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横濱ワイナリー代表 町田佳子さん

by staff on 2018/9/10, 月曜日

 

横濱ワイナリー代表 町田佳子さん
横濱ワイナリー 代表
町田佳子さん
 
お名前 町田 佳子 (まちだ よしこ)
お生まれ 東京都文京区出身
お住まい 横浜市中区在住
趣味 マラソン、サーフィン、ウクレレ
お仕事 横濱ワイナリー 代表
HP https://yokohamawinery.com/

 

東京のど真ん中で幼少時代を過ごされたとか・・・

東京文京区の小石川生まれ、高校までそこで暮らしていました。
中高は歴史のあるいわゆる女子校でした。
子供のころから、自然が好きで環境問題には関心がありましたね。

高校1年生の時にカナダに留学して、カルガリーのそばの人口2000人程度の町で1年間生活しました。そこでは、大自然の中で田舎生活を初めて体験しました。
皆が知り合いで助け合っていて、一体感を持って生きている姿に、都会育ちだった私はいい意味でのカルチャショックを受けました。
1年間日本語を話さない生活だったので、日本語がすぐ出てこなくなるくらい英語が上達しました。

どのような青春時代でしたか・・・

大学は今話題の(?)日本大学国際関係学部に進みました。
静岡県三島市にキャンパスがあるので、下宿して生まれて初めて一人暮らしをしました。下宿をしていたのが酒屋さんで、とてもアットホームで食事なども大家さんの家族と一緒にとることもありました。

大学では少林寺拳法部に所属してクラブ活動も頑張りましたよ。トレーニングを積んで大会にでたこともあります。運動部は上下関係が厳しかったけれど、楽しかったですよ。

学生の頃から英語を生かす仕事をしたいと思っていました。
在学中に通訳の資格試験を受けていて、、国際会議やイベントの通訳のアルバイトもしていました。

アルバイトと言えば・・新宿の国際電信電話株式会社(今は合併してKDDIになっている)で、試験と研修を受けた後に国際電話のオペレーターをやっていました。他大学の方々との交流もあったりして、サークルのようでしたね。

金融機関に就職されたとか・・・

大学卒業後、証券会社に就職しました。デリバティブ(金融派生商品)の部署で働いていました。今から30年ほど前は、日本の企業の中には歴然と男女差別がありました。自分の実力を活かしたいと考えて、外資系の金融機関に転職してスキルアップを図りました。外資系での仕事は実力主義で大変でしたが、やりがいはありました。

外資系で働いていた頃から、WWF(世界自然保護基金)ジャパンの会員になっていました。金融の世界で働いていたときも、環境問題には関心を持っていました。
勤務していたイギリスの投資顧問会社が日本撤退をするのを機に、WWFのボランティアに応募しました。アルバイトをしながら、WWFの活動に関わっていましたが、縁があって職員として採用されました。
WWFには20年ほどお世話になりました。私は食糧問題特に海洋問題を担当していました。最後は、広報担当として、国際会議の開催して政府間交渉のサポートしたり、プレスリリースを書いて、報道関係者に情報提供を行っていました。「まぐろ」や「うなぎ」の漁獲高減少対策などの会議ですね。

食糧問題の解決のための行動もされていたそうですね・・・

WWFが提唱している「One Planet Lifestyle ~地球にちょうどいい生きかた」に共感して、自らも行動を起こしたいと思いました。

※「One Planet Lifestyle ~地球にちょうどいい生きかた」
地球1個分で暮らせる生活をしていこう・・・
https://www.wwf.or.jp/supporter_activities/wwfevent/994.html

微力ながら、食料廃棄をなくそうと形が悪いだけで捨てられている、りんごやみかんをマルシエなどで展示して紹介する活動を始めました。農家の方々と交流していく中で生産現場と消費現場が離れていることを痛感しました。生産者と消費者を「つなぐ」ことが必要だと感じたのです。現場に入っていって「つなぐ」人になりたいという想いが強くなってきたときに「ワイン」に目が留まったのです。

