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しあわせの「コツ」(第14回) 「ものづくり」が作る「もの」

by staff on 2018/2/10, 土曜日

第14回 「ものづくり」が作る「もの」

自治体であれ、民間であれ、世に「ものづくり〇〇」という組織や企画がごまんとあります。面白いことに、どれも「ものづくり」あるいは「モノづくり」と表記されており、「物づくり」ではないのです。何だか「もの」に込められた思いが垣間見える気がしませんか。

作り手の思い、いつかこれを使うであろう人への思い、また素材自体から立ち昇るエネルギー、「作られた物」の造形が発するパワー、そうしたものの総和が、「もの」を「物」と言う漢字に収束させることをためらう意識を生んだのではないでしょうか?

「こんな素材をこんな風に形にしました」「ここはとても苦心したところなので、こんな風に使ってくれると嬉しいです」-そんな作り手の思いが立ち昇ってくるような作品。それが「物」ならぬ「もの」なのでしょう。

ですから日本人の作った「物」は、工業製品でも細部まで神経が行き届き、最先端の技術で製造された製品ほど、コンピューターも及ばない超絶的な職人技が生きています。

たとえば新幹線のあの流線形の車体ですが、つねに最新技術が投入されるため新型ほど形状が複雑化しています。けれどもそれを作るのは、精密機械ではありません。職人がハンマーで図面通りに根気よく叩き出す昔ながらの「板金技術」なのです。

さらに表面の微妙なカーブの最終チェックはナノレベルの凹凸を測定できるコンピューターではなく、「神の手」と呼ばれるベテラン技術者の「指」でなされます。その技術者は手袋をはめた指に全神経を集中させ、コンピューターでも測定できないほどの微細な歪みを感知します。新幹線の形状の「カッコよさ」「美しさ」は、こうしたほとんど芸術的ともいえる無名の職人技に支えられているのです。

ハンマーで叩き、新幹線先頭部分の美しい流線形を
作り出す作業

工業製品でさえ、まるで「工芸品」か「芸術品」になってしまう日本の「ものづくり」。その淵源は一体どこにあるのでしょう?
大雑把にたどれば、それは縄文的なモノづくりの伝統と、弥生的な職人文化の融合と言えるのではないでしょうか。

縄文時代にはいわゆる「職人」がいませんでした。「モノづくり」-火焔土器のような芸術性あふれた道具さえ―はすべて平民、すなわちごく普通の人々が行っていたのです。驚くことに、製鉄の蹈鞴(たたら)も平民が行っていたそうです。

縄文時代の美しい火焔土器

「百姓」という言葉がありますが、「百姓=農民」ではありません。それは「百の姓(かばね)」すなわち百の職業を持つ者という意味です。昔の農民は農作業以外にも土木技術、建築技術にも長け、農具も自分で作り、衣服も布から糸まで自分たちで作りました。また空の変化から気象を読み取り、植物の習性を知って栽培したり、改良したりしてきました。一人の百姓が多くの職能を持っていたのです。

調べてみると、年貢も、米ばかりではありませんでした。美濃、尾張以東の東国では米年貢はむしろ例外的といってよく、ほとんどが絹、綿、布、糸などの製品で納められていました。また、但馬は紙、出雲は筵(むしろ)、周防は材木、陸奥は金・馬など、その地域の特産品を収めてた記録が残っています。

この事実は、それだけ日本には古来から「モノづくり」の土壌が豊かに育っていたことを物語っています。

方や、弥生的な職人文化は、おそらく渡来人たちが連れてきた専門的な技術者集団から始まったと思われます。彼らは寺社建築、神具、あるいは武具、工芸品などを大陸から持ち込んだ先進技術で製作しました。その職能は一族が独占し、重要な技術は「秘伝」として子孫に受け継がせていきました。彼らは年貢や役務の負担を免除され、時の支配層に仕えていたのです。

中世の職人たちの様子

東国の平民たちによる縄文的な「モノづくり」と西国から広がった支配層に仕えた人たちによる弥生的な職人技術。言い換えれば、独創的(時として芸術的)な手仕事文化とプロフェッショナルな職人文化。
この二つの文化がやがて人的・技術的交流を通して、日本独自の「ものづくり」文化へと融合発展していったのでないでしょうか。

これは庶民の生活の中に高度な職人技術が広がっていったことを意味します。そのおかげで、中世になると食器などの日用品をそこそこの品質で大量に安価に作ることも可能になりました。

上は平安京跡から出土した古代貴族の食器。
下は中世の庶民が使っていた食器。
高度な職人技術の拡散で、中世の庶民でも古代貴族以上の品質の食器を使っていた。

さらに新技術の吸収と高度化も起こっていたので、真鍮技術やガラス細工、鍵を作る技術など、外国からもたらされた技術を迅速に吸収してさらに改良し、どんどん素晴らしいものを作ることができるようになりました。

種子島に1543年に伝来した鉄砲が、わずか1年でコピーが完成し、30年後には日本の火縄銃保有量が当時のヨーロッパの全保有量を上回る規模になっていったのも、当時の日本に高度な職人技術的インフラが整っていたからに他なりません。

ポルトガル人が伝えた鉄砲と、
1年後にできた国産1号の鉄砲

こうしてみると、現代日本の「ものづくり」に必要な要素は中世までに出来上がっていたことが分かります。

「物づくり」ではなく「ものづくり」という表記を現代の日本人が好むのは、職人的な技術だけでなく、縄文の香りがする手仕事的な「作り手の思い」を製品に込めているからなのかもしれませんね。

最近のマーケティングでも、「商品を売るな、ストーリーを売れ!」と盛んに言われますが、それはまさに「作り手の思いを伝えろ!」という事ではないでしょうか。ストーリーのある商品が人気なのも、最先端の工業製品にさえ、手仕事なぬくもりを求めてしまう私たちの性(さが)かもしれません。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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