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私にとって横浜は『良き友や家族』です。 横浜海賊マッスル船長こと三岬浩遵さん

by staff on 2017/4/10, 月曜日

横浜で活動される方々を点に例えるのなら、点と点を結び線にしていきたいと思います。そして、各団体が抱える様々な問題を凸凹に例えるのなら、この団体の凸にはあの団体の凹をこの団体の凹にはあの団体の凸をと・・・とジグソーパズルのようにはめ込み大きな面にしていくことが夢です。こう強く語ってくれた横浜海賊マッスル船長こと三岬浩遵さんにインタビューしました。

三岬 浩遵(横浜海賊マッスル船長)
三岬 浩遵
(横浜海賊マッスル船長)
 
お名前 三岬 浩遵(横浜海賊マッスル船長)
みさき ひろのぶ
お生まれ 1973年10月23日
お住まい 川崎生まれ、町田育ち、座間在住
ご家族 母 犬2匹
お仕事 イベントプロデューサー・企画・マーチャンダイジング
市場調査
趣味 宇宙探訪

 

勉強よりも木に登って生物を観察するのが好きでした

柿木は登らない方が良いですよ、折れやすくて・・・小学生の頃、木から落ちて私も肘を捻挫しました(苦笑) 登りやすい木はクヌギや松の仲間ですね。木の上で、昆虫などの生物を観察するのが好きでした。人よりも高いところからの眺めは最高ですね。だからと言って人よりも上を目指したり、目立ちたがり屋ではありませんでしたね。内気な生物好きの「オタク」。ボウフラを飼って孵化させたりしました(笑) そこには子供なりの小さな発見がありました、蚊はメスが血を吸い、オスは花の蜜や樹液、草の汁などがエサだということを自分で発見(?)すると嬉しくなって皆に話して聞かせるわけです。同級生からは『物知り』だと思われました。 メスが子孫を残すために血を吸って命を繋げていく・・・小学生の時に、生命の不思議や宇宙を感じてましたね(笑)

理科以外では図工や体育が好きでした。音楽の授業は嫌いでした、意外でしょう? 父がクラッシックのロマン派が好きで良く聴いていましたので、私の音楽のベースはクラッシック音楽ですね。

『セリフはアドリブ』 子役の頃

小学校4年から中学校の頃に劇団に所属していました。 子供向け番組の特撮ものや、舞台、声優まがいのこともやりました。セリフを頂き、暗記して本番を迎えるのですが。。。 監督から『演技とは別人になりきること』と言われ、自分なりに『別人』になって、自分なりの解釈でセリフを言うので、良く注意されましたね。結局は自分で考えたアドリブのセリフの方が自然なので「よかろう」となるのですが。。。

中学生の頃は「興味のわかないものはしない」を決めていましたから、部活動も野球部に入部して、自分のセンスに合わないと科学部に入り、これも違うと思ったら美術部に転部したりと・・・ 結果、中学の成績は「のびた君」と並ぶ程度、「いつも0点を取るのは難しいのにね」と担任に言われましたね(爆笑)

高校でイベントプロデュースの面白さにハマる

県立高校に入学し、ここで自分の才能(笑)が花開いたと思います。とにかく学園祭、体育祭を仕切るのが面白かったです。実行委員会を作っての活動はまるで「イベントプロデューサー」のようでしたね。

服装委員会も作りました。制服を「着る」「着ない」を選べる「選択の自由」。靴下の色も自由に選べるようにしました。スカートしか認められなかった女子の制服にズボンを選択できるようにしました。制服自由化に至るまでのハードルは高かったけれど、校長や教頭とマンツーマンで話す機会を作ってもらい持論を展開しました。 屁理屈をこねたような持論を、ちゃんと聞いてくれ、できるところから実現してもらえたという体験は、私の人生の大きな糧になりました。はい、制服自由化の礎を創ったのは私だと自負しています(笑)

専攻は福祉、知的障害者介護施設で働く

大学では福祉を学びました。ソーシャルワーカーを目指して4年間勉強するはずでしたが、授業がつまらなかった。。。 そして「興味のわかないものはしない」という例の性格が災いして1年で中退。プロのドラムスに憧れて音楽の道へと足を踏み出しました。父の影響でベースにクラッシックロマン派があり(笑)、そこにロックドラムが組み合わされ、独自の音楽を創り出しました。バンドを組んで神奈川や東京のライブハウスに出たりしました。

多感な頃でした、世界はイランイラク戦争の真っただ中、戦禍に苦しむ人の姿を見て『悲しみ』と『絶望』を感じました。そして、自分が行っているライブ活動が自己満足だと思えてきました。達成感を得ることができないでいました。

