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横浜スケッチ(第33回) ピレネー山脈を越えて

by staff on 2018/8/10, 金曜日

ペンネーム 成見 淳

横浜スケッチ31回(2017年11月号)「一枚の絵」で触れましたが、2018年5月31日から6月8日の「赤坂孝史先生と行く “フランス南端ピレネー山脈 光と影を追いかける” スケッチの旅」に参加し、途中一行と離れピレネー山脈の反対側スペインの村へ向かいました。そこに住む画家Fermin Colomer Vallsさんを訪ねて。
http://aparador.consorciterbrugent.cat/fermin-colomer-valls/
コロメールさんの持っている絵の風景に魅かれて

 

カルカッソンヌからコロメールさんの住むサンタ・フェリウ・デ・パジェロスまでは国境を越え、スペインのジローナまで列車で行き、そこからバスで行くことになる。最初にスケッチしたカステルヌーからは直線で約60Kmしかないのだが、残念ながら公共交通手段がない。

今回の旅は、前半5日間が赤坂先生と行くスケッチツアー、後半4日間がコロメールさんを訪ねての一人旅。どちらかと言うとスペインへの一人旅が強く念頭にあって、ちょうどタイミングよくスケッチツアーの目的地がフランスのピレネー山脈の北側だった事による。

大ざっぱな行程は以下のとおり。
5月31日:成田発⇒パロ経由でモンペリエ⇒6月1日:「フランスの美しい村」カステルヌー⇒ヴェルネ・レ・バン⇒2日:終日スケッチ、3日:日帰りスケッチ、4日グリュイッサンでスケッチ⇒カルカッソンヌ⇒5日:終日スケッチ、6日:皆と別れてジローナ経由サンタ・フェリウ・デ・パジェロスへ。
8日:バルセロナからパリ経由で羽田へ。9日夕方帰国。(一行は7日トゥルーズよりパリ経由8日朝国)

カルカッソンヌは城塞都市。お城は街の一番高い所にあることが多い。
駅までは徒歩30分だが、石畳の道を小さいとは言えスーツケースを引いて歩くのはきついのでタクシーで駅に向かう。2018年6月6日朝8時。ここからは全くの一人旅。
フランス国鉄は新大統領の合理化に反対するストライキの真最中。しかも日によって動く日と動かない日がある、ということを先生や添乗員さん達から聞いていた。前日運河めぐりの際駅に寄って確認し、運良く動く日だった。念のため早く出たら10分で着いて、しかもスペインのバルセロナ行きの直通列車は30分の遅延。急ぐ旅ではないので寒い中駅でじっくり待つ。動くだけラッキー。
あらかじめインターネットで何度も何度もグーグルで最短の列車を調べていたが、どの列車も乗り換え3回位で数時間かかるはずだった。最後の最後にフランス国鉄のサイトを見つけるとカルカッソンヌ駅発8時59分、目的駅のジローナ駅10時40分の直行列車が見つかった。予約に手間取り何度かトライするうちに一等車1席が普通車並みの料金に変わっていた。なぜそうなるのか理由は分からないが素早くゲットした。
乗り込んだのは総2階建ての列車の2階席。とても清潔。スト中の為か他に乗客は数人。Wi-Fiが無料で使えて快適だった。
国境を越えてスペインに入ると列車は急にスピードアップ。停車するごとに遅れを取り戻して行く。
残念ながらWi-Fiは全く使えなくなった。
ジローナ駅到着。ここは地下駅でトイレはフランスと違って格段に綺麗。目的地のサンタ・フェリュウ・デ・パジェロス行きのバス(13時15分発)まで約2時間半あるのでバス乗り場を確認する。
駅の改札を出た所にバス会社の窓口が並んでいて、乗り場はそのまま地下の発着場に直結。

バスの時刻もスペイン語の検索でやっと見つけた。グーグルは旅先でとても重宝するが万能ではない。ローカルな情報は言語を含めローカルに合わせて探し出さないと見つからない。
また、ネットによる検索は時にとんでもない失敗も犯す。2016年9月にイギリスのコッツウォルズを訪れた時に有名なスワンホテルに泊まったのだが、グーグルで調べて着いた所が全く正反対の同名のホテル。この地方は交通の便が悪く、朝早く着いてたっぷりスケッチするつもりが午後4時過ぎになってしまったこともある。一人旅は何が起きるか分からない、がそれもまた楽しい。

