っていましたか?

常に「お前は人の上に立つのだから、子分が何かした時はお前が全部背責任かぶれ。」と言われていたから何かあって先生が「誰がやった?」と聞けば自分がやったと言って先生に殴られる訳ですよ。その当時は。そんなので「俺は革命家になるのだ。」という話をするじゃないですか。すると皆は「そうだそうだ。」と言うのでね。だから皆が革命家になるのだと思っていた。当時はね。だけど高校出る頃になると皆進学だとか就職だとか言い出したりして『 あれ?』という感じでね。『じゃあ違うのだな・・・』と、その頃やっと分かった。

革命家としてお父様の教え以外にも何か他に勉強しましたか?

当然、毛沢東、レーニン、フィデル・カストロ、チトーとか、ホーチミンとかと言う人の本。それと、十八史略、論語、孟子、韓非子、荘子、老子、全部小学生の時に読まされましてね。日本の歴史全部もね。
 
親父から「次会う時までにこれ全部読んどけ!」とドーンと渡されて、感想聞かれる訳ですよ。読んでないと答えられないからすぐわかりますよ。そうすると「てめえー読んでないのか!」って怒鳴りつけられるわけです。

柔道も革命家としてのために?

小学校1年の時からやっていましたけど。たまたま柔道一直線を見て、これは面白いなあって思ってやり始めました。

島岡さんは、アフリカが自立しようと思っていて、やっていることは意識革命、経済革命ですよね。経営者として見ても優れていて、「事業家」という側面が強いと思いますが・・・

事業家と言っても俺の場合儲けは絡んでないね。現地の彼らを食わすために事業をやっているだけの話で、目的が全然違うよね。ここに絵がたくさんあるじゃないですか。絵を描いている人らが生活していけるように全部定期的に買い上げて売って行く。それだけですよね。

ソーシャルビジネスともちょっと違いますよね。
坂本龍馬に似ている気もします。

龍馬は商人ですよ。俺は革命家とは思わない。日本で革命家と言ったら織田信長と高杉晋作でしょう。

政治とのかかわりですけど、タンザニア政府との関係はどうですか?

基本的にはウェルカムでしょうね。彼らはやってほしいことばかりですから。タンザニアは比較的政治的には安定していますね。

日本の外務省との関係も良好なのですね。ここのオープニングの時も大使が来られていましたけど。

結局こちらが助けることが多いからね。

ザンジバルには領事っているのですか?

いないから、結局俺が、非公式の領事の存在だよ。出来ればちゃんとお金を払って俺にやって欲しいということなのだけど。お金をもらって何かするというのは大嫌いなんでね。

政府からお金もらって何かしたら革命家じゃあなくなっちゃいますからね。

だから一切受けないですよ。その代わり外務大臣からの感謝状とかは、気を使って出したりするけどね。日本からの旅行者とか海外協力隊とか病気になったりして、全部俺が面倒見るじゃないですか。大使館としても自分の仕事が減って助かる訳ですよ。ザンジバルって別の国なのですよ。連合国家なのですよ。
だから本土にいるとこちらの情報は得られないじゃないですか。それでこちらから情報を送ってやるわけですよ。

ザンジバルへ行ったのはそこで革命を起こせると思ったから?

いや、その当時は南アフリカがアパルトヘイトで、武力闘争に加わろうと思ったのです。形のあるものを壊すのは簡単なので。でもいきなり南アフリカに入ってそれをやるよりも、近隣国でアフリカの最下層の人達が従事している第一次産業で彼らがどういう国づくりをしたいのかを理解したうえで南アに入ろうと思い、ジンバブエで農業をやるかタンザニアで漁業をやるか考えていたところ、たまたまザンジバルに行った時に地元の漁師の親分とけんかになって、その後親しくなって「何で来たのだ?」って聞くから趣旨を話したら「ここには仕事にあぶれている漁師がいっぱいいるから、ここでやってくれないか。」と言われて、漁船作って漁業を始めました。

ザンジバルへ行ったのはそこで革命を起こせると思ったから島岡さんの言う革命は雇用を作り出して人々を豊かにすること。援助に頼らずに自立できるようにすることですね。
「豊かにする」という意味も広くて、お金だけじゃなくて心も生き方も豊かにする、みんなで一緒に豊かになろうね、ということなのかな?

革命家ってみんなそうじゃないですか。自分に縁もゆかりもない人達のために命を賭ける連中、それが革命家ですよ。
 
食える国に革命は必要ないじゃないですか。ホーチミンにしてもフィデル・カストロにしても自分の国が食えなかったから、独立もしてなかったし、だから革命をやった訳じゃないですか。1941年にベトナムの独立を胸に抱いて30年ぶりに中国から密かにベトナムに戻って中国国境に接したカオバン省パックボーの洞窟にこもってね、この時ホーチミンは51歳で、ゲリラ戦を教えたりね、太極拳を教えたり、若い奴を教育したり、そこから始めた訳ですよ。その時の映像がNHKスペシャルであって、「アジアの解放」、を見た時にホーチミンが凄くお爺さんに見えた訳ですよ。踊りみたいなことを皆と一緒にやっていてね、川の水で行水したり、『この人51歳にもなって自分の国を独立させるという確信みたいなものがあったのかなあ?』と自分が30代の頃に見てそう思いましたね。
 
俺もその時、地下活動じゃないけれど30年アフリカ独立革命の布石を打ってきた訳です。昔だったら、5年、10年かかってやってきたことが、今だったら、その積み重ねがあるから、まあ半年、1年で出来ちゃう訳です。だからこれからの方が、やれることが大きく広がって行くということですね。だからホーチミンは確信をもってやっていたんだと良く分かりました。

現地の人をどうやって仲間にして行くのですか?

