Skip to content

横浜スケッチ(第34回) アイルランドにて

by staff on 2018/10/10, 水曜日

ペンネーム 成見 淳

絵を描き始めたのが43歳の時ですから1990年。初めての一人旅がスコットランドで1993年。とても貴重な経験だったので忘れないようにと、絵や走り書きの文章をスケッチブックとクロッキー用紙に残しました。後にこれらを「Life is an Expression」と称するホームページに収録し、「絵ッセー」の原点となるのですが、この頃から「旅」「スケッチ」「エッセー」は自分のやりたい事、人生の目標の3点セットとなりました。「横浜スケッチ」はその到達目標の実現、とでも言えます。
旅に出ると普段目にする事のない景色・風景、服装、日常接する事のない異国の人々のありのままの姿など、様々な映像が眼に飛び込んで来ます。また、言葉、文化・風習、考え方や社会の仕組みなど、今までの自分の常識をはるかに超える、異質で大量の情報が迫って来て私の頭の中をかき回します。
その違いやカルチャーショックを一旦素直に受け止め、葛藤し、理解し、再構成し直す作業から、新たな価値観が生まれて来ます。自分自身を再発見するという副次効果もあります。
旅は「違い」を受け入れる修行の場、人生の縮図でもあります。

ところで、「絵とエッセーの共通点は?」と問われると真っ先に挙げられるのが、「どちらも自分が描きたい、書きたいと思った事を表現する手段」だと思います。
私はこれに加えて「どちらもずっと繋がっている一部を切り取ったもの」、を挙げたいと思います。
抽象画が当てはまるかどうかは分かりませんが、風景画や人物画や静物画などは目に見えているものの一部ですし、エッセーは書き手の体験・記憶・思考などの極々一部です。
絵は連続している空間の一部を、同じくエッセーは連続する時間の一部を切り取ったものだとも言えるでしょう。と書いたのですが、Facebookでの大学時代の同級生のコメントがヒントとなって、「抽象画をも含め絵もその時点の映像・心象。光も変わるし、人物も成長するし、心の在り様も変化する。だからやっぱりどちらも時間軸の一点を切り取ったものだ。」という事に気が付きました。
いずれにしても主体は自分です。「自分というフィルターを通して」「ある一瞬の」という限定付きとなります。

さて、今回の横浜スケッチは2018年6月26日~7月1日までのアイルランド紀行です。第28回「クロアチア、スロベニアの旅から」と繋がっています。その中の一部をいつものように絵とエッセーで切り取ってみました。
一人旅になったり、暴漢にあったりと思いがけない事がありましたが、Nさんとのご縁のお陰で、ワンちゃんも含め素晴らしいB家のご家族とお会いする事が出来、数ある旅の中でも忘れられない旅となりました。

 

旅のいきさつ

昨年7月にクロアチア、スロベニアへの団体ツアーに参加した。24名中男性は3人。その内一人はご夫婦での参加。男性の単独参加は私達二人だけ。Nさんは元小学校の先生。初対面は二人掛けの機内席だった。
圧倒的に女性多数の中での少数派だったためか、食事の際は同じテーブル、自由時間はほとんど二人で行動していたので、他の参加者から「ご一緒ですか?」としばしば声を掛けられた。
アイルランドへのきっかけは、クロアチアのドブロブニク旧市街での、2時間というたっぷりな自由時間の40度近い炎天下に城壁の上を歩き、土産物屋を回った後のビールを飲みながらの会話だった。

ドブロブニク城壁

ブレッド湖(スロベニア2018年8月号未アップ)

