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ヨコハマ・キラキラ(第2回) 石川町内科クリニック院長 渡會伸治さま

by staff on 2016/10/10, 月曜日

横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・そんな想いからヨコハマNOWを立ち上げました。先人が築いてきた「横浜」、そして今の「横浜」、これからの「横浜」を「人」を通して伝えていきたいと思っています。

ヨコハマNOWの創刊時に書かれていた言葉です。

先月から新しいコーナー「ヨコハマ・キラキラ」として、私、浅川義治が毎月「人」にスポット当てて書かせていただいています。
これまでにも、沢山の方がヨコハマNOWに登場されています。ヨコハマに住む、ヨコハマで仕事をされている、あるいは、ヨコハマにご縁のある方にお会いしお話を伺いヨコハマについて語っていただきます。
その人に関係する別の方や場所なども、その人を立体化させるために登場していただくこともあると思います。
また、紙面ではなくインターネットですので、動画でもお伝えいたします。
もっとヨコハマをキラキラと!
輝かせるのは、一人ひとりだと信じています。

第2回は、石川町内科クリニック院長の渡會伸治さまです

石川町内科クリニックって、石川町にあるから? と思われる方も多いでしょう。まさにその通りです。横浜市中区の根岸線石川町駅から徒歩2分の所にあります。今年4年目を迎えた新しい医院です。
横浜市立大学医学部の教授、横浜掖済会病院副院長を歴任された消化器外科を専門にされてきたお医者様です。
そんな優秀な経歴を持たれたお医者様ですから、取っつきにくい強面の先生かと思われますが・・・

こんな方です。

渡會伸治さま

下は、後でインタビュー動画をで登場の看護師の小山美奈さまです。

小山美奈さま

それでは、さっそくお話を伺います。

若い頃

渡會伸治先生の10代についてお聞かせください。

10代の頃、若い頃ですね。父の会社が倒産して、非常に貧乏していたというのが、一番の思い出ですね。そのためにか、いわゆる左翼思想に少しかぶれて、そうした運動をしたこともあります。
高校に入ってからは、そういうのはやめて勉学に勤しんで、何とか高校を卒業して横浜市大医学部に受かりました。

理由

なぜ医師を目指されたのでしょうか?

父の会社が倒産したりしたので、安定した職業に就けと祖母からくれぐれも言われていたので、そういう中で一番比較的安定しているのは医者だろうということで、医師を目指したということです。

プライベート

これまでの趣味と今の趣味は?

昔から旅行が好きで、旅が好きで、風天のトラさんが好きなもんで、日本の原風景みたいな所に行ったりするのが好きで。大学時代も世界中いろいろなところへ行きましたし、今も旅行が好きなのでいろんなところへ行きます。

最近はどちらへ?

最近は、タイ、韓国へ行きました。元々アメリカに留学していましたので、アメリカの国立公園は、7割位行ってますね

これまでの経歴

これまでのご経歴について伺いましたが、概要は、ここに記した通りです。

昭和49年3月31日 芝学園高等学校卒業
昭和49年4月1日 横浜市立大学医学部入学
昭和55年3月31日 横浜市立大学医学部卒業
昭和55年5月1日 横浜市立大学医学部病院研修医
昭和57年5月1日 横浜市立大学医学部病院第2外科特別職診療医
昭和57年6月2日 横須賀市立市民病院外科
昭和58年6月2日 横須賀共済病院外科
昭和59年6月2日 田浦共済病院外科
昭和60年6月2日 横浜市立大学医学部病院第2外科特別職診療医
昭和61年6月2日 横浜市立大学医学部病院第2外科医務吏員
昭和62年6月2日 国立横浜病院外科(厚生技官)
平成4年6月2日 横浜市立大学医学部附属浦舟病院第2外科助手
平成6年3月-9月 UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)外科教室留学
平成7年4月 横浜市立大学医学部外科学第2講座助手
平成8年2月 横浜市立大学医学部外科学第2講座講師
平成11年6月 横浜市立大学医学部外科学第2講座助教授
平成15年4月 横浜市立大学大学院 消化器病態・肝胆膵移植外科助教授
平成20年10月 横浜市立大学 消化器・肝移植外科 教授
平成20年12月 横浜掖済会病院 消化器病センター長
平成21年4月 横浜掖済会病院 副院長
平成25年3月 横浜掖済会病院 退職

医師について

渡會先生は、医師のあり方をどうお考えでいらっしゃいますか?

