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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第60回 第7章 独立編 13(最終回)

by staff on 2017/6/10, 土曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

 

横浜、街と風(独立編) 13(最終回)

セイルアウェー

音楽を始めてからずっとやりたいと思っていた夢がありました。それは全曲自分で作詞作曲して歌った楽曲をスタジオで録音しアルバムを発表したいという夢でした。それまでも何度か曲作りに挑戦しましたが形にした事は一度もありません。そんな年月を経るうち自分には曲作りは無理かもしれないという思いが心の大部分を支配し始めていました。又その一方でそんな自分が嫌でいつか挑戦してやろうと思う自分もいて葛藤を繰り返していました。48才の頃、50歳の誕生日にそのアルバムを発表するという目標を立てました。馬車道店も軌道に乗り気持ちにも余裕がでてきた丁度そんな時、同じ馬車道でライブハウスを経営していて懇意にさせていただいている滝ともはるさんの記念イベントで一曲歌わないかとのお話を頂きました。滝さんといえば南回帰線の大ヒットで全国的に有名な方。しかも場所は関内ホール(大ホール)で上田正樹さんやメジャーな方も多数出演されるという事で願ってもない光栄なお話! これは神様が下さったチャンスに違いない。よし、このチャンスに一曲作ってこのコンサートで歌ってみたいと思い書いたのがセイルアウェーでした。コンサート当日初めて人前で披露するオリジナル曲。不安と緊張の連続で満員の関内ホールで歌い終えた時はなんとも言えない達成感でした。この時リハーサルを舞台のそでで見ていた上田正樹さんに「いい曲だね」と言っていただいた時の感激は一生忘れられません。

50才の誕生日にオリジナルCD発表

この後中々曲が浮かびません。セイルアウェーと以前ラフに書いたのを完成させた「ハーバーライト」の2曲だけではアルバムになりません。これは締め切りを作らなければいけないと思い、まず録音スタジオを抑えミュージシャンのスケジュールを決めました。これで録音日までには曲を完成させていなければなりません。すると不思議に曲が出来ていきました。締め切りが近づくとアドレナリンが出るのでしょうか。欲しいメロディが降りてくるし、決めあぐねていた完成前の仕上げも締め切りで諦めがつきます。こうして初のオリジナル曲によるミニ・アルバム「セイルアウェー」が完成、50歳の誕生日9月7日にお店で発表記念ライブをやりました。その後もこれらの曲は気に入っていただいた方々に今でも根強くリクエストを頂きます。作ってよかったなと思える瞬間です!

セルテ2号店

その後セルテにあったオールディーズ専門のライブハウス「リトルダーリン」が閉店したとの情報。跡地でやってみないかとのお話を頂きました。セルテは以前関内センタービルといって若いころカウベルを始め色んなお店で遊んだ想い出の場所。思い入れがありました。駅前というよりほとんど駅ビル状態で関内の象徴と言ってもいいくらいハマッ子にとっては特別の場所です。さんざん悩みましたが夢の2店舗目をここにオープンすることにしました! ハウスバンドを二つに分けセイゴ君とナオキ君を中心に私も馬車道と行ったり来たりの活動をしましたが、体は一つしかないので目が行き届きません。中心スタッフも半分になるので戦力も半減。更に人気者だったYou君がやめる事になりました。12月こそ健闘しましたが年明けはきびしいものがあり売り上げも中々伸びません。更にあの大震災が起こり売り上げは激減し始まって以来のピンチを迎えました。そこで2店舗経営を断念。馬車道店を閉めセルテ店一本にしぼってこの窮地を乗り切りました。

同年夏には東北復興支援音楽波止場IN象に鼻に参加させていただきました。このイベントはこれから6年間続くことになり昨年(2016)は8千人が象の鼻公園にいらして頂きました。
象の鼻での活動やTV番組 “アド街ック天国” に取材していただいたことで新しいお客様も増えてセルテ店もなんとか軌道に乗ることが出来てきました。これもひとえに今まで応援してくださりお店にいらして頂いた皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。いよいよこの6月9日でお店を立ち上げてから20周年を迎えます。現在ハート&ソウルを支えてくれている戸巻店長はじめスタッフのみんな、そしてパートナーである五月マネージャーに感謝を捧げ、新しいハート&ソウルを旅立ちさせたいと思います!

ヨコハマ・ディスコグラフィティー・中締めです

いつか自分史を書いてみたいという夢もヨコハマNOWに連載させていただくことで達成することができました。
今回で60回、今まで5年の長きにわたりご愛読くださっていただいた皆様ありがとうございました。
でもここで人生が終わった訳ではありません。中間点という事で区切りをつけさせていただきました。原は後一年で還暦! 又新たな目標に向かって邁進したいと思っております。
誤字脱字、又筆不精で締め切りぎりぎり、時には遅れることもしばしば、そんな私を温かく見守りご理解をいただいて5年間掲載させていただいた編集長の辰巳様に心から感謝いたします。

原 正行

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック女性編7)

ホイットニーヒューストン

こちらも最終回。これまで黒人女性ボーカルの歴史をつづってまいりましたが、そんな歴史の歩みを体にしみ込ませ80年代に更なる高みに昇華させたこの人で締めくくりたいと思います!