「来年はどちらに行かれますか?」「亡くなられた親友の娘さんがアイルランドに嫁がれていて、誘われていましてね。」 「そうですか、私はスコットランド、イングランド、ウェールズは何回も行きましたが、北アイルランドとアイルランドはまだ行った事がないですね。行って見たいですね。」 「よろしかったらご一緒しましょうか。ご主人とまたゴルフもしたいし。」 「そうですね。是非行きましょう。」
旅先での高揚感もあったが、私の場合は思いついた事は大体実現する事が多い。前回号のスペインの画家を訪ねた時のように。
具体的な日程を決めたのはいつだったか忘れてしまったが、今年の5月8日に航空券を購入した。現地での日程はNさんにお任せして。
7月に入ってNさんから現地での予定について連絡があり、メールのやり取りが頻繁になったが、出発10日ほど前から急に返信が途絶えた。だんだん心配になって電話したが不通。『もしかしたらこの暑さで熱中症でもなられたのかな? 入院でもされて連絡が取れないのでは?』と、携帯電話にメッセージを入れた。
その日の夕刻電話があり「お察しのとおり今入院していまして、結論から申し上げますと、キャンセルをお願いしたい。ドクターストップがかかりました。アイルランドへは是非お出でになってください。」との事。
私だけではご迷惑ではないかと心配ではあったが、6月末の時は同じ一人旅でも相手はスペイン人でスペイン語(カタルニア語)、今回は日本人とアイルランド人で日本語と英語。行って見たい気持ちの方がはるかに勝った。
幸いアイルランド近郊にお住いのB家の奥様Y子さんより連絡をいただき受け入れOKとなった。同時にNさんの航空券、ダブリン到着日のホテルなどのキャンセル手続きを行ったのが7月18日、完了が20日。出発一週間前だった。(幸い私が出発する前日にNさんが退院され、現在はすっかり回復された。)

 

フランクフルト

7月の日本はとにかく暑かったがヨーロッパも例外ではなかったようで、乗継のフランクフルト空港、帰りのミュンヘン空港とも飛行機からターミナルまでの移動は猛暑。40度近くに感じた。
それに比べると「ダブリン及び近郊は40年ぶりの猛暑で最高が25度に達したけれど、現在は最高20度くらいです。」と伺っていた。
フランクフルト空港では大失敗があった。飛行機を降りて乗継便のゲート向かう時、案内の女性が立っていたので言葉慣らしに聞くと「Cの○○番」と言う。途中どんどん枝分かれするようにそれぞれのゲートに人が消えてゆく。『ずいぶん歩くなあ?』と思った頃、入国審査があって荷物チェックを受ける。待ち時間はたっぷりあるので座っているとやがて乗り継ぎ客が全員搭乗。私だけぽつんと座ってiPadをいじっていた。
「お乗りにならないのですか?」 「ノー。ダブリンまで行くので」 「ここからはダブリン行きは飛びません。」 「え!?」
搭乗券を見せる。別の係員と相談した後「ゲートCではなくてZです。Far away」 「えー!はるか遠く? ですか?」
開いた相手が訛っていたのでなければ自分の聞き違え。それから階段やエスカレーターを乗り降りして何度か通路を曲がって、手荷物検査所の横をバイパスして、スカイシャトルと称する連結車両に乗って・・・。この間何人の人に訪ねただろうか? そもそも案内ボードを自分の眼で再確認すべきだったと反省。そもそもターミナル、ゲート、乗り口番号の違いも明確に分かっていなかった。慣れと油断と過信による間違いだ。機内でも乗継案内を放映していたはずなのに。
それにしてもここの人は親切に教えてくれる。

そう思った時にジョークと言うか駄洒落と言うべきか頭に閃いた。連想である。
『フランクフルト⇒frank⇒frankful⇒フランクフル』 『ここはどこ?⇒フランクフル と』
ちょうど構内を移動するゴルフカートのような乗り物(タクシーと教えてもらった。)が来たので、再確認がてら早速女性ドライバーに使ってみるとケラケラと笑ってくれた。大成功!
でも後日辞書で確認したらfrankfulという単語はなかった。これは私の造語。ドイツ人に会ったら是非試してみて欲しい。通じれば親密度が増す事は保証します。
この手の旅先でのジョークの話はホームページのどこかに色々載っているのでご興味と、たっぷりなお時間のある方はどうぞ。

