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横浜スケッチ(第28回) クロアチア、スロベニアの旅から

by staff on 2017/8/10, 木曜日

ペンネーム 成見 淳

6月8日から13日までの初個展が終わり、のんびりする間もなく7月10日から17日まで、アドリア海を挟んでイタリア半島の東対岸のスロベニア、クロアチアを回って来ました。

例によって取材&終活と称して。

日程的には、初日に飛行機トラブルがあり行程が翌日にずれ込んだりしたものの、森あり湖あり鍾乳洞あり、お城、教会、港町、首都ありの、盛りだくさんの充実した旅でした。

帰国して現実に戻り、取材量の豊富さに反比例して絵の制作がはかどらず、焦りを感じてとりあえず文章を書き始めたのが23日の日曜日の午後。全英オープンを見ながら松山選手がホールアウトする頃に書き上げました。いつもならとっくに絵も描きあがって推敲に入っているところなのに。

 

旅行社の募集タイトルは「クロアチア、スロベニア ハイライト周遊8日間」。そのハイライトはクロアチアのドブロヴニク旧市街とプリトヴィッツエ湖群国立公園、スロベニアのブレッド湖とポストイナ鍾乳洞。

前回に続いて取材に専念するため団体ツアーに参加。客は24名、うち女性21名、男性3名。男性二人は私より年上で、1名がご夫婦で参加。一人参加は小学校の先生をされていたNさんと私。女性の一人参加は若いお二人。クロアチアは若い女性に人気があるようで、今回も子育て前、結婚前の女性が多く、お友達同士、親子連れのペアが圧倒的に多かった。

募集タイトルはクロアチア、スロベニア二か国だが、入国したのはドイツ、オーストリア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの5か国。ボスニア・ヘルツェゴビナはクロアチア国境に南北を挟まれた所にほんの少し海岸線のある領土を有しており、まるで関所のような感じだった。

この国境を越えて再びクロアチアに入りドブロヴニクの旧市街へと南下し、帰りはほぼこのコースを北上した。

一日目は羽田を発ってドイツのフランクフルトで乗り継いでオーストリアのグラーツ空港に降り、陸路でスロベニアのブレッドに宿泊する予定。だったが、グラーツ地方悪天候のためフライトキャンセル。急きょフランクフルトに宿泊変更となり、初めてドイツの地に降りることになった。その影響かどうか機内では、特に食事の時に限ってよく揺れた。それも今まで経験したことのない横揺れのためにビールやワインがこぼれないよう必死に手で持ってこらえた。

このため、もともとタイトだった初日の日程を第二日目に繰り越すこととなったが、添乗員の必死の努力と現地エージェントの機敏な手配で何とか回復できたのは不幸中の幸い。女性客が多いせいかだれも文句は言わない。(もっとも女性必ずしもおとなしい訳ではないというのは某国会議員が証明している。)

飛ばなかったのは我々の乗るはずの飛行機だけでなくグラーツに向かう全便だったようで、空港からホテルに向かうバスやホテルのチェックインに時間がかかり、寝たのは現地の深夜1時過ぎ。

二日目。フランクフルトのホテルを6時に出発し、オーストリアのグラーツ空港から陸路をバスで(以後移動は全てバス)ブレッド湖、湖上に浮かぶ小島(何とこれがスロベニア唯一の島)に手漕ぎボートで向かい、99段の急な階段を上り、聖マリア教会などを観光。

「ブレッド湖にて」(スロベニア)水彩 26cm×36cm
イタリアから来たカップル。イタリアは陸続き。「アリベデルチェ」と言って別れる。
撮影許可をもらう際にヨコハマNOWのアドレスを教えたのでご覧になるかもしれない。

続いてポストイナに向かい、最終18時のトロッコ列車でヨーロッパ最大、世界第三位の規模の鍾乳洞観光。このトロッコがまたかなりのスピードで頭上すれすれの洞窟を走る。Nさんと二人で前から二番目の席をゲットし(最前列は怖いので女性に譲ったことにしてリスク回避)スリルを満喫。事前に「速い、速い。」と言われてスペースマウンテン並みを想像していたがそれほどではない。洞窟内は気温10度。30度の世界から一気に真冬の世界へ。このために持ってきたセーターとジャンバーが役に立った。

国境を越えクロアチアに入り港町リエカに宿泊。

ここで参考までに位置関係を地図で示すと。

三日目。リエカを出て世界遺産スプリットへ、39km、6時間半のバス旅。リエカに入る手前から、一部内陸の高速道路を経てずっとアドリア海を右に見ながらの景色。長時間のバス移動は疲れるかと思いきや、景色と適度の熟睡で疲れるどころか疲れを癒す良い時間となった。

4月のコペンハーゲン、オランダの旅と併せて痛切に感じたことは、季節や天候(前者は特に寒く、雨も多かった。)の違いを考慮しても明るさ、明度の違いだ。今回の旅に限っても、南下すればするほど世界が「これでもか!」と思うほど明るく変わって来る。

暗さの中では明度の違いに気が付かないが、明るさの中での暗さや影は明瞭で、強烈な印象を受ける。

この違いは太陽の光線量や湿度の違いによるものだろうが、眼の構造や肌などの生理的な相違、民族気質にも影響を与えていると思われる。コペンハーゲンでの現地ガイドさん(ほぼ私と同年代で長年現地に住み、現地の奥さんを持つ男性。多方面に詳しい。)の話と併せて考えると改めて納得がゆく。彼の奥さんの眼は太陽の光に弱くサングラスは必須だが、逆に室内は間接照明で日本人には暗くてとても本を読めないが彼女には最適とのこと。眼は碧く瞳は大きいそうだ。

コペンハーゲンとアムステルダムの港町の景色を較べても、アムステルダムの建物の色彩の重厚さに比べコペンハーゲンのそれは原色に近かったのが印象的だった。果たして彼らの眼にはどう映っているのだろうか?

