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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第56回 第7章 独立編 9

by staff on 2017/2/10, 金曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

 

横浜、街と風(独立編) 9

キッチンチーフ

大変な思いをしたレセプションも終わり、いよいよグランドオープン! 新たな場所でのスタートが始まりました。落ち着いた内装も評判良く長いカウンターは一人で来店したお客様が来やすくなりました。ただ入り口付近のボックス3つ9名分がステージの死角になってしまい、ここは最後まで悩みの種でした。そしていなくなったチーフの後任を探さなければ行けません。ここで、又、松下店長にしばらくキッチンを頼み募集をかけることにしました。今度は面接を2度に分け、まず一度はジックリ面接をして、2度目は後日好きな食材を持て来てもらい、おつまみ2品と食事2品を作ってもらう事にしました。最初は何人か面接の後おつまみが抜群に美味しかった少し年配のベテランの方に決定。松下もホールに戻ってもらいこれで一安心です。ハート&ソウルではアダム時代からキッチンは毎月2品新メニューを作るというノルマがありました。新チーフも色々作ってくれましたがどれももう一歩私の舌には合いません。決定的だったのは鹿の肉を使った料理の時、けもの臭さが抜けていないのです。彼に言わせるとこれがいいと言います。この時これはこの人とは合わないと思いました。しかし面接の時あんなに美味しかった料理は何だったのでしょう? 聞いてみたらあれは昔知り合いの外人のママにレシピを教えてもらったものでオリジナルではなかったようです。

ノルマ

先ほど述べたように、ハートではお客様を飽きさせない為、又、キッチンのスキル向上の為、毎月2品の新メニューを考えて試作してもらい、スタッフで審査して美味しければ私が決定を出すというシステムでした。この頃はバンドもそうで、まず毎月2曲新曲を決め通信に先に出してしまいそれから必死に練習をしました。カウンターも新しいオリジナルカクテルを一品作らなければいけないノルマです。こうすることによりお客様も新鮮ですし、こちら側もマンネリ防止、又、新しいメニューや新曲は気持ちを活性化させます。バンドの新曲ノルマは一時中断しましたが、最近、又、復活させました!

元気娘

この頃は、お店も広くなったので若い女性アルバイトも沢山入ってきました。学生のバイトもいたのですが、看護婦さんをやっていた人が結構いましたね。ある日、やはり看護婦さんをやっていたというどう見ても学生さんのような子供っぽい女の子が来ました。化粧っ気がまるでなくどう見ても16,7歳に見えましたが、この時20歳位だったようです。歌をやりたいのでそういう環境の中で仕事したいという事で面接に来ました。ボイストレーニングに通っていたので声量があります。何しろ元気があって周りを明るくさせます。これが後にハートで人気者になるトモちゃんでした。

ハートではシンガーを目指す人はお客様のリクエストがあればステージに乗せていますが、こういったシステムが出来たのはトモちゃんが最初だったような気がします。最初にお客様の前で歌う曲のOKを出したのは確かレインボーの『ア・イサレンダー』(Rainbow – I Surrender)。粗削りでしたがこの曲を聞いた時この子は人と違う何か持っていると感じました。彼女は何しろ素直でちょっと変わった私の歌の指導にもよくついてきてくれました。そしてステージ上で飛ばす私の滑ったオヤジギャグに笑ってくれたのはトモちゃんだけでした。この後12年位努めていまではハートのゲストボーカルとして出演。そしてオリジナルバンドでCDを出し活発に音楽活動を続けています。

セクハラ

その後決まったチーフは若い人でしたが、結構色々作れて味もそこそこでしたがある時事件が起こります。この時の店はスタッフの更衣室がなくキッチンと裏口の間にあった狭いスペースをカーテンでしきり着替えのスペースにしていました。ある時女子スタッフが着替えている時天井の目立たない処にのぞき鏡があることを発見! この若いチーフの仕業だったのです本当にびっくりしました。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック女性編3)

ダイアナ・ロス(ザ・スプリームス)

3人目はダイアナ・ロス。2回に分け、まずは最初に在籍していたザ・スプリームス(The Supremes)にスポットを当てましょう。黒人音楽を白人社会に浸透させた最初のグループ(シンガー)と言っても良いのではないでしょうか。私らはずっと “シュープリームス” と呼び、レコードや雑誌でも “シュープリームス” と書かれていましたが、ここ数年でしょうか、 “スプリームス” と変わったようです。ですので以後は “スプリームス” と書きます。

以前 ビヨンセ主演で話題になった映画『ドリームガールズ』のモデルはスプリームス。ご覧になった方も多いと思いますがかなり事実に近いのではないかと思います。

結成

スプリームスは、ダイアナ・ロス、フローレンス・バラード、メリー・ウイルソンの黒人女性3人組。ベリー・ゴーディJrのモータウンレコードから人種の壁がまだ厚い60年代に世界のトップスターに登りつめました。