頼まれたことをやるんです。自分からしたいと思ってやったことは何一つないですね。だから漁業にしても船がないから船作ってくれと言われて作り、運送業も免許持っているけど車がないから仕事に就けないからと言われて、貿易業もそうだね。結局彼らは原材料を売って製品を買う訳。例えばコーヒーの生豆を安く先進国に売ってネッスルから何倍もの高い値段で買う訳です。紅茶も、茶葉を売って、リプトンから高く買う、綿花を安く売って外国から洋服を高く買うという馬鹿みたいなことをやっている訳です。
そういうのを根本から変えていかない。現地で製品化して付加価値をつけて売っていかないとダメだね。それでその国の経済を回していく。援助じゃなくてね。
だから全部頼まれてやったことですよ。柔道もね。

頼まれるということは信頼されているということですよね。受け身で真剣に相手の話を聞いているうちに向こうから・・・

そういうことですよね。5つの掟というのは。「資格を取るな=そんなものに頼るな。」 「定職に就くな=ひと月いくらで自分を売るんじゃない。」 「日本で仕事をするな。」 「一切の物を所有しちゃいけない。」だから俺の船も車も家も、全部他人の名義ですよ。俺の物は一つもないから俺が死んだらみんなそれを持って行けば良い訳だから。それでも誰かに持って行かれないような人間関係をちゃんと作っておけということだよ。親父が言ったことというのは、世界中どこへ行っても島岡強という人間の重みだけで人が勝手について来て、それで何か出来るようでなければもうお前なんか死んだ方が良いと言う訳ですよ。
そして、「結婚するな」
免許も資格もない。車の運転も出来ないですよ。10数台車持って運送業やっているけど。
まあ、それなりに自分を磨いて来たという自負はある訳でね。高校の進路相談とかの時に「俺はアフリカへ行って革命をやるんだ。」って言ったら、「一体あなたはどうするのですか? 知り合いはいるのですか?」とか聞くので、「とにかく俺は行くんだ。行けば何とかなるんだ。」と言うとね、「何の相談に乗ればいいのかなあ?」と悩む訳ですよ。だから「あんたが心配する必要はなんかないよ。」ってね・・・
 
今になってやっとわかりましたけどね。彼らも。その時はどうしてよいか分からなかったみたいだったね。
 
最終的にはアフリカ全土の独立。政治、経済、意識ね。それを目指す訳です。その手段は色々ありますからね。俺は向こうから頼まれたことを、これはその目的、つまり、独立革命に即しているなと思うことをやっていきますよ。
自分からどうこうしようと思わなくても向こうから勝手に来る訳で、それをやっていくだけですよ。

さらにその先を目指すとなると、第二、第三の島岡さんを育てる必要があると思うのですが、、、

全く俺と同じ人間は現れないでしょう。だからそれぞれの分野、漁業部門、運送部門、貿易部門、で俺の志を継いで行ってくれればそれで良い。俺たち革命家は色々なことをやるけれど、普通の人間はひとつしか出来ないじゃないですか。

横浜が島岡さんに影響を与えたということは?

あったでしょうね。横浜って日本の玄関口じゃないですか。外人も多いし。はっきり物言うでしょう? 横浜の人は。外人との付き合いが多かったからそうなったと思うのですよ。俺なんかは回りくどい言い方しないではっきり言うでしょう。それは横浜人だからだと思うのですよ。やっぱり横浜は日本で一番良い所だと思いますよ。

島岡さんにとって横浜とは?

自分の志とかでもいいですか?
「先憂後楽」 「一期一会」
「日本で最高の町 横浜」ですね。


あなたにとって横浜とは?
「先憂後楽」 「一期一会」
革命家 島岡 強
日本で最高の町 横浜
(背景はティンガティンガアート)


あなたにとって横浜とは?
<偶然ではなく 必然>
島岡 由美子 夫人
愛する仲間がたくさんいる街横浜


画家のベーカーさん

<取材を終わって>

「革命家」というと戦闘的なイメージを持ちますが、島岡さんはすらっとしていて(一日一食だそうです)、物静かな雰囲気をお持ちの方でした。「自分にとっての革命は、地域の人々の生活を経済的にも精神的にも豊かにすること」と仰せの通り、30年以上にわたって島おこし(?)を有言実行されてきました。
 
「自分はいつ何時何があるか、わからないから所有物は持たない。お金は生きていける分だけで十分だ。」を仰る島岡さんの生きざまを伺うと。最近はやりの「ソーシャルビジネス」と言う言葉が薄っぺらなものに思えてしまうのでした。
 
島岡さんご夫妻は、5月末に無事帰国されました。「ヨコハマNOW」ではお二人の今後の活動のサポートができたらいいね・・と考えています。

(インタビュー:渡邊桃伯子/成見 淳)

参考資料

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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