 明るさの違いは、さらに南下してドブロヴニク(言い難いので「どぶろく」と言っていた。)に近づくとますます明度を増した。

アドリア海を見下ろすバスの中から眺めながら考えていたら思いついた。

  • 世界は明暗と、色相の違いで出来ている。
  • 地球上の場所によって明度も色相も違う。
  • 見る側の眼の構造も異なる。

さらにこんなことも、絵の世界になぞらえて。

  • 「違い」というのはとても重要なことで、「違い」があるから自己を認識出来る。
    (闇夜のカラスは絵にならぬ。)
  • だから、「違い」は大切にしなければ、尊重しなければならない。

四日目はスプリットから約4時間半、今回の第一の目的地で旅の写真を見て即行くことを決めた、ドブロヴニク。世界遺産の旧市街。

街に入る手前で国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナ領に入り、すぐクロアチアに再入国。

遠くの島影の中に、どうも島影とは違うものを見つけ、やがて半島の陰に隠れたかと思うと大きなクルーズ船が現れ、とうとう海路と陸路で並走し、バスの方が追い越して行った。島影と間違う位だからとても大きく、高い。船腹にはMSCの大きな文字。城内や城壁、旧市街を見下ろす擦るスルジ山の展望台で沢山のMSCのグループと遭遇することになる。見かけた中では15が一番大きかった。少なくとも15グループはいる訳だ。

ドブロクヴニク旧市街。

「ドブロヴニク城壁から」(クロアチア)水彩 26cm×36cm

さてここで、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、さらにザグレブや今回行かなかったコソボなどの地名を聞くと、民族、宗教の違いを超えて連邦共和国の統一を保ったものの、チトー大統領の死後排他的な民族主義者達の台頭とともにユーゴスラヴィア共和国解体過程で起こった1991年から2000年までの、一連のユーゴスラヴィア紛争のことを思い出す方も多いのではないだろうか。

今回の参加者の中にはまだ生まれていなかった人もいらしたのには驚いたが、添乗員の説明や城の入り口のミサイル着弾位置を示した地図、さらには城内に残された破壊された建物の跡やミサイルの貫通した壁などを見て内戦の恐ろしさを実感した。

黒い●▲■がミサイル着弾位置を示す。赤いは火災発生だったか?

自由時間には35度近くの暑さで歩き回るのはきついからと、船に乗ったり、Nさんとビールを飲みながら語らいながらゆったりと過ごしたりして、ドブロクヴニクのさらに南のホテルに到着。

五日目も再びドブロクヴニクに戻り観光。2kmの城壁を一回りして、昼食&自由時間。たっぷり取材してまたNさんとビール。約7時間のバス旅後、世界遺産ブリトヴィッツェ湖群国立公園内のホテル泊。

六日目。森と湖、滝に囲まれた国立公園内を散策約2時間。

標高差約130mを長さ8kmに渡って大小16の湖に、これまた大小無数の滝が流れ込む。

バスで2時間、クロアチアの首都ザグレブに着き、市内観光。首都だというのに道路は広くどこかゆったりした街。日曜日だったせいか?

七日目、八日目。ザグレブからスロベニアを経てオーストリアのグラーツ空港、フランクフルト空港経由で帰国。

今回の旅は取材によるインプットは豊富だったが作品に至るアウトプットが追いつかず、締め切りぎりぎりに何とか間に合って2点掲載。

 

お知らせ

  1. 8月9日より15日まで、横浜そごう9階のギャラリーダダにおきまして公募展が行われていまます。12日までの来場者の投票数とプロの審査員により優秀者には賞金と企画展開催権が与えられます。
    公募展に来られない方のために出品作品2点をアップさせていただきます。

    「バードランド」(コッツウォルズ、イギリス)水彩F4
    昨年9月に訪れ、2泊したバートンオンザウォーターの
    二日目に見つけた野鳥園。
    庭の前に6羽いるのはフラミンゴ(のつもり)。
    公募展用にと公開せずにとっておいた作品

    「修善寺虹の郷」水彩F4
    2017年6月に訪れた時の作品。
    タイトルを「薔薇との会話」としようか迷ったが。

  2. ちょっと早いですが来年2018年6月20日から26日まで、横浜そごう9階のギャラリーダダにおきまして第2回の個展を行います。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 - 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。フォルクローレ(アンデス音楽、ケーナ、サンポーニャ演奏・・・だったが、今は極たまに聴くだけ。

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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