 

到着

7月26日午後23時頃ダブリン空港着。空港の近くに取り直した宿は大きくない。バスも出ているようだがタクシーで宿まで行く。宿はセルフ式で、メールで鍵の置き場所、入り口などの注意事項を送って来ていたが、何せ暗くて読めない。うろ覚えで入り口を探すがわからない。そこへ1台の車が入って来た。若い男性二人。鍵のありか聞くと「同じ棟だから一緒に来い。」と教えてくれた。もし彼らがいなかったらどうなっていただろうか? 旅の出だしからラッキーと言うべきか、もっとしっかりしたホテルに泊まるべきだったと言うか。旅行社のシステム上1名分だけのキャンセルが出来なくて、仕方なく一旦全部キャンセルして自分で探したが観光シーズンでなかなか見つからなかった。
翌朝27日。Y子さんが車で迎えに来てくれて、しばらく日本語を使う機会がなかった事もあり車中会話が弾み、あっと言う間に40分で閑静なお宅に到着。B家はご主人のGerardさん(以下Gさん。ただし私より四半世紀もお若い。)、奥様のY子さん、長男C君、長女Lちゃん、次女Mちゃんの5人家族。(と思いきやメス犬のジュリー2歳も含まなければならないと気が付いたのは翌日の事。)
玄関でお子さん達お出迎え。広く明るいリビングルーム。電動で動くブラインドと大きな窓ガラスに天窓。すぐに犬のジュリーが飛びついて来た。大はしゃぎで歓迎。
アイスブレイクに例のお面を取り出す。ほとんどの場合小さい子供は怖がる(ちなみに能面の事を英語でNoh maskと言うが、子供は “Oh No!” と言って泣き顔になったりして、アイスブレイクのつもりが反対に凍り付いたりする事がある。 “Yes it is a Japanese Noh Mask.” などというジョークはもはや役に立たない。)が、妹のMちゃんが気味悪がったものの泣く事はなかった。B家で一番年下は犬のJちゃんだが、「ウー」と言って後ずさりしていたように思う。やはり気味悪いものは犬でも気味悪いに違いない。お面を外した時に噛みつかれないだけまだましだ。
休憩後、奥様の運転で5人ミース県トリム城へ昼食兼ドライブ。廃墟となったトリム城や市街を散歩。子供さん達がどんどん打ち解けて来てくれたのが良く分かる。
トリム城はメルギブソン監督主演の映画「ブレイブハート」のシーンに出て来る。この映画は2回見て、TVでも見た。スコットランドのエディンバラ郊外に住む友人Peter Lamondさん(故人)に「この辺の友人たちも大勢エキストラとして出演していて、映画の中の主人公が弓で狙われるシーンで、狙ったのもその一人。思わず彼の名前を呼んでしまった。」と聞いた。
映画の最後に、主人公が処刑される時「フリーダーム」と大声で叫び妻の形見のアザミの刺繍のハンカチを落とすシーンがある。アザミはスコットランドの国花。その棘がイングランド軍を撃退するきっかけとなったと言われている。印象的なラストシーンだった。

家に帰るとジュリーが飛び跳ねたり、尻尾を勢いよく振って私の足を叩いたりして、ものすごく可愛い。頭や体を撫でてあげると、毛は短く硬く、バスの椅子を撫でている感触。
『まてよ! この感触と言い、彼女の姿と言い。何かに似ている? そうだ鴨川シーワールドにいたオットセイ? いやアザラシ。(どう違うのだろう?)』

「ジュリーちゃんオットセイに似ていませんか? 頭良さそうだし、今からオットセイの画像を見せて、ユーチューブで泣き声を覚えさせたらきっと成り切るかもしれませんよ。面白いかも。」と提案。「そういえば今まで気が付かなかったけれど、似ていますねえ!」
夕方になってB家のご主人ジェラルドさん帰宅。早速お面を御覧に入れる。全員そろって楽しい夕食。夕食後の団欒。誰がどうというのでなく全員が醸し出す何とも言えない空気感。家族全員が主役、共演。もちろんジュリーも。

