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面白いことをしたい! 株式会社ドミトリーム・エンターテインメント代表取締役 川本翔大さん

by staff on 2018/11/10, 土曜日
株式会社ドミトリーム・エンターテインメント代表取締役 川本翔大さん
(株)ドミトリーム・エンターテインメント
代表取締役 川本翔大さん
 
お名前 川本 翔大(かわもと しょうた)
お生まれ 1985年生まれ
出身 大阪府柏原市
お住まい 横浜市中区
趣味 飲みに行くこと
野球選手のその日の成績を見ること
お仕事 株式会社ドミトリーム・エンターテインメント代表取締役
HP http://r.goope.jp/three-s

 

どんな少年時代でしたか?

小学校時代は野球をやっていたわけではないのに、父親が阪神タイガースファンだったこともあり、漠然とプロ野球選手になりたいと思っていました。
中学校では卓球をやるなど、運動が大好きでした。
勉強もある程度はしていましたよ。(笑)
基本的に勉強は嫌いですが、しいて言えば歴史が好きでしたよ。
学級委員長もやっていたので、リーダーシップはあったのでしょうね。

公立高校に進み、野球部に入りました。ポジションはセンターでした。
弱いチームで、1回戦に勝つと大喜びするようなチームでした。
小・中・高校と、もちろん阪神ファンでした。
今でも好きなプロ野球選手は、坪井選手。知っていますか。長嶋茂雄以来新人から2年連続打率3割だった選手ですよ。

なぜ横浜に来たのですか?

第一志望は神戸大学の経営学部でしたが、学力的に無理だと悟って横浜国立大学を目指しました。ところがセンター試験で数学ⅡBを失敗してしまい、どこかないかと探したところ、数学がなくてもOKで、横浜国立大学と似たような名前の大学があったのです。それが「横浜市立大学」でした。
商学部経営学科に無事に入学することができ、生まれて初めて「横浜」にやってきました。それまで「横浜」のイメージは「海」「港町」でした。ところが入学した横浜市立大学は、茅葺屋根の古民家が駅前にある(京浜急行の金沢八景駅)思い描いたイメージとはかけ離れていた場所にありました。

まいは男子寮を選びました。
この男子寮での生活が私の人生を変えてしまったのです。

どんな学生生活でしたか?

寮生活はいろんな意味で厳しいものでしたが、半年後にはすっかり慣れて寮生活を楽しんでいました。
クラブは準硬式の野球部に入りました。同室の先輩に誘われたのと、横浜スタジアムで試合ができるぞと言われたことがポイントでした。ただ野球部にいたのは2年の夏まででした。
大学時代の忘れられない思い出は、「全日本コール選手権」です。
男子寮のメンバーで3年連続優勝しました。「コール」とは、飲むときの掛け声で・・どうっていうことはないのですが、当時は100種類くらいのコールと振りを毎日練習していました。コールは当時の流行りになり、DVDが累計10万枚売れたようです。結婚式の余興にも何度か呼ばれましたね。
「全日本コール選手権」に出場したことで、学生向けのインターネットテレビの司会(MC)を1年間やっていました。
男子寮に入らなければ、今の仕事もやっていなかったと思います。

何でもいいから起業したかったので・・・大学3年のときに1年間休学して、渋谷のベンチャー企業で働きました。
携帯電話のホームページを制作している会社でしたが、社長が1人の会社だったので、広告営業など何でもやりました。
自分で企画して学生関連のホームページを制作したこともあります。
1年間のインターンを終えて、就活しようと思って大学に戻りました。業種は問わないで従業員10人以下の企業に入りたかった。一人あたりの責任の大きいほうが面白い仕事に出会えると考えていました。
モバイルサイトの制作会社に内定をもらっていたのですが。。。
いろいろなことがあって、就職はしないでフリーランスでイベント企画やWebサイトのライターの仕事をすることになりました。

今のお仕事との出会いは?

イベントの企画制作やWebサイトのライターの仕事は順調でした。そのままでも良かったのですが、大学の先輩から「何か面白いことをやろうよ」というお誘いに「やりましょう」と二つ返事で乗って、2011年11月11日「ドミトリーム・エンターテインメント」という会社を設立しました。
「ドミトリーム」とは・・自分たちの原点である「寮」(ドミトリー)と「夢」(ドリーム)を組み合わせた造語です。
ダサい会社名にしようと話し合って出た答えがこの社名です。長すぎて一度で聞き取ってもらえないので、今では後悔しています。

そして・・・飲食ができて、ショーができるお店「ヨコハマスリーエス」を2012年2月1日にオープンしたのです。
スリーエスとは「酒(sake)」 「食(syoku)」 「笑(show)」の「S(エス)」です。
開店当時は、知名度も低くてイベントもなかなか開催できず大変でしたが、SNSや口コミで広がっていて芸人さんが自分のイベントに使ってくれるようになりました。
2015年にオーナーであった大学の先輩が抜けて、自分が経営者になりましたが、お客様との出会いと語らいを糧として、今日まで頑張ってやっています。
独身で身軽なこともあるし、元来、人と話すのが好きなのでしょうね。

ヨコハマスリーエスの店内

「ヨコハマスリーエス」の経営の他に、「日刊スポーツ」と業務提携して各種イベントの企画制作、例えば「富士山マラソン」などやっています。横浜の商店街からイベント企画を依頼されることもありますよ。
そして、今一番力を入れているのが「ポニカロード」という横浜のアイドルグループのプロモーションです。

「ポニカロード」は、2013年10月27日に結成した5人組(他に1人研究生がいる)グループです。
横浜を代表するアイドルを目指して日々活動しています。神奈川県警公認アイドルとして県警のイベントに参加したり、自主的に3年間毎月、横浜市内のどこかで清掃活動を行ったり、横浜を中心に芸能活動を行っています。
10月27、28日は結成5周年ライブを開催して、多くの方にお越しいただきました。
横浜で知らない人がいないグループになるため、日々精進しています。



ポニカロード

川本さんにとって「横浜」とは?

2012年ごろ、阪東橋に住んでいたのです。そのとき、黄金町の高架下で突然、「自分はここで死のう」と思ったのです。なぜでしょうか。その頃から「横浜愛」に溢れてきて、横浜DeNAベイスターズを応援するようになりました。

横浜は370万人のムラだと思います。
横浜人は皆「横浜が好き」ですね。そんな横浜人が大好きですね。
自分が「横浜が好き」と言うと、皆さん自分を気に入ってくれるのがメッチャ嬉しいです。
今では誰よりも「横浜」が好きだと自負していますが、大阪出身なのでハマっ子扱いはしてもらえないですね。(笑)

<取材を終えて>

高校卒業するまで「横浜」を知らなかった青年が、今は「横浜」を誰よりも愛して横浜を「死に場所」にしようとしている。「横浜」のどこにそんな魅力があるのかと改めて考えさせられるインタビューでした。
川本さんは、「横浜ムラ」に人と人との結びつきや優しさを感じたのでしょうね。
「ポニカロード」をもっと大きくして、メンバーのそれぞれが横浜市 18区の担当になって、各区の魅力を発信していこうという、“川本構想” の実現を応援していきたいと思います。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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