本名ホイットニー・エリザベス・ヒューストン。1963年8月9日米国ニュージャージー州生まれ、偉大なるゴスペルシンガー“シシー・ヒューストン” を母に持ち、ディオンヌ・ワーウィックは親戚。シンガーとして生粋のサラブレッドでした。母シシーは女性3人組のスィートインスピレーションズのメンバーでソロの歌も文句なく見事な歌唱力、野太い声なのにどこかチャーミングでその深い響きは正にソウルと呼ぶにふさわしいものです! エルビスプレスリーやアレサ・フランクリンのバックコーラスでツアーを務めていた時期もあり、エルビスのコンサート映画にもその姿が映っています。又アレサはホイットニーを小さいころから可愛がっていたそうです。アレサと母親たちの極上のゴスペルステージを間近でみて育ったわけですからシンガーとしてホイットニーはこれ以上ない教育環境であったと言えるでしょう。幼いころから聖歌隊に入り11歳で初の教会ソリスト、そのころピアノも習い始め、高校時代は母に歌の手ほどきも受けて二人でステージに立つようになり、一人でもチャカカーンのバックコーラスを務めたり、又抜群のスタイルに成長した彼女は10代の頃からモデルとしても活躍していました。

デビュー

83年頃アリスタレコードの社長クライブ・デイビスに認められ契約、クライブはこれが売れるのは間違いない、ただどうやってセンセーショナルにデビューさせるかその時期を狙っていました。当時のヒット路線はコンピューターを使ったテクノ風サウンドが主流でした。クライブの作戦はこれを逆手にとって彼女の歌唱力を存分に生かせる「王道のバラード中心」で行こうと決めたのです。クライブは音楽関係者を集めたパーティを開き、そこでデビュー前無名のホイットニーを登場させてバラードを歌わせました。曲は元世界ヘビー級チャンピオン・モハメドアリの伝記映画の主題歌でジョージベンソンが歌っていた「グレイテストラブオブオール」。その歌の上手さ素晴らしさ、彼女の美しさに会場にいた人々は度肝を抜かされました。その場にいた一人がこの曲の作曲者マイケル・マッサーでした。彼はホイットニーに歩み寄り「いやぁ、光栄だね、僕の作った歌を歌ってくれるなんて、、」と話しかけます。マッサーはダイアナ・ロスの「タッチミーインザモーニング」や「マホガニーのテーマ」のバラードヒットの作者として注目されていました。彼はホイットニーが気に入りデビューアルバムのプロデューサーを引き受けます。彼は彼女の為に「セイビングオールマイライフ」やバラードを彼女の為に提供。そして作られたアルバムバラード中心の「そよ風の贈り物」はセンセーショナルな話題を呼び、売れに売れ、2枚目のシングル「セイビング~」からは7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てデビュー早々大スターになってしまいました。

マイケル・マッサー

すこし脱線しますが、この人がいかにすごい作曲家かを語ります。マイケル・マッサーの曲のお陰でホイットニーは衝撃的なデビューを飾る事が出来たと言えるでしょう。逆にマッサーもホイットニーのお陰で一層脚光を浴びたとも言えますが。。。彼の作品を一部紹介。彼女のデビューアルバムから「グレイテストラブオブオール」 「セイビングオールマイライフ」 「オールアトワンス」こんな名曲が3曲も見事な名唱で入っているのです。売れないわけがありません。ハートでやっている曲だけでもダイアナ・ロスの 「タッチミーインザモーニング」や「マホガニーのテーマ」、ジョージベンソンの「変わらぬ想い」、ナタリー・コールの「ミスライクユウークレイジー」、ロバータフラックとピーボの「愛のセレブレーション」とスローの名曲オンパレードです。

ボデイガード

この後もトップスターとしてヒットを出し続け1992年ケビンコスナーと共演した初主演映画「ボディガード」が成功を収め主題歌の「オールウェイズラブユー」は全米シングルチャートで14週連続1位を記録する彼女自身最大のヒット曲となりました。この曲は国民的カントリーシンガー、ドリーバートンのカバー、ケビンがホイットニーに勧めたそうです。オリジナルもカントリーバラードとして素晴らしい出来ですが、ホイットニーが歌う事により極上のソウルバラードに生まれ変わりました。黒人女性ボーカルの粋を集めた歌唱と言えるでしょう!

私生活では ‘92年ボビーブラウンと結婚、翌年一人娘クリスティナを出産。2000年ベストアルバム発売後ハワイの空港で大麻所持により拘束。その後薬物の常用などを告白。又夫の度重なる暴行で雑誌等を騒がせましたが ‘06年離婚が成立。2009年に新アルバムが初登場1位で復帰。ツアーに出ますが体調は思わしくなく、英国公演では息が切れたりしてトラブルが続きます。そして2012年ビバリーヒルズのホテルでの突然の訃報に世界中のファンが悲しみに包まれました。

黒人にしか表現できないであろう歌世界! それはリズムであったり声帯であったり身体能力であったりそれは民族の歴史が培ってきて脈々と受け継がれてきたものでしょう。80年代から現代にかけての世代にフィットしその世界の頂点を極め、恵まれた容姿とセンスを備え、人種も国もこえ世界中で愛された素晴らしいシンガー、ホイットニーヒューストン!
いまだに彼女を越える黒人女性シンガーは現れてはいません、

音楽夜話をご愛読くださりありがとうございました!

今まで5年の長きにわたりご愛読くださっていただいた皆様ありがとうございました。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL DATAMAP

HEART&SOUL
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営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
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地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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