 

ダブリン市内観光&アイリッシュダンスショー

7月28日、ダブリン三日目は朝から雨。どこへ行っても早起きである私は5時頃から目が覚めていてFacebookをチェックしたり書き込んだり、それでも時間を持て余し一人リビングでスケッチ。
とても嬉しい事に朝食はご飯、みそ汁、納豆、南高梅、お新香などなど盛りだくさんで完璧すぎるほどの日本食。
一人旅は事前に予約していても現地での宿探し、交通手段などなど自分でやらなければならない事が多く、日本語は通じない。団体ツアーではその心配はないものの、自由度や現地の人との交流機会が限られる。今回の旅はそれらの不便さを全部解消して、家庭的な雰囲気たっぷりのとても恵まれた贅沢な旅となった。まるで自宅では味わえない、別の自宅に来たような感覚を味わう事が出来、しかも日に日にそれが増して行った。
朝食後ダブリン市内を案内していただく予定だったが土曜日という事もあり、午前中はのんびりしてお天気の様子を見ようという事になった。私が絵の続きを描いていると二人の女の子が一緒にお絵かきを始めた。
その雨もお昼頃にはすっかり上がり、一転綺麗な青空。雨の多い所は晴れた時の空はとても綺麗で、緑も多く深い。一か月前のスペインSant Feliu de Palleros からの帰り道、バルセロナ行きのバス停で見た山々の緑を思い出させた。
雨が上がったのでY子さんの運転で市内観光へ向かう。高速道路は混んでいた。原因はダブリン市内で行われるGAA(Gaelic Athletic Associationゲ―リック体育協会:ゲ―リック・ゲームズと呼ばれる伝統的なアイルランドのスポーツの統括と普及を目的としているが、そればかりでなくアイリッシュミュージックやアイリッシュダンス、アイルランド語の普及も行っている。GAAの代表的なスポーツはフットボールとハ―リング。)のクレア県対ゴールウェイ県のハ―リング(スティックと球を使って行う屋外スポーツ)の試合。それぞれのチームの応援の車だった。車はチームの旗を掲げてユニフォーム姿の人で満員状態。
アイルランドのナンバープレートは頭二けたが生産された年を示している事を教えていただいた。ナンバーを見ると「あのお宅は車を買い替えたみたい。もっと古い車になった。」などという事がすぐわかる。
ダブリン市内に入っても渋滞は続いていた。
車をY子さんのオフィスの地下駐車場に車を止めて市内散策。もちろんアイリッシュバーでのギネスビールは欠かせない。夕食の後、いよいよリバーダンスショー(アイリッシュダンスのショー)へ。

アイリッシュバー

トリニティー・アイリッシュ・ダンスショー

アイリッシュダンスについては下記に詳しいが、イングランドによるアイルランド支配に遡る。
http://trinity-japantour.com/irishdance
言語(ゲール語)や音楽、ダンスなどのアイルランド固有の伝統文化を禁じられた中で、窓の外から覗かれても分からないように足だけで踊った事に起因すると言われている。
言語についてはB家では子供達は英語が母国語でお母さんとは日本語で話すという。ちなみにアイルランドではゲール語が公式には第一言語で、母国語保存のため小学校(年中から小6)から中高一貫のセカンダリースクール(中1から高3)まで義務教育。だから子供達は3か国語を学んでいる。
ゲール語はスコットランドのハイランドや島嶼部でも使われていて、1993年にスカイ島を訪れた時にクリントン似の男性からゲール語の集会に誘われた事があった。(ホームページ「UK遍」「スカイ島にて(2)」)
アイルランドの歴史を垣間見たような気がするが、意外にもイングランドから独立したのは1949年。
その後も北アイルランドの帰属を巡って紛争が続き、私がヒースロー空港からロンドン市内に向かう電車中でIRAによる爆破予告があり、途中で降ろされたのが1993年。隣に座っていたおばさんに「こんな事はよく起きるのですか?」と聞くと“Quite often”が「お布団」に聞こえたのを思い出す。
その後も紛争が続き、終結したのが1998年で英国首相ブレアの時というから驚きである。
そんな事を伺いながら思い出しながら見るダンスショーは文句なく素晴らしいものだった。日本人の団体客も何人か見かけた。ダブリンへ来たら絶対に見逃せない。