「ワイン」を造ろうと思った原動力は何ですか・・・

お酒は好きでしたね。
日本酒が好きで、WWFで地方に行ったときに、地場の美味しい日本酒を頂くのが楽しみでした。好きが高じて、「きき酒」師の試験やテイスティングの資格をとりました。好きなことはトコトン勉強したいという性格らしいです。(笑)

横浜に住んで20年になります。横浜で生産者の顔が見える「お酒」が造れないかと考えたときに、「日本酒」は小規模では難しいし、「ビール」はすでに取り組んでいるところがあるし、「ワイン」だったらできるのではないかというところに行きついたのです。

文明開化の時代、横浜にはたくさんの「ワイン」が入ってきて、それが日本のワインになっていったことことに思いを馳せると、この横浜でワインを造ることの意義があると想うのです。

横浜で醸造し横浜で消費される「地産地消」のワインを目指すことになりました。

「ワイン」を造ろうを思ってから実現までどのくらいの期間がかかったのでしょうか?

まず「ぶどう」農園を探すところから始まりました。
若い方々が低農薬で作っている農家を紹介され、日本全国を回りました。
現在は、山形、長野、山梨県の10軒ほどの農家から「ぶどう」を仕入れています。

醸造する場所を探して、山下公園のそばの海の近くの場所が見つかったのは良かったのですが、改装工事や製造装置を設置するのも大変でしたね。

国税庁から果実類製造免許を出してもらうのも、1年間かかりました。

ようやく2017年11月に、「日本で一番小さな一番海に近いワイナリー」を開設して「ハマワイン」の販売を始めました。
最初に出店した北仲マルシエではワインが完売して幸先良いスタートを切ることができました。

2017年11月に横浜経済倶楽部に記事の投げ込みをしたら、もの凄い反響があって主要の全国新聞に記事が掲載されました。一番反響あったのは「はまれぽ」でした。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=6511

2018年2月の神奈川ビジネスオーデションでは大賞を受賞しました。
http://www.kipc.or.jp/ba2018/winner.html

神奈川県中小企業センターのサポートで、「ものづくり補助金」など補助金を取得することもできました。そごう横浜店にも「ハマワイン」を置いてもらっています。

「横濱ワイナリー」を紹介して下さい

「横濱ワイナリー」では、現在6種類のワインを造っています。「ハマワイン」を味わっていただくイベントを定期的に開催することで、サポーターも増えてきています。「横濱ワイナリー」では、ワインに合うお食事をお出ししているので、多くの方々に来ていただきたいですね。「横濱ワイナリーサポーター」も募集しています。

今年は8,000本のワインを造ったので、それを販売するための営業活動をしないと・・・酒屋さんや飲食店に営業活動をしています。

「横浜のぶどう」で「ハマワイン」を造るのが、「横濱ワイナリー」の目標です。







町田さんにとって横浜は?

古き良き時代が残っている面白い街ですね。
新しいものを積極的に取り入れながら、「人」のつながりを大切にする街です。

私は20年近く横浜に住んでいましたが、横浜で働いたことがなかった・・
そんな人間でも中に入ると、優しくオープンマインドで受け入れてくれます。

海もあって、山もあって、東京に近いのに「地方」感もある、大好きな街です。

<取材を終えて>

町田さんにお会いする前は「横浜でワイン作り?」できるのかしら・・・という気持ちでした。町田さんにお会いして、WWFで食糧問題に長年かかわってきた経験から、生産者と消費者をつなぎたいという想いや横浜で始めた理由を伺って、横濱ワイナリーの広がりを実感した次第です。自らが製造にかかわったワインは、愛おしく思えるのでしょう。サポーターが増えていけば、販売本数も比例して増えていきます。まず仲間つくりからという町田さんの販売戦略も今後の発展を確信させるものでした。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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