バス待ちの間にジローナの街をスケッチでも、と思って駅構内から出ようとするとどうも雲行きが怪しい。おまけに少し気温が下がって来たので屋根の下で様子を見ていると。ポツリと来たかと思うとやがて激しい雨に変わる。スペインの雨は豪快だ。急いで駅に駆け込むずぶ濡れの人々。
30分もすると雨がやんで駅前の広い舗道には綺麗な映り込みが。

「雨上がり(ジローナ駅前)」(スペイン 4号)
左の白っぽい建物の地下に列車の駅とバス乗り場がある。黄色い旗はカタロニア独立のシンボル

 

サンタ・フェリュウ・デ・パジェロスに向かうバスは大型の観光バスのようで快適。市街地はバス停も多く速度もゆっくりだったが、郊外に出ると途端にスピードを増し登り勾配となる。車も少なくなり勾配と共にさらにスピードを増す。バス停の間隔はどんどん大きくなり、山また山。しかし山道にもかかわらず道路は良く整備されている。『乗客はどんどん減って行くし、そろそろ降りる時間かな? 乗り過ごしたら歩くのは大変だ。』と思い始めたら不安が募る。小さな村に着き、数人の客が降りたので聞くと違うと言う。次のバス停で若い女の子が降りたのでここで良いのか聞くと “Si”。急いで降りる。
怪しまれたのかどうか不明だが彼女は急ぎ足で行ってしまった。バス停に戻りコンビニっぽい店の前でお茶をしている人達にホテルを尋ねる。「あそこの角を曲がって塀に沿って行くと小川があって、広場があるからその近く。」と言っているらしい。「あっちですね?」と方向だけ確認し、感と運を頼りに歩き出す。確かに小川があった。ひとつ安心、と思ったのに雨が降り出した。折り畳み傘を出してさらに歩くと十字路。道を聞こうにも人がいない。しばらく歩くと歌声が聞こえて来たのでドアを開けると、車いすに乗った老人が大勢こちらを見る。老人施設らしい。『これは聞いても無理だな。』とドアを閉めようとした時に施設の方が出て来て、ホテルを教えてくれた。すぐ目の前だった。自分の感と運に感謝。この頃にはかなりの雨。『さあ、やっと着いた。』
ここまで来るのに約1年。最初は「コロメールさんの名前とピレネー山脈の麓の村」という情報から始まって、散々ネットを頼りに調べて・・・。という思いをかみしめながらドアのベルを探す。
旧い村だけあってホテルものドアも古くて分厚い。いや、ホテルと呼べるよう建物ではない。人気のない建物だった。
そのドアを叩く。メールで「午後2時過ぎに着く予定」と入れておいたのに全く返事がない。外は土砂降りの雨。何度か叩いたり「ハロー」と呼んでみたり。『いや。ハローではない。ここはスペイン。 “オーラ” だ。』『声が届かないからもっと大声で、西城秀樹のように “オーラ” の代わりに “ローラー” とメロディーをつけたらどうか?』などと馬鹿なことを考えながら、ひたすら待つ。
通りがかった人に聞いても「さあ?」と肩をすくめるだけ。重い大きなドアを押してみると開いたものの中は真っ暗。何とか明かりを探してみると、土間の様になっていてドアはさらに奥。鍵がかかっていて全く開かない。
仕方なく待つこと小一時間。だんだん腹が立ってくるがどうしようもない。
50M位の所にレストランと呼ぶよりファーストフード店に毛の生えたような店があった。中に入ってビールを注文し「画家のコロメールさんに会いに日本から来て、そこのホテルに泊まるのだけどドアが閉まっていて誰もいないので待たせてくれる?」と言うと、すぐに電話でホストに連絡してくれた。
若い30代前半とおぼしき経営者で、以後二泊三日の夕食と休憩のビールをお願いすることになった。
他に食べる所もないし。
ここでもiPadにダウンロードしておいた翻訳ソフトが役立った。どうしても伝えたい単語が出ない時に。
30分ほどすると宿の主人が到着。日本から来た訳を話すと「彼は私のアミーゴ。電話で呼んであげる。5分で来るよ。」(このくらいのスペイン語はしっかりわかる。)やっと今まで待たされたイライラが消えた。
本当に5分でコロメールさん登場。写真よりはちょっと痩せて歳を取った印象。画商のK女史から「年末に体調を崩されてリハビリ中」と伺っていたのでお会いするのは90%諦めていたが、最後にこんなにあっけない形でお会い出来るとは。
それから30分位だったか1時間以上だったかわからないが、いい加減なスペイン語や英語(時に日本語)などが入り混じりながら、もっぱら絵の事をお話ししたり、スケッチツアーでの絵を見せてコメントをもらったり、(半分も分からなかったが)とても楽しい時間だった。
コロメールさんのアドバイスで心に残った事。「水彩画はサッと描くこと。」と手を上から下へ。
何やら長嶋監督と中畑コーチの打撃論のようだ。「球が来たらガツンと」「そうガガーンと思いっきり。」

