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嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

by staff on 2017/3/10, 金曜日

♪ 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな ♪


絵・千絵崇石
 

読み人:西行法師(さいぎょうほうし)

現代語訳・・・月が私を悲しませようとしているのか、いやそんなはずはないのだが、そうとでも思いたくなるほど、月にかこつける様にして涙が流れてしまうのだ。
(京都時雨殿HP 歌意より)

いつもは自分の中で現代語訳を考えるのですが、この歌はどう文章にしてよいのかわからずに京都の嵯峨野にある小倉百人一首の殿堂 時雨殿HPにある西行法師の歌意をそのまま掲載させていただきました。勿論館長様には許可を取って在ります。

西行法師はとても有名な歌人です、彼が出家したのは23歳の時。23歳と言ったら人生の青春真っ盛りで、肉体的にも精神的にも溌剌として周りは大人として認めてくれて俗世間というものが一番面白い時期なのでは、と現代人の私は思ってしまうのですが、彼は由緒ある武家の家から出家してしまいます。その時にはすでに歌人としても認められて、鳥羽天皇の北側護衛をするエリート士官、裕福で何不自由ない暮らしぶりでした。
出家を決意した時には奥様も子供もいて家を出て行く時には自分にまとわりつく4歳の娘を足蹴にして出て行ったというエピソードが残されています。
それだけだと冷たい男性の様に思われてしまいますが、その後のエピソードが又趣があります。それから2~3年後に都に戻ってきた時に、自分の娘を託した弟の家に行き、誰にも内緒に、物陰から子供たちの様子を垣間見ていました。すると自分の娘が、物陰に居る僧侶に気が付いて、変なお坊さんがいるから怖い、あちらへ行きましょう。とお家に入ってしまったとのこと。

西行法師は当時の文化自由人で、出家してからの行動は沢山の逸話を残し、亡くなってからも彼を題材にした物語やエピソードが各地に生まれています。歴史的な史実は勿論ですが、地方に残されている逸話はとっても楽しいものが多くて、特に訪れた村で子供達にやり込められてすごすごと、もと来た道を引き返す。という話はもう逸話というより民話の世界。それだけ大きな影響力を持った歌人だったのでしょう?

彼が出家した理由は色んな要素が絡み合っていたのだと思いますが、一番の理由は自分が愛してしまった高貴な女性と、その女性にまつわる数奇なスキャンダル。そのスキャンダルの深刻さによって将来に予測される自分の武士としての困難さ、そして友人の突然の死、等が若くて純粋な気持ちの中でどうにもならない程の厭世感を持ったからだと。私は思っています。
まず鳥羽天皇の中宮 侍賢門院璋子に恋をしてしまった事。彼女は16歳の時に鳥羽天皇のお妃さまになりましたが、その前から鳥羽天皇の祖父の白河上皇に寵愛されていました。鳥羽天皇の間に生まれた最初の皇子が後の崇徳天皇です。白河上皇が亡くなるまでは、問題は伏せられていましたが、白河上皇が崩御された途端に鳥羽天皇は自分の権力を発揮し始めます。当然の事なのですが、最初の息子を叔父子と呼び自分の息子ではなく妻、璋子と祖父の白河上皇の息子だと言う事をはばからなくなりました。それらのあからさまな態度は北面を補佐する武士達にも伝わってきます。璋子に恋していた西行にはそれらの事がどんなふうに映ったのでしょうか?彼は出家して世間を捨てたけれど、結局都を離れることが出来ませんでした。それは暗澹たる未来の予想の中で、自分がかかわった宮中の人間模様が見せて行く亀裂が、気が気で成らなかったからだと思います。案の定保元の乱が勃発し侍賢門院璋子と息子達が骨肉相戦う事件の結果、崇徳院は讃岐に流されます。
前月の法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠道)も西行法師も日本史上初めて院政を引いたとされる白河上皇の盲目的愛着によって生まれた時代の因果に翻弄されて、それでもしっかりと自分の人生を生き抜いていった素晴らしい歌人たちでした。
最後に時雨殿の館長さんに、西行の出家の原因を尋ねたところ、「和歌を心底、歌う為に出家したのでしょう」というお答えが。そう!それが本当に彼の使命だったのだと思います。

(早苗ネネ♪)

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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