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横浜・石川町 温もりのある JAZZ BAR “MINTON HOUSE” のオーナー川上裕朗さん

by staff on 2016/11/10, 木曜日
JAZZ BAR “MINTON HOUSE” オーナー 川上 裕朗さん
JAZZ BAR “MINTON HOUSE”
オーナー 川上 裕朗さん
撮影:辰巳隆昭
 
お名前 川上 裕朗(かわかみ ひろあき)
通称 「おいどん」
年齢 60代後半
ご家族 一番下は現在、9歳 上は34歳 の子どもたちがいる
ご趣味 仕事 (正月3が日以外は開けている)
「MINTON HOUSE」へのアクセスは、SUNTORYのWebサイトよりご覧ください。
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/…

 

なぜ「おいどん」と呼ばれているの?

「おいどん」は、松本零士の漫画の『男おいどん』に主人公で、ラーメンライスが大好きで四畳半に暮らしている男です。40年前にその人物と同じような生活を送っていたことからか、これまでずっと「おいどん」と呼ばれています。

「おいどん」はどうして「MINNTON HOUSE」を始めたの?

生まれは岡山県ですが、広島県・石川県・東京都を移り住んで、少年時代から横浜鶴見区で暮らしていました。
18歳で世田谷の大学に入学して、なんとなく・・・照明サークルに入りました。
僕はいつでも「なんとなく・・」なんです。大学時代、軽音部のライブやフォーク歌手の高石友也のコンサートの照明のアルバイトをしていたので、その頃から音楽との縁はあったのかもですね。
一応4年で卒業して、書籍関係の会社に就職しました。事務作業でしたが真面目に働いていましたよ。4年ぐらい経ってから、友人に誘われてなんとなくデモに参加したら、捕まってしまって、会社を辞めることになりました。
何かしなきゃと思っていたときに、ジャズの月刊誌の編集をしていた友人から「お店をやろうよ」を誘われて、41年前の1975年4月にこの場所で「MINTON HOUSE」を始めました。

「MINTON HOUSE」という名称は、ニューヨーク・ハーレムにあった伝説のジャズクラブ 「MINTON’S PLAYHOUSE」 からつけました。秋田県大館市にも 「MINTON HOUSE」 というジャズ喫茶があります。当時からこの内装でした。木造りで内部は暗くして、音を楽しむ環境にしたかった。
オープン前日に、横浜国立大学の学生たちが木炭で白い壁に「スイングジャーナル(Swing Journal)」のトップページを飾っていたアーティストたちの似顔絵を描いてくれたのです。
その絵は今でも壁に残っていますよ。
(写真をご覧ください)
見通しなんて何もなかったけれどここでやるしかないという気持ちでしたね。


なぜ41年も「MINNTON HOUSE」は続いているのかしら?

何も考えていないからじゃないですか。(笑)
開店当時、僕は音楽は全く素人でレコードは1枚も持っていませんでした。
友人が持っていた200枚のレコードから始まりました。毎日、大学ノートにその日かかった楽曲のタイトルと歌手名をメモして覚えました。その当時のお客さんは、ほとんど学生さんでしたね。山手の女子高校生や県立緑ヶ丘高校の学生が、ジャズを聞きながらここで勉強していました。コーヒーが一杯300円だったかな・・・。
僕は人見知りでお客様の顔を見ることができなかった。いつも帽子をかぶっていて、お勘定の時にちょっと顔をあげて「どうも」しか言いませんでした。

それでも有難いことにお店は繁盛しましたね。
テーブルにウィスキーを置いてグラスと水・氷を用意しておけば、お客様が勝手に作ってくれるし・・・。「僕の世界はこの中。営業マンはスピーカーだ」と思っていました。ゆったり音楽を楽しむ空間を作りたかったので、騒がしいお客さんには「はしゃぎすぎ」カードを出したこともありました。

レコードは徐々に増やしていって、今は3,500枚あります。オーディオ機器もお店になじんできて、いい音を出すようになってきました。
ライブ演奏をやったこともありますが、周囲への影響も考えて、レコード演奏のみにしています。「いつでも一番いいのは今。仕事は楽しくやっていこう。」と考えています。

41年の間に変わったことは?

ジャズも時代と共に変わってきましたが、一番変わったのはお客様の年齢ですね。今は50代から60代の方が主流になってきました。40年間通ってきて下さる方もいます。僕も苦手な方とも協調しないと・・・と思えるようになってきて、お客様に話かけるようになってきました。

2002年、サッカーのワールドカップが開催された年に、崎陽軒のCMにジャズバーのマスターとして出ることになりました。なぜ選ばれたかって?それは多分、僕が一番ギャラが安かったからだじゃないですか。(笑)崎陽軒のCM出演は10年間続きました。お店の宣伝にはなりましたね。
映画やドラマにも登場しました。特にVシネマでは何度も使われました。撮影場所としていつでも提供しますので、是非お使いください。募集中です。!!

レコードにはこだわっています。レコードは過去のものですが、だからこそステータスになるんです。ここに来て下さる方がいる限りは続けていきたいですね。「自分が居心地のいい場所にする。好きな楽曲をかける。」というコンセプトは41年間変わっていません。
一人で音楽を楽しむ方、グループで会話を楽しむ方、それぞれの方々にとっての「居心地のいい場所」であってほしいですね。

(クリックで拡大画像)

JAZZ BAR MINTON HOUSE

 

JAZZ BAR MINTON HOUSE

JAZZ BAR MINTON HOUSE

JAZZ BAR MINTON HOUSE

 

JAZZ BAR MINTON HOUSE

撮影:辰巳隆昭

MINTON HOUSEの動画でご覧下さい。

どんな楽曲が好きですか

ジャズは即興演奏ですから時代を反映して変わっていく音楽です。横浜は終戦後、米軍が駐留していたので、軍人向けにジャズ演奏家が集まってきました。秋吉敏子さんや日野皓正さん、原信夫さんなどです。横浜でジャズが盛んだというのもそんな背景があるからでしょう。
当時の若者たちは、フュージョン系のジャズが好きで、チック・コリアやキース・ジャレット、ハービー・ハンコック等よく聴いていました。
僕の好きなアーティストは、マイケル・デイビスやコール・トレイン、セロニアス・モンクなどの黒人系ですね。

以前は、好きな楽曲をリクエストする方が多かったですが、最近は減りました。ご自分でレコードを持参してかけてくれと言うお客さんもいます。持込みリクエスト大歓迎です。

「おいどん」にとって横浜はどんな街?

「すみか」です。それしかないかな・・・。
体の続く限り、これまで通り自然体でこの街で、この店で生きていきます。ここが僕の世界だから・・・。

横浜は私の「すみか」

撮影:辰巳隆昭

<インタビューを終えて>

「MINTON HOUSE」 には何度も行っている私ですが、本名を知ったのは今回が初めて。
誰もがマスターのことを「おいどん」と呼んでいます。 「おいどん」は、飄々としていて、素っ気ないんだけれど、温かみのある方です。そこが41年続いている秘訣かもしれません。ジャズを楽しみながらゆっくり過ごせる素敵な空間である「MINTON HOUSE」。 いつまでも今のまま続いていってほしいと願っています。

(インタビュー&文:渡邊桃伯子)

 

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