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しあわせの「コツ」(第22回) ポスト「褒め育」の切り札

by staff on 2018/10/10, 水曜日

第22回 ポスト「褒め育」の切り札

早いもので、「褒めて育てる」教育が奨励されてから20年を超えるそうです。
1990年代に、学校教育の現場でもそれまでの知識偏重教育から、授業中の態度や関心の度合いによって成績を決めるようになりました。それまではテストで100点を取れば5段階評価で5になりますが、「褒め育」では、授業中に頻繁に質問した子が5になります。「よく頑張ったね!」という訳ですね。

メディアや書籍でもさかんに「褒める育児」が奨励されたので、学校だけでなく、家庭でも「褒め育」が広がったのではないでしょうか。で、その結果はどうなったのでしょう?

「ほめると子どもはダメになる」の著者、MP人間科学研究所所長の榎本博明さんは、こう言っています。

「褒めまくられて育てられると、褒められるのが当たり前になる。逆に褒められないとやる気がなくなってしまう。『褒めてくれないと自分たちはめげる世代だ』と言う若者も多い。学生時代はそれで通るかもしれないが、社会に出てそれが通るわけがない。そういう若手社員は、うちの上司は褒めてくれないからモチベーションが上がらない、命令してくるからムカつく、さらには人間として対等な立場なのだから、人にモノを頼むのなら上司はお願いすべきだとさえ言い出すようだ。」

榎本博明氏

恐ろしいですね。褒められるのが当たり前になると、社会人になってからも上司から褒められることを求めるばかりか、「(部下である)自分にモノを頼むなら、上司は『~してください』とお願いしろ」と言うのですから。

「褒め育」の弊害が出ている反面、「児童虐待」も増えています。なぜでしょう?
それは、「褒める」と「叱る」が、実は同じ行為の裏表だからです。片方が増えれば片方も増えるのは当然といえましょう。

「褒める」も「叱る」も、どちらも相手に対する上下関係を前提とし、保護者側の価値観で行なっています。褒める基準も、叱る基準も、すべて保護者側にあります。理不尽なことで叱られる時もあれば、親の機嫌がいいという理由だけで大したことでもないのに褒められる時もあります。

「褒める」と「叱る」には必ずしも客観的な基準はありません。だれにも分かる基準で褒められたり叱られるのであれば、そういう体験を経て子供は成長していくでしょうが、親の主観的な価値基準でされるのであれば、親の機嫌を取ったり、目をかすめることを学ぶのではないでしょうか?

「褒める」と「叱る」は、「主観的な価値基準による他者の評価」のポジとネガの関係にあるのです。だから「褒める」=「叱る」という構造になります。いったんこの構造に入ってしまうと、「何で」褒められ、叱られたかという部分は抜け落ちて、「褒められる」「叱られないようにする」という事が自己目的になります。すると、常に保護者の基準に合わそうとするので、自立性が育ちにくくなります。自立性がないから、意欲的に物事に取り組まなくなります。もうこの弊害は社会的に知れ渡っていますね。

では、どうしたら、こどもの自立性を育てることができるのでしょうか?

それは「感謝する」ことです。子供の行為に「ありがとう」と言うことです。

たとえば、おもちゃを片付けた時、「よくできたわね。えらい!」と褒めれば、子供は嬉しくなって翌日も片付けるかもしれません。では同じ場面で「きれいに片づけてくれたね、ありがとう」と感謝を伝えたら、子供はどう感じるでしょうか? 褒められたうれしさに加え、親が喜ぶことをしたのだ、という感情が芽生えるでしょう。それは褒められた時とは違ううれしさです。「感謝をされる」=「自分のしたことを相手が喜ぶ」ですので、自分の行為を誇らしく思うようになるのです。そこから「自己重要感」が生まれ、自分に自信が持てるようになります。

重要なことは、「感謝する」行為は相手に対等に向き合っているということです。「褒める」=「叱る」構造は、上下関係がベースですが、「感謝」を伝える行為は対等な関係がベースになっています(だから人は、本当は褒められるより感謝される方が好きです。感謝されると、自分が相手の役に立ったことが分かるので、自分に誇りを持てるようになります)。

子供が反抗期から思春期に差し掛かるとき、この「対等関係」の構築はとても重要です。対等といっても、親が子供のレベルに降りるのではなく、子供を大人としてグレードアップさせて接するやり方です。

これについては興味深い実例がありますので、ご紹介しましょう。
以前行きつけの歯医者が女医さんで、彼女には小学6年の男の子がおりました。診察に行くたびに、「反抗期でいうことを聞かない」「今日も全然口を利かない」と、治療そっちのけで愚痴のオンパレードでした。

ある時、私は「もしかして、息子さんに対して自分のことを『ママ』って呼んでいません? 今晩から『ママ』はやめて「私」という一人称で話しかけてみたらどうですか? きっと変わりますよ」と話しました。「そんなことで息子が変わるんですか?」と女医さんは半信半疑でしたが、とにかく実行する約束してくれました。

一週間後、診察に行くと、女医さんは満面の笑みで私を迎えてくれたのです。「大成功! 息子がくるっと変わったんですよ!!」

女医さんの話はこういうことでした。
その晩、息子と二人で黙ってテレビを観ていました。女医さんは「私はこっちの番組がみたいな」とか、3回ほどあえて「私」を使ったそうです。なぜか「ママ」の代わりに「私」と言うのにとても勇気が要ったとか。でもとにかく言ってみたそうです。その時は、息子さんに何も変化はありませんでした。

番組も終わり、息子さんが自分の部屋に戻り際、彼女の方を振り向いてこう言ったのです。「ママ、さっき初めて僕を一人前に扱ってくれたね。嬉しかったよ。」そう言って、そそくさと(照れ臭いのか)自室に入っていきました。一人居間に残された彼女は、涙が止まらなかったそうです。

それからは、息子さんが気になる女の子の話や、クラスで流行っているゲームの話など、夕食後に母親に話してくれるようになったそうです。「日曜日はその女の子と品川水族館に行くんですって!」と女医さんは嬉しそうに話してくれました。

この「ママ」から「私」への一人称の変化は、子供を自分と同じ目線の対等な関係に引き上げる行為です。一人称を変えたことで、女医さんは自分も「母親」という立場のほかに、友人のような関係の芽生えを感じ、息子さんとの話の輪が広がった、と言っていました。

親子が、(親のレベルに引き上げる形で)対等に振舞うことで、子供は自分に自信がつき、親も変なメンツにこだわらなくて済みます。

女医さんの場合、以前は子供に聞かれたことで分からないことがあると、何となくバツが悪い感じがしたそうですが、最近は「あ~、それ私も分からないなぁ。〇〇が調べて分かったら私に教えて。」と、気楽に言えるようになったそうです。

「褒める子育て」から「感謝を伝える子育て」へ。
それは子供を一人前として扱うことに他なりません。親のレベルに引き上げる形で対等に大人扱いしてあげると、子供は喜んでそれに合わせて成長していきます。お子さんをお持ちの方は、今日から子供にもきちんと「ありがとう」を言いませんか? きっとお互いの何かが変わることでしょう。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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