元々ずっと外科医をしていましたので、外科医というのは術という非常にインパクトのある治療方針なんです。だから一般的に今の外科医というのは、手術だけをやって、手術をして悪いところを取り除くというのが外科医の仕事なんです。でも、僕が開業した経緯でもありますけど、患者さんの人を診る、病気だけを診るのではなく、人を診るというのを基本方針にしています。ですから、とりあえずまず自分で診て、判らない所があれば、専門の医師に紹介するというスタンスで患者さんに接しています。判らないことは分からないと言うし。その代わり自分の手でできること、ガンを発見したら、自分で手術するところまでしたいと思っています。

石川町内科クリニックについて

石川町内科クリニックを開院されて3年半とのことですが、今までの仕事との違いや新しい取り組みはありますか?

普通のクリニックとは違い、国際色豊かな患者さんがいらっしゃるクリニックです。韓国、中国、アメリカ、ネパールといった外国人の患者さんも多いという特色があります。それがひとつの国際化、ということの象徴なんでしょうか。日本ではなかなか診られないような疾患の患者さんも来られます。
それと、全ての疾患を診るというのが特徴ですね。大学にいた時は、肝臓胆嚢膵臓の手術しかしていませんでしたから。それ以外は極稀にあるかないかでしたから。それが、横浜掖済会病院に移ってから外科の全般を診るようになって、そして今になって外科だけでなく内科の疾患も全部勉強して診るようになりました。いわゆるスペシャリストからゼネラリストになった事が1番大きい事です。

看護師さんから

渡會伸治先生について、石川町内科クリニックの看護師小山美奈さんにお伺いしました。動画でご覧下さい。

 

横浜について

先生は、横浜をどのように見てこられましたか?また、これからの横浜についてはいかがですか?

横浜は、開港して150年。昔は何もない単なる漁村だった訳ですね。それがこれだけ発展してきている。元町はファンションの先端を行く街ですし、旅行に来てもいい街だと思える所です。特にここは、元町も中華街も近いし、観る所がいっぱいありますよね。
横浜で仕事をして40年になります。でも実は、住んだことはありません。横浜の隣接する逗子、横須賀、川崎とうつり住んでいます。横浜は、ずっと周りから見ていて、本当にいい所だと思います。歴史は短いですが、重みのある歴史だと思います。東京とは違ったとても過ごし易く、俗にいう「はまっこ」という気分にだんだんなってきた気がします。
常に新しいものを求めていくのが横浜だと思うので、母校の横浜市立大学を含めて最先端の医療を提供出来るようにしていたいですね。

どうもありがとうございました。

最後に、ヨコハマNOWの読者の皆様宛のご挨拶を動画でご覧下さい。

筆者紹介

 
浅川義治(あさかわ よしはる) 48才
1968年 2月23日生まれ 金沢区六浦町で育つ
1974年 私立白梅保育園卒園
横浜市立大道小学校入学 5年次に分校
1980年 横浜市立高舟台小学校卒業
1983年 横浜市立大道中学校卒業
1986年 神奈川県立富岡高校(現金沢総合高校)卒業
1992年 日本大学法学部卒業
横浜銀行入行
2003年 横浜銀行退職
元横浜市会議員
キラキラコンサルティング代表
金沢区在住
アーティスト小田和正氏の影響を受けている

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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