さて、翌日の日曜日はモハーの断崖ツアーに入るのだが、朝6時40分ダブリンのモリ―・マローン像の前集合。市内に一泊するためY子さんに送っていただいた。宿は大学の寮で、夏休みなど学生の長期休暇中に解放するもの。かつてエディンバラ大学寮(と言うより寄宿舎)に泊まったが古くて、夜中に通りを酔っ払いが大声で騒ぐので懲りた事があった。今回は観光シーズンで宿がなくやむを得ない。
ところが入ってみるとセキュリティーはしっかりしているし、建物は綺麗だし、部屋は狭いもののトイレシャワー付きでこれまた綺麗。
シャワーでも浴びて寝ようかと思ったら、アメニティーは勿論、タオルもない。脱いだシャツをタオル代わりにした。

 

暴漢事件

7月29日(日)
Y子さんのアドバイスに従って良かった!
「あの辺は治安が良くないと聞いたので集合場所までタクシーで行く方が良いですよ。」
「朝早いので酔っ払いはさすがにいないでしょうけど、念のためタクシーで行く事にします。」

ホテルを出てすぐに道路の真ん中をうろつく男大手を広げ車を止める。
インド人で紳士なドライバーが窓を開ける。
「●●まで乗せろ。」とわめく。(酔っぱらっているためか聞き取れない。)
「客が乗っている。ノー。」
「いいから乗せろ。客に聞け。」
私、当然「ノー」

男(酔っ払いか薬物中毒かは不明)、車のボンネットに飛び乗り仰向けに大の字。
しばらく放っておいたら、頭でガラスを激しく叩く。(ガラスが割れるか、頭がわれるか。)
私、証拠写真を撮る。(写真省略)

止む無くドライバーが外に出て引きずり降ろす。
男、ドライバーに殴りかかり、二人もみ合い状態。
外に出てドライバーを助けようとするもロックされてドア開かず。
窓のハンドルを回し、身を乗り出して後続車、反対側の車に向かって叫ぶ。「ヘルプ!ヘルプ!」
男、こちら側に回りドアを開けようとするものの開かず。急いで窓を閉める。
この隙にドライバー運転席に戻る。
男、私の側の窓を素手で激しく殴る。数回。
ビシッというガラスの音。

ドライバー、車を出す。この間がとても長く感じた。
男、なおもしがみつこうとするが、危うく難を逃れた。
でも信号が赤。
男、走る気力無し。

「危なかったね。怪我はないですか?」
「大丈夫です。ありがとう。」
「こんな事はよくあるの?」
「滅多にないですよ。」

集合場所に着く。10ユーロだが20渡そうとするも固辞される。
素晴らしいインド人。

今振り返ると、絶妙の二人の連携。
もし、ドライバーが殴り倒されていたら。
もし、窓が閉まらなかったら。
もし、ガラスが割れたら。

念のため触れておくと、アイルランドは今まで私が訪れた国の中でも最も治安の良い国のひとつだと思うに足るだけののどかさ、豊かさを感じたが、それでも犯罪やトラブル、事故はどこにでもある。
用心に越した事はない。スマホを見ながら歩くなどは日本でも決してやってはいけない。

 

