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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第55回 第7章 独立編 8

by staff on 2017/1/10, 火曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

 

横浜、街と風(独立編) 8

新体制

店長松下尚子の元、主任が栗又恵、それにバイトが数人、キッチンも専門のチーフ “I” が入り営業面は更なる充実を見せてきました。松下店長は私の接客に対する考えを本当に理解してくれて、「原さんはこう考えているから」と、事あるごとにスタッフに言って指導してくれました。正にこれ以上ない得難い右腕。

そして、ギターのYou君はメキメキ腕を上げ、特に私の得意としない速弾きやハード系を見事にフォローしてくれて、又、見事なファルセットボイスが美しく、スタイリスティックスなど、これも彼の売りの一つになりました。ファルセットが出しづらくなっていた自分に神様が与えてくれたと思えるようなパートナーでした。R君が辞めた後ルックス面で引けを取らないYou君は、よくR君と比較され “第2王子” などと呼ばれていましたね。

営業も順調で、せまい店内にぎゅうぎゅう詰めで営業していましたが、週末あたりは入れないお客様もかなり増えてきて、そろそろ17坪の店内では限界に感じるようになって移転を考え始めていました。

ソウルバー “マービン”

アダムのあった同じビル常磐町2丁目AMビルの2Fにマービンというソウルバーがあり、坪数はアダムの倍位、ビルの1フロアーすべてで27坪ありました。黒を基調にしたおしゃれな入り口を入ると13,4人座れる見事な木の長いカウンターがあって、他にボックスが8つほど、壁にはソウルのレコードがぎっしりで、DJがご機嫌なソウルをかけていました。床も壁も重厚な木を基調にしてあり、バブルの頃相当お金をかけて作られたであろうアンティークな感じは高級感満載でした。時々息抜きにエレベーターで下に降り、このカウンターで一杯飲んでいました。

しかし、こんなおしゃれな店なのに私が行くといつもあまりお客様が入っていません。もしこの店が閉めるような事があったらここに移転したいと、密かに心の奥で思っていました。

そんな矢先、マービンが閉めかもしれないと情報が入り、管理会社に確認をとるとやはり閉めるとの事。早速交渉を始め居抜きでやらせてもらえるよう交渉を進めました。

そして6階から2階への移転が決まったのです。

ハート&ソウル

移転は2001年10月5日に決まり、処々の準備を始めることになりました。まずは店内の改装。ステージを作らなければなりません。入り口や看板、椅子やテーブルも作り直さなけばいけないものもあります。あと楽器もそろえなければいけません。そして、これを機にどうしてもやりたかった事があります。それはお店の名前を新しく変える事で、“アダム” は先般の事情で泣く泣く使っていた名前、今度こそ自分で命名した名前にしたいと何日間かかけて考え、思いついた名前が “ハート&ソウル” でした。その意味は、そのまま “心” と “魂” 。接客にも音楽にも常に心と魂を込めようとの思いです。

そして、これは私だけの解釈ですが、私はブラックミュージックも白人のロックも大好きです。なので、ブラックミュージックには “ソウル” 、ロックには “ハート” の字を当てました。ロックもソウルも隔てなく演奏していこうとの意味も込めています。そして、ヒントはアメリカングラフィティのサントラに入っていた曲で、大好きなドゥ・ワップ・グループ “クレフトーンズ” の「ハート&ソウル」からいただきました。よくサザンの「真夏の果実」から言われますが、考えた時は全く気が付いていませんでした。後から気が付いたのです。そして Heart&Soul のアルファベットをギターのデザインにすることを思いたち、今のロゴが出来ました、これもよくモンキーズに似てると言われますが、これも考えている時には全く気が付きませんでした。ですのでオリジナルですよ!

そんな準備に大わらわの時、移転を控えた一か月前、営業中血相を変えて入ってきたお客様が、今アメリカで飛行機がツインズタワーに突っ込んだらしい! えっまさか!! 店はテレビが入りませんし、当時ワンセグや携帯もたいして進歩していません。ペンタゴンにも突っ込んだ! 次はホワイトハウスだ! 店の中で次々入ると虚実入り混じった情報に戦々恐々としていました。家に帰ってから見たテレビの映像は更に衝撃的なモノでした。又、その数日後、今度は6階のエレベーターホールでエレベーターが中途半端に止まる事故が発生。扉が開いたままエレベーターがフロアまで落ち切らず真ん中で止まっています。ちょうどエントランスから乗客の膝から足が見える状態。無事何事もなく乗客はすぐ脱出し、すぐに直りましたが、えらくビックリしました。そんな出来事が続く中、新店舗での開店レセプションの日を迎えます。

青天の霹靂(せいてんのへきれき)

沢山のお客様に招待状を出してお知らせを終え、内装工事も無事終わり、看板もできて準備万端で迎えた移転当日、お昼から準備で大わらわでした。バンドのサウンドチェックやらグラス備品のチェック。あれがないから買いに行けとか、内装後の掃除のチェックやら、先頭に立って指揮をしていると、店長が「チーフの “I” さんがまだ来ていません」 「買い物にでも行っているんだろう、一応連絡してみて」と答え、大して気にしていませんでした。それから一時間たっても「チーフまだ来ません、連絡もつきません」 「えーっ、開店まであと2時間しかないじゃないか。一体どこに行ってるんだ。なぜ連絡がつかないんだ」。 いよいよ焦る気持ちと不安が胸を襲います。すると店長が、「チーフの持ち物や包丁道具一式がありません!」。 これを聞いた瞬間目の前が真っ暗になり放心状態。倒れそうになってしまいました。突然の職場放棄。悪い言い方をすれば突然のバックレ。。。何故と考えている時間はありませんでした。2時間後にはお客様が来るのです。ライブレストランで食べ物がないでは済まされません。そこで目の前に出来たばかりの窯焼きピザのお店に事情を説明し、その日の食べ物を全て回してもらう事をお願いしました。ここは現在予約がないと入れない程の人気店ですが、この時はまだ出来たばかりで、オーナーも知り合いだったのでお願いできたことは本当にラッキーでした。当時珍しかった窯焼きピザで超美味しいピザでした。