生き物が好きだった私は、人に寄り添うことが出来るのではないかと思い、知的障害者の介護施設に12年間社員として働きました。介護士という資格があいまいな頃のことです。先輩から仕事を引き継ぎ、教えられた中には自己鍛錬的なものもありました。その環境の中で気づいたことがありました。「セレクトするのは自分、調整するのも自分だ」ということです。

こうして、世の中で揉まれるうちに、自分を表現できる『言葉』の使い方を覚えました。小・中・高と『興味のわくことしか学ばない子』でしたから、使う言葉も稚拙なので自分が言おうとすることが相手に上手く伝わらないことがありましたから(苦笑)

童謡R&B

自治会(町内会)のお祭りやイベントの手伝いから信用を積み重ねていきました。学生時代に夢中になった学園祭や体育祭での達成感がよみがえりました。 2009年頃だと思います、「童謡R&B」という新しいジャンルの発信を始めました。「童謡R&B」とは童謡とブラックミュージックの合体を図り、お洒落であって恰好良く、笑いもあって、それでいて音楽性もしっかりとしている楽曲を創り出すことで、TV番組で紹介されたり、ユーチューブで世界に発信されたりしました。

童謡R&B Misakoh OFFICIAL WEBSITE:http://www.misakoh.com/

ラインナップ:http://www.misakoh.com/Works.htm

2013年開港祭 マッスル船長ユーチューブ

ターニングポイント

2011年4月半ば頃、震災地でボランティア活動を行いました。行方不明者の捜索活動を行う若い自衛隊員と共に過ごす時間が多い場所でした。捜索活動のお手伝いもしました。

若い人は「人の死」に直面した経験が乏しく、自衛隊員も例外ではありません。戦闘訓練は「訓練」であり「戦死者」が出るわけではありませんからね。死後処置をされた遺体を見ることはあっても、震災から1カ月が経過したあの状況は現地に居た人にしか分かりません。精神的なショックが大きくて、状況が理解できない・・・ 心を病んでいく若い隊員と共に過ごし、私も心が痛みました。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は震災に合われた方々へ、早期に適切なケアが必要だとマスコミに取り上げられましたが、「自衛隊員はこうあるべきだ」と思われ、現実とのギャップに苦しみ、辞めていった若い隊員にもケアが必要だと思いますね。 彼らとは今も会って話すことがあります。

被災地での経験は私の精神的なターニングポイントになりました。このころから「世の中の役に立つ仕事がしたい」と思うようになりました。

人と人を繋いで 点と点を結んで

横浜ビー・コールセアーズ(プロバスケットチーム)のオフィシャル・パフォーマが『横浜海賊マッスル船長』の始まりです。エンブレムの海賊が球戯場に現れて、会場を湧かしたり、チームを応援したり、子供の相手をしたり・・・契約した4年間があっという間に過ぎて行きました。現在『マッスル船長』は開港祭や学園祭、商店街のイベントなどに出没しています。

横浜ビー・コールセアーズのエンブレムとマッスル船長の登場シーン

学園祭では学生の話を聞き、商店街では店長やお客さんの話を聞き。。。地域のイベントでは主催者の話を聞いているうちに、この人たちを繋げたら面白いと思うようになりました。私は横浜海賊ですが住いは座間市です。 外から見ると横浜市全体が見えてきます。そして、横浜のためにも神奈川県全体を繋げていけたら面白いと思います。「今思いついたことは今しかできない」と言うのが私の座右の銘です。思い立ったら吉日だと・・・後回しにしたら、それだけ損失が大きくなると思います。

イベントでは子供達に人気があります

世界2,000以上の都市で9月22日に開催される「カーフリーデー」、横浜でも日本大通り会場と横浜公園会場で行われています。世界同日開催の大イベントですが周知度が低いイベントです。2017年から理事として参加することになりました。「人と人を繋ぎ、点と点を結ぶこと」で『横浜カーフリーデー』をより充実したイベントにしていくことが私の課題となりました。

私にとっての横浜

「『横浜』はもったいないなぁ~」と思います。横浜ではそれなりの事をすれば、それなりの人が来ます。ですから、あえて他団体や他の組織と結びつく必要なないわけです。同じような考えの同じような団体が主催する同じような規模のイベントが行われています。

しかし、良く話を聞けば、人手不足や高齢化、資金集めなどなど、各団体が抱える問題は存在し、問題を凸凹だとしたら、各団体の凸には凹を凹には凸を上手くはめ込みジグソーパズルのように繋げて大きな面にしていきたいと思います。

私がこうして活動できるのも、理解ある友人や家族があってのこと。。。私にとって横浜は『良き友や家族』です。

私にとって横浜は『良き友や家族』

横浜海賊マッスル船長(facebook):facebook.com/…

三岬浩遵(facebook):facebook/com/…

(文:高野慈子  写真提供:三岬浩遵)

 

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ヨコハマNOW 動画

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

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