「コロメールさんの描かれた風景の所へ行きたいのですが?」「それはとても無理。徒歩でなければいけないし、あの山を越えて行かなければならない。片道3時間はかかる。」という事で(今回は)諦めることにした。

写真で見たよりも痩せた感じだが体調を崩されたためか?
それにしても私の嬉しそうな顔。

「せっかくだから街(村)を案内しよう。」とミニツアーに誘われ、村の名所、成り立ち、スケッチポイント、ご自分の家などを紹介していただいた。途中何人もの人からコロメールさんに声が掛かる。
半年間リハビリと伺ったが少しやせたようだが元気そうで言葉もしっかり。階段を降りる時がちょっと辛そうだった以外は。
ご自宅を指さして「あれが我が家。ちょっと屋根が左右違うけど。」「いや、左右対称でないのはさすが画家の家らしくて良いですねえ。」と言うとニコニコ笑ってうなずいていらした。(こう書くと、流ちょうにスペイン語を話せるように思われてしまうかもしれないが、後で考えてもどうしゃべったのか思い出せない。とっさに出たらしい。それでも何とか通じるものだ。)
その晩飲んだワインは美味かった! 効いた! 2杯だけでヘロヘロになり、部屋に戻った。
今日は一人旅の初日で、ツアー中の疲れ(皆さん早描きでとても追いつけず、その分毎日3時に起きて仕上げていた。)もあって9時に寝た。

2018年6月7日。眼が覚めたのは7時。10時過ぎに昨日コロメールさんに案内していただいた所を復習しながらスケッチポイントを探す。
「ボンジュール」 スケッチをしていると老夫婦が通りがかり、一昨日までの慣れでついフランス語になってしまった。お互いに『ん? 何か変?』と気付く。「ヴェノス・ディアス」と言い直すと「カタロニアでは●●●●」と教えてくれたが、すぐに忘れた。
午前中に下描きを終え、トイレ休憩&昼食を兼ねて一旦部屋に戻ることにする。2階の窓から洗濯物を取り込んでいる女性に「雨が降りますかねえ?」と空を指さして聞く。「多分振って来るわよ。ここは雨が多いから。特に午後は。」
宿に戻り、庭で草刈りをしているおじさんと話をしていると案の上ゴロゴロという言う音。雷かと思ったら “Avion” と言われ、飛行機という単語が実感を伴って頭にインプットされた。

部屋が幾つあるか知らないが宿泊客は私だけ、ホストも常駐していないので全館貸し切り状態。自由に使って良いとの事。予想通り午後は雨になったので庭先の雨よけになる所で描いていると、猫が寄って来て体を擦り付ける。猫は大嫌いだが一人旅の身にとっては可愛い。自然に話しかけてしまう。