チーフは、買い出しもしておらず冷蔵庫の中は空っぽ。急いでスタッフに買い出しに行かせ、松下店長に料理させ、なんとか恰好にしようと必死でした。その後、知らせを聞いた近くでスナックをやっていた友人のS君が、店を閉めて急きょ手伝いに駆けつけてくれ、10時くらいからは落ち着きを取り戻し、レセプションほ無事終えることが出来ましたが、一時はどうなる事かと思いました。今も忘れられない大変な事件でした。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック女性編2)

グラディス・ナイト

黒人女性のボーカルで個人的に好きなのはこの人の声です。黒人独特のハスキーボイスで、一声聞けばグラディス・ナイトと分かる個性的な声。ディスコで聞いたマイ・イマジネーションにはまってからこの声の虜です

グラディス・ナイトは、1944年ジョージア州アトランタ生まれ。4歳の時から教会で歌い、なんと7歳の時テレビのオーディション番組で優勝。そこで従妹、兄弟たちと “Pips(ピップス)” というグループを結成し、ここから音楽活動を開始。1961年にデビュー。‘66年に大手モータウンレコードと契約。‘67年 “グラディス・ナイト&ピップス” で出した「悲しいうわさ」が全米チャート2位、R&Bチャート1位を記録し、一躍有名になります、その翌年、この曲は鬼才ノーマンホイットフィールドの全く違うアレンジによるマービン・ゲイのバージョンが全米1位を7週間も続けるという大ヒットを記録。後年グラディスはマービンに取られたと言っていましたが、実は録音はマービンの方が少し早かったようです。聴き比べるとこれが同じ曲? と思わせる出来栄え。アレンジって凄いなと思わせる一例です。

その後‘72年名曲 『Neither One Of Us』 がR&Bチャート1位を記録します。

しかし、モータウンではヒットは出すものの大物スター達の影に隠れ今一歩実力を発揮できない彼らは、‘73年にモータウンを出てブッダレコードに移籍。そこで出た 『Midnight Train to Georgia』 が大ヒット。グラミー賞のR&B部門も獲得し彼らの代表作になります。続く 『I’ve Got to Use My Imagination』 もディスコで大ヒット。‘75年まではヒットを飛ばし続け自分たちのテレビ番組も持っていたほどの人気でした。しかし‘76年以降は低迷期になり、‘78年頃には契約上の問題でピップスと一緒の活動が出来なくなり別々の活動を余儀なくされます。その後、‘80年にはコロンビアと契約しめでたくグラディス・ナイト&ピップスとして活動を再開。‘86年にはスティービーワンダーらとエイズ基金の為の活動で 「That’s What Friends Are For」 に参加したのは記憶に新しい所です。‘88年にピップスと離れ現在に至るまでソロとして活動を続けています。

Neither One of Us (さよならは悲しい言葉)

私にとって泣ける曲ベスト10に入る名曲がこの 『Neither One of Us』。二人とも別れの時を感じているのに自分からは切り出せないでいる。まだ愛しているでも言わなければ。。。こんな微妙な心情を見事に歌い上げるグラディス。その声を聴いているだけで涙が。。。その声の深み、かすれた響きが心に突き刺さるようです。珠玉のメロディを引き立てるギターのトレモロ、ストリングス。絶品です。

そして彼らの代表作 『Midnight Train to Georgia』。故郷から出てきた彼がシンガーでの成功する夢を見て都会で頑張りますが夢破れ夜汽車で故郷に帰る、それに付いていく女性の心情を熱く切なくグラディスが歌い上げます。明るい曲調なのに哀愁がただよいストーリーが流れていくような歌声。そしてこの曲の聴き所としてピップスのコーラスははずせません。まるで汽車の警笛を思わせるような裏声のハーモニーが絶品。この曲はグラディスとの掛け合いがなければ成立しません。誰もが認める名曲中の名曲でしょう。この曲が作られた時は 「ミッドナイト・トレイン・トウ・ヒューストン」 だったそうで、グラディスが録音する時思いが入る様に彼女の故郷ジョージアに書き換えられたそうです。こっちの方が断然ゴロがいいですよね。

昔ディスコでよく聞いた 『I’ve Got to Use My Imagination』 。低いメロディからいきなりサビでオクターブ高くなるのに全く違和感なし、この人の歌の上手さときたら手が付けられません。

そしてバーバラストライザンドで有名な「追憶」。この人にかかるとまた極上のソウルバラードに変わってしまいます。少し思い入れの強い回でしたが私的にはもっともっと評価されていい黒人女性シンガーだと思います。

次号へ続く

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL DATAMAP

HEART&SOUL
〒231-0014 横浜市中区真砂町3-33 CERTE11階
営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
JR関内駅徒歩より1分
地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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