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しあわせの「コツ」(第13回) アンチ・アンチエイジング

by staff on 2018/1/10, 水曜日

第13回 アンチ・アンチエイジング

奈良で茶器を買った時、お店の主人が「器を育てる」「器が育つ」というものの見方を教えてくれました。
陶磁器を使い込むうちに肌にしみが出来たり、艶を帯びたり、新品の時とは違う風情を帯びてくる様子を見て、茶人たちは「よう育ちましたなぁ」と言うそうです。「なんて素敵な考え方なのだろう」と、感激してしまいました。いにしえの茶人たちは、器が経てきた時間と使い手との関わりが作り出した物語を可視化して賞味していたのです。その細やかで、鋭い感性に脱帽です。

私がこの「器が育つ」という考え方に共鳴したもうひとつの理由は、そこに今はやりの「アンチエイジング」の考え方と真逆の思想を見てしまったからです。

団塊の世代が老境に差し掛かった現在は、アンチエイジング全盛時代です。しわ、たるみを改善する化粧品やサプリ、若見せのメイク法、果ては男性機能の回復剤まで、介護同様アンチエイジングも巨大なマーケットを築いています。



ネットでは「アンチエイジング」広告が花盛り

勿論、健康で若々しいのに越したことはありませんが、「アンチエイジング」流行の背後には、「老いる」ことへの恐怖、「若さ」=「美しさ」という考えがあるように思います。年を取ることは醜い、だから年を取りたくない!いつまでも若くいたい!という考えが根底にあるのではないでしょうか?
そこには大自然の営みである「変化」を拒否し、自然の一部である自分に当然訪れた変化をなかったものにしようとする意志があります。

もし「若さ」が人間の最高の価値だとしたら、「若さ」のピークを過ぎたら人はただ劣化するだけの存在なのでしょうか? 年を取ったら、容色も体力も衰えた姿で、人はお迎えが来るまで肩をすぼめて歩かなくてはいけないのでしょうか? 寿命が延びることを喜ぶ一方で、年を重ねることを忌み嫌うこのダブルスタンダードに、私は若い頃から少なからぬ違和感を感じていました。

でも、高校2年の時、私は最高の答えに出会ったのです。

それは世阿弥の「風姿花伝」の原文を読む古典の授業の時でした。

世阿弥の父、観阿弥は52歳の時、駿河の浅間神社で奉納の能を舞いました。600年前の52歳は今でいえば70代後半にあたるでしょう。老境にあった観阿弥は当時病にも冒されており、5月4日に能を奉納した2週間後の19日に他界しています。普通なら老い衰えていて当然なのですが、そのような状態で舞い収めた観阿弥の芸は、観客も絶賛するほどの、華のある実に見事な出来栄えだったそうです。世阿弥はこの時の観阿弥の舞を生涯の手本としたほどです。

観阿弥は、どんな能を舞ったのでしょうか?

世阿弥によると、その時の観阿弥の舞い方は、手足を動かすようなことは若手に譲って、無理のない芸をことごとく控えめに演じたのですが、それが逆に華やかに見え、「まことに得たりし花」だったそうです。その風情は巌に生えた梅の老木が絢爛と花を咲かせるのに似て、「上がる位を入り舞に」(「花鏡」)演じきったと、世阿弥は絶賛しています。

「上がる位を入り舞に」―。
老境に入っても初心を忘れぬ者は日々進化します。その者にとって、人生に終わりはあっても能に終わりはありません。日々精進する者にとって、今の芸は過去の芸より優れていなければなりません。それこそが「精進した」ということの証しなのですから。そうした意識で時を積み重ねていけば、人生最後の舞台こそ、人生最高の芸に到達できるということになります。

「上がる位」とは進化した状態のこと。「入り舞」とは、最後の舞、舞い収める、ということ。人生最高の境涯のままこの世を去る-なんと素晴らしい、品格のある生き方なのだろう。10代だった私は、想像したこともない凛とした生き方を知り、授業中ではありましたが、なぜか涙が出て止まりませんでした。

苔むした大きな岩に食い込むように根を下ろした梅の老木。節くれだった太い幹からは無数の小枝が天に向かって伸びています。枝と言う枝にはびっしりと咲き誇る白い花・・・。そこには若木が束になってもかなわない貫禄、品格、威厳が圧倒的な迫力を持って観る者の心を揺さぶります。

「こんな生き方があったのか・・・」。
私は自分の無知と若さゆえの傲慢さ(老いに対する皮相的な見方)が恥ずかしくなりました。日々進歩することを心がければ、昨日より今日は少しでもましになっているはず。年を取っても醜くならないんだ、それどころか、若いものが逆立ちしても叶わない「何か」が身についていくんだ・・・。

そう思った瞬間、「ああ、そんな生き方をしてみたい!」と、魂が叫んだ気がしました。

以来、「上がる位を入り舞に」は、私の人生の指針となっています。この言葉を知ってから、私は年を取ることが怖くなくなりました。なぜって今日の私は昨日の私よりどこかしら進化しているはずだから。成人してから、様々な出会いがあり辛い出来事もありましたが、そんな時も、この言葉を思い出すと、元気が出たものです。

現代のアンチエイジングは、「上がる位を入り舞に」の対極にあります。
私たちが時の流れの中で身に着けたものをなかったことにして、「若い=美しい」という価値観で自分を包み込みます。それは現実を見ないことであり、ありのままの自分を拒否することにつながります。アンチエイジングに走り過ぎると、潜在意識のレベルで現実の自分を否定していることに気づきません。

吉田兼好が「徒然草」に書いていますね。

「花はさかりを、月はくまなきをのみ観るものかは」

満開だけが桜ではないし、満月だけが月であるわけではありません。始まりから終わりまですべてが花であり、月なのです。人間も同じではないでしょうか?決して若い盛りだけが美しいわけではありません。健康に気を付けて若々しい容姿を保っているのは素晴らしい事ですが、若者にはない品格や貫禄という「時の贈り物」も、素直に受け取れる人間でいたいものです。

今から20年ほど前、対人関係で苦しんでいた時、思わずこんな歌が降りてきました。

わずかでも 昨日の己に克つ我を 明日の我は なおも超ゆらん

「ああ、世阿弥は今も私の中で生き続けているのだ」、と実感した瞬間でした。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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