夕食はやっぱりあのレストラン。何人か顔なじみが座っている。部屋に戻って シャワーを浴びてさあ寝ようかと思ったら窓の外から先ほどの猫がニャーニャーと呼んでいた。
この村はピレネー山脈の麓だけあって坂が多い。そのため窓を開けると地上と同じレベルにあるので半地下のような感じになる。内側は溶岩がむき出しで地下牢のようだ。
ふと思い出したら、レストランの夕食代を払っていないのに気がついた。
昨日到着して宿に誰もいない時に、宿の主人に電話してくれた若い経営者と仲良くなり、明日のバス停の場所などを聞いて「じゃあまた来年ね。」などと盛り上がってお互いに忘れていた。
急いでお店に戻ると、コロメールさんの親戚と言う人に紹介された。
絵の写真を見ているうちにオーストラリアの絵に目が止まって「これ幾らダ。買いたい。」と言うので部屋に名刺を取りに戻ったが結局は不成立。 酔った上での話のようだった。
そんなに世の中上手く行くはずがないよね。これで売れたら話が出来過ぎ。
若い女性が隣にいたので「娘さんですか?」と聞くと若い経営者が「僕の彼女!」
日本に興味を持たようで「ハネムーンに来たら?」と誘ったがハネムーンが通じない。 翻訳アプリで調べて示すと大喜び。なかなか好奇心の旺盛な娘のようだ。

その晩、トイレに起きると庭に出るドアを叩く音。ちょっと気味悪いがそっと開けてみると先ほどの猫。猫が手でドアをノックするとは思えないし、体をドアにぶつけて呼んでいたのだろうか?
中に入って来られても困るので、可哀そうだがドアを閉めて寝る。

さて、翌朝。2018年6月8日。旅というものは、やっぱりいつ何が起きるか分からない。
掃除のおばさんが来て、どう見ても南米系、インディオ系の顔つき。つい確かめたくて「ボリビアからですか?」と聞くと、ホンジュラス、中米だという。
南米を代表するフォルクローレグループのカルカスを知っているかどうか聞くと、Si(イエス)
しばらく話が合って、アディオスとお別れ。部屋に戻ると枕銭がそのまま。 急いで追いかけたが姿が見えない。諦めて戻ると・・・。ドアがロックされていた。
いつも玄関から出入りしていたが、彼女は勝手口から出て行ったのと、こちらが急いだのとで行動パターンが異なり失敗した。一瞬の隙を突かれた感じ。
どうもこの宿は、来た時も、去る時も上手く行かない。
いつものレストランへ行き経営者のお兄さんに連絡してもらおうとしたら不在で、代わりに女性店員。
事情を話していると、とても綺麗な女性が「英語で話して」というので伝えると、彼女は三日間で一番綺麗な英語。宿の主人に連絡すると、先ほどのおばさんが戻って来てくれてチップも渡すことが出来た。(固辞されたが無理矢理に渡した。)
ホンジュラスも好きになった。やれやれ。
ほっとして手をジャンバーのポケットに入れると・・・。ないはずの鍵が!
ずっとズボンの中に入れておいたし、てっきりそうだと思っていたが、その時に限って違う所に入れていたのだった。帰国の朝でなければもう少し丁寧に探したかもしれなかったが。

バス停まで歩く。空は晴れ上がっていて山の緑がとても鮮やか。
雨が多く豪快で、晴れる時はさっと晴れる。これが風景をより美しくしているのだろう。
スペインの光と影。サンタ・フェリウ・デ・パジェロスの空の青さと山の緑を思い出しながら絵もこれで行こう。きっと絵が変わることを信じて。

「カステルヌー」 4号
個展(2018年6月20日~26日横浜そごう9階ギャラリーダダ)出品

「ヴェルネ・レ・バン」4号 個展出品(同上)

「孫との休日」(カステルヌー フランス南端)
AKC100水彩画展(赤坂孝史先生教室の生徒展)2018年7月4日~10日
横浜そごう9階ギャラリーダダ 出品

思いがけず、今回のツアーで描いた出品作品3点が全部も売れて、ハットトリックとなりました。
来年は日程、会場とも未定ですが、次兄と一緒に能面と水彩画のコラボでの二人展の予定です。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 - 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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