ダイアナがまだ14歳の時、ドゥワップグループ、ティネイジャーズの少年歌手フランキー・ライモンの声に魅せられて、彼らの曲を四六時中歌っていた頃、近所に住むフロ-レンス・バラード、メリー・ウィルソンに、当時流行していたガールズグループを組もうと誘われ、「プライメッツ」を結成。知り合いの男性コーラスグループ「プライムス」と共にダンスパーティのステージなどに上がるようになりました。(このプライムスは後のテンプテーションズ) 高校生の時、モータウンレコードのオーディションを受けますが、高校を卒業するまでは契約できないと言われてしまいます。積極的な彼女たちは足しげくモータウンに通い雑用やちょっとしたコーラスなどを手伝い自分たちをアピール。やがて社長のベリー・ゴーディに認められ、1961年にデビューします。しかし、約2年間は鳴かず飛ばず。一時はスターになる夢をあきらめかけた彼女たちでした。

この頃、グループのリードボーカルは少しぽっちゃりめのフローレンス・バラードと美人のメリー・ウイルソンが多かったのですが、ベリー・ゴーディの決定でリードボーカルはダイア・ロスに変更。2人はバックコーラスに回されてしまいます。ベリーは声量や歌唱力のあるフローレンス・バラード、メリー・ウィルソンより特徴のある声のダイアナを選んだのでした。

ブレーク

彼女たちに幸運をもたらしたのはモータウンの人気作曲家チーム “ホーランド=ドジャー=ホーランド” との出会いでした。 ‘64年、彼らが作曲しダイアナ・ロスがリードをとった「愛はどこへいったの」(Where Did Our Love Go ? )がR&Bチャートのみならず白人層にもアピールし、全米トップチャート1位を獲得。その後も立て続けに5曲も全米No.1にしてしまいました。その後も人気はとどまることを知らずヒットを連発。ビートルズ以降のイギリス勢に独占されていたアメリカのポップチャートで12曲をNo.1! ‘70年までになんと34枚のシングルをチャートに乗せました。

彼女たちの成功は正にアメリカンドリーム。どこにでもいそうな田舎の娘たち。またそれほど美人でもなく、アレサなどに比べればそんなに歌が上手いわけでもないダイアナ・ロスのリード。しかし時代が求めていたものとぴったりマッチしたのでしょう。

しかし、栄光の影にスプリームスはメンバーの不仲という問題を抱えており、優遇されるダイアナに対する不満がほかの二人に渦巻いていました。(又、当時ベリー・ゴーディとダイアナは恋仲だったのです。 “モータウン我が愛と夢 ベリーG著) いつかリードボーカルを取る日を夢見るフローレンス・バラードは、来る日も来る日もダイアナの後ろで「ウー、アー」コーラスだけの日々。いつしか酒に救いを求め続け、仕事に遅れたりしてやがては ‘67年アルコール中毒の為グループをクビになります。(フローレンス・バラードはこの9年後失意のうちに短い生涯を閉じました) グループは、代わりにシンディ・バードソングを加入させ、名前もダイアナ・ロスとスプリームスに変更新たなスタートを切りました。

しかし、メリーとダイアナの仲はますます悪化し、グループとしての存続は難しくなり ‘70年ついにダイアナはソロとして独立。メリーは新メンバーと新しいスプリームスを結成することになりました。ダイアナ・ロスとスプリームスはラストシングル「サムディ・ウィル・ビー・トゥゲザー」(SOMEDAY WILL BE TOGETHER) 邦題「またいつの日か」を最後に栄光の幕を下ろしたのでした。

私見

ダイアナの声は程よいハスキーさで中低音が程よく響きとても耳心地いい感じです。キーはそれほど高くないのですが高音の倍音が程よく出ています。それに何より個性的で一度聴いたらダイアナと解る声です。

一般的に黒人女性の喉は強靭で、当時は豊かな声量と歌唱力が求められシャウト(叫ぶ)してもよれることなく、教会のホールで良く響くようなシンガーが良しとされました。ダイアナは、たまにシャウトっぽい感じに歌いますが、無理がある様に感じますね。どう考えてもフローレンスの方が歌は格段に上手いです。(クリスマスアルバムの『Silent Night』はフローレンスのソロ、見事な歌唱力です) しかし、ベリー・ゴーディが狙っていたのは白人のティーンエージャーに受ける事。ダイアナの声が白人に受けることを見抜いたベリーはすごいです!

そして作曲家チーム “ホーランド=ドジャー=ホーランド” の作る曲に合っていたのでしょう、大人の恋に憧れるティーンエージャーの心を鷲掴みにする歌詞と覚えやすいメロディ。これを迫力の歌で歌っても白人は引いちゃいますものね。

何枚かアルバムを出していますが、 面白いのは当時ライバルだったはずのイギリス勢ビートルズなどの曲ばかり歌った『A Bit of Liverpool』(ビートルズをはじめとするリバプールサウンドのカバーアルバム)。イギリス風のスーツ姿がおしゃれで人気があったヨーロッパなどに受けるように作られたのでしょう。サム・クックばかりを歌った『We Remember Sam Cooke』などは逆に黒人たちに受けるよう作ったのかもしれません。

私が初めにダイアナを意識したのは兄のレコード棚にあった『Love Child』。ダイアナが抜ける前の頃のシングルで、私生児を歌った社会的な内容ですが、そんなことは関係なく今聞いてもかっこいい曲です。もう一曲大好きなのはテンプテーションズとのデュエット『I’m gonna make you love me』。そして初期の作品群モータウンシャッフルの元になったリズムの『恋はあせらず(You Can’t Hurry Love)』、そして『STOP! IN THE NAME OF LOVE』! 今でも歌い継がれる名作です。 次回は独立後を!

次号へ続く

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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