断崖ツアー

難を逃れて集合場所へ到着。相変わらず小雨。あれだけの事件がありながら予定よりも40分位早く着いたが、集合場所が屋外なので軒下で雨宿りしながら待つ。やがてドライバー兼ガイドが来て呼び集める。最前列から2列目に一人で乗車。かれこれ30人超。出発。
第一声「今日は素晴らしい天気の中ありがとう。雨が降るから緑がきれい、街もきれいになる。農作物が出来る。恵みの雨だ。」早口で喋るので必死に聞いていたがだんだん疲れてきた。市街地を抜けて高速道路に入ったが、雨が霧になり景色が良く見えない。
途中2回位休憩し、目的地に着く頃はすっかり晴れ上がって最高の天気。
休憩の都度朝方の事件をFacebookにアップしようとするも時間切れで失敗。
最後の休憩時間にやっとアップ成功。

モハーの断崖(アイルランド)水彩4号

バスが予定より早く今朝の集合場所に帰る事が出来て、隣のレストラン「ZIZZI(ジジイ?)」でウィスキー&夕食。休日出勤のY子さんと落ち合って帰宅。

 

ジェラルドさんとゴルフ(車で5分の近さ)

7月30日(月)。ゴルフ場 Moyvally Golf Club はB家から車で5分の近さ、同じ町に3か所ゴルフ場があるという、なんともよだれの出そうな話。これほど恵まれたゴルフ環境なのにGさん、ゴルフは年数回だとか。もっとも私もこの日を含めて2回目。ゴルフ場に着くと駐車場に車が数台。
「あれは従業員の車。」(Gさん)「という事はもしかして客はゼロ!!」(私)

案の上コースへ出たら誰もいない。結局最後の3ホール目位に後ろから一組、二人のパーティー。
この広いコースに客は4人!!

Gさん年に数回にしては大変お上手。本人も言っているように特に100ヤード以内の寄せが抜群でバーディーチャンスも数回。結局この日は今年のベストスコアだった。
私はと言えば、旅と前日の暴漢と日ごろの運動不足のせいとしておこう。でも後半ハーフは8番までほぼボギーペース。最後に『ようし。最後だから思いっきり飛ばしてやれ。』と力んで左の池へ2発。
9時過ぎにスタートして昼には上がり、一旦家に帰りみんなでランチに出かける。
プレー後のギネスは特別美味い。

 

ジェラルドさんと東京エレクトロン

7月31日(火)。楽しい時間はいつもあっと言う間だ。とうとう帰国の日になってしまった。
どんなに楽しい思い出も時と共に薄れて行く。それは仕方のない事だが、幸いな事にこうして絵ッセーにしておくとほぼ完全に残す事が出来る。何度でも思い返す事が出来る。
玄関先で皆とお別れ。女の子二人が手を振り、Y子さんから「家族とのお別れのようですね。またいらしてください。」と言われ、長男のC君から「ありがとうございました。」といつもより大きな声で言われ、深々とお辞儀をされたのがなぜかとても印象に残った。いつの日かお子さん達が大きくなった頃また会いたいものだ。
「アイルランドには妖精が住む」という伝説があるそうだが、詳しくは知らない。そこが伝説、神話たるゆえんだろうが、ここB家には心優しい妖精たちが間違いなくいる。

空港へはこの日から夏休みのGさんが送ってくれた。Gさんは東京エレクトロンにお勤めのエンジニア。奥様から優秀社員表彰で東京に来られた事があると伺っていたので、車中ではもっぱらその事が話題になった。

私事ながらSRLという会社の現役時代に、当時の近藤俊之社長が、東京エレクトロンの社外取締役をしていた事があった。その仲介者が一橋大学教授(現名誉教授)伊藤邦雄先生。私はSRLでIR(Investor Relations投資家に対する広報活動)を長らく担当し、伊藤先生もIRやCorporate Governanceに造詣が深く、その関係で先生の主催する私的な勉強会などに呼んでいただいていた。
また、会社の管理職の勉強会で先生に講師をお願いした事もあった。
さらに近藤社長が伊藤先生の研究会か何かに招かれて発表をし、そこに東京エレクトロンの田中常務が参加されていて、後日東社長にお会いし、面談後田中常務から社外取締役への就任依頼があったとの事。
近藤さん(社内は「さん」付けで呼ぶ社風だったのでそのまま使わせていただく)と私は企画室、社長室と名称は変わったが10年近く上司部下の関係だった。
ひょっとしたら優秀社員として表彰された時の社長は東さんではないだろうかと尋ねたら、「出席はされていたが社長ではなかった。」との事だった。
これだから世の中どこでどう繋がっているのか分からない。中島みゆきの曲「糸」の歌詞にあるごとく、縦の糸、横の糸、斜めの糸までが全て繋がり、絡み合っているように。
そして、ずいぶん遠回りをしたようだが、今迄自分のやってきた事全てに意味があったように思われて、さらにこの先が楽しみになって来る。

最後にジェラルドさんと空港で「多分また、アイルランドか日本でお会いすることになると思います。」と言うと「僕もそう思う。」と当然かの様にさらっと言われた。

 

追記

前回、締め切りの関係でアップ出来なかった、スペイン、ピレネー山脈麓、サンタ・フェリウ・デ・パジェロスの宿Casa Pratで雨を避けながらスケッチした絵を2か月遅れでアップ。
他に客はもちろん、従業員もいない中、黒猫が私をじっと見守っている。
彼(彼女)も孤独、私も旅先で独りぼっち。

「Casa Prat(Sant Feliu de Plleros ,Spain)水彩4号

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 - 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

Share

Comments are closed.

ヨコハマNOW オンラインショップ・インフォメーション

歴史ある横浜のベーカリー。バーデン・バーデンのガーリックブレッド 5本セット

 

横浜の創業80年を越える老舗のパン屋さんバーデン・バーデン(ムカヰベーカリー)のガーリックブレッドは、ヨコハマNOWオンラインショップでお買い求めいただけます。
(詳細はこちら)

<送料無料>ドリームファーム窯焼きデザートピザ

 

神奈川県相模原市津久井にあるピザの専門店「ドリームファーム」の冷凍ピザです。「ドリームファーム」は1985年創業で、ピザの巨匠として有名な梅澤オーナーのお店です。 焼き上げたピザを瞬間冷凍しましたのでオンラインショップで注文できるようになりました。 そして、なんとこの度は、ヨコハマNOWオンラインショップだけの送料無料でお届けさせて戴きます!
(詳細はこちら)

<送料無料>アルカリ源泉せっけん 美ジオ

 

アトピーや肌荒れに効果がある秘湯源泉水で作った無添加の手作りせっけん。 きめの細かいホイップのような泡がたっぷり出て、すすぎの時の泡切れがとても良くて、ヌルヌル感がなく、つるんとスッキリ洗いあがります。 原料はすべて天然のオーガニック素材、化学的な添加物は一切使われておりません。
(詳細はこちら)

 

 

ヨコハマNOW 動画

横浜の老舗のパン屋さんバーデン・バーデン(ムカヰベーカリー)のガーリックブレッドの食べ方

 

横浜の創業80年を越える老舗のパン屋さんバーデン・バーデン(ムカヰベーカリー)のガーリックブレッドは、ヨコハマNOWオンラインショップでお買い求めいただけます。
(動画をみる)

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

相模湖・津久井の本格薪窯ピッツェリア | ピザレストラン「童人夢農場 | ドリームファーム」オーナーシェフ 梅澤勉さん

 

相模湖・津久井の本格薪窯ピッツェリア(ピザレストラン)「童人夢農場(ドリームファーム)」オーナーシェフ 梅澤勉さんが、童人夢農場(ドリームファーム)のこだわり、デザートピザへの想い、緑あふれる津久井の魅力を語ります。
(動画をみる)

ブライダルエステのトータルビューティアーティスト大木美恵子さんに「アルカリ源泉手作りせっけん美ジオ」の魅力と開発秘話をお聞きしました

 

「アルカリ源泉手作りせっけん 美ジオ」はブライダルエステのトータルビューティサロン ビーセレブが開発しました。
(動画をみる)

Page Top