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横浜山手「此のみち」を引き継いで。 フレンチ懐石レストランオーナー 梅澤文子さん

by staff on 2018/12/10, 月曜日
フレンチ懐石レストラン「此のみち」オーナー 梅澤文子さん
フレンチ懐石レストラン「此のみち」
オーナー 梅澤文子さん
 
お名前 梅澤 文子(うめざわ ふみこ)
出身 東京都出身
お住まい 横浜市中区
趣味 着物・ワイン・邦楽 など
お仕事 フレンチ懐石レストラン「此のみち」オーナー
HP http://www.yokohama-konomichi.jp

 

先代は宝塚の娘役トップだったそうですね

母キヨ子は、私の実母の妹で、1926年生まれで現在92歳、夫は映画監督の藏原惟繕(くらはらこれよし)です。
東京生まれでしたが、家族で山形県鶴岡市に移り、女学校に通っていたときに、容姿端麗で目立っていたのでしょうね。地元の新聞記者が、宝塚に応募してくれたのです。何の準備もしていなかったのに、宝塚音楽学校に合格したので、周囲もびっくりしたと母から聞いております。それが1940年のことです。

母は1943年に宝塚歌劇団に入団しました。入団時の成績は同期のなかで2番だったそうですから、才能があったのでしょうね。宮城野由美子という名前をいただきました。
当時の宝塚は、新玉三千代さんや有馬稲子さん、八千草薫さんなど、後に大女優と言われた方々が在籍していました。母は、宝塚の娘役トップとして越路吹雪さんとコンビを組んだそうです。
手元にファンの方から頂戴した、1951年の宝塚歌劇四月花組公演のパンフレットが残っています。このとき出演した「ラ・ヴィオレテラ」を最後に、宝塚歌劇団を退団しました。
2014年、宝塚歌劇団100周年記念で設立された「宝塚歌劇の殿堂」に100人の一人として殿堂入りしています。

宮城野由美子 宝塚 最後の舞台(娘役)

母は、在団中より映画女優として活躍し、数多くの映画に出演しました。
代表作としては、「西陣の姉妹」(1952年大映)・「六人の暗殺者」(1955年日活)などがあります。当時、東京都目黒区青葉台の西郷山のそばに住んでいました。両親が商売をして多忙なため幼少の頃から母の家に預けられていた私は、「おばちゃんは凄いな・・・」と子どもながらに思っていました。

1956年に助監督だった藏原惟繕と結婚して、女優を引退しました。それからは独学で学んだシナリオを書いていました。「此のみち」を開店するまで、母はいつも原稿用紙の前に座っていました。

蔵原惟繕は、1957年に石原裕次郎主演の「俺は待ってるぜ」で監督デビューし、石原裕次郎や浅丘ルリ子の主演の映画の監督として活躍しました。「風速40米」(1958年日活)や「憎いあんちくしょう」(1962年日活)など次々とヒット作を生み出しました。
1967年に日活を退社、フリーになって、石原プロモーションの「栄光への5000キロ」(1969年)や「キタキツネ物語」(1978年)「青春の門」(1981・1982年)など話題作を作りました。1983年に公開された高倉健主演の「南極物語」は大ヒット作となりました。

2016年3月に「此のみち」の入口の前に「南極物語」のモニュメントを設置しました。

南極物語のモニュメント
邦画の題字の第一人者 赤松湯構造氏によるもの

なぜ「此のみち」を開業されたのでしょうか

母たちが横浜山手の雰囲気を気に入って、この場所(中区山手町159)に建っていた洋館を購入して住み始めたのが1960年ごろです。母は脚本家として創作活動を続けていましたが、1970年にレストランお食事の家「此のみち」を始めたのです。
「此のみち」は味にこだわり、母は有名料亭に通って、勉強していました。自ら考案した料理もあり、板前さんたちへの教育も厳しかったそうです。器にもこだわりを持ち、特に漆器が好きで輪島など産地に出かけて買い求めていました。現在、コースにお出ししている「うずみ卵」や「温此梅(梅干しの天ぷら)」などは開店当時からの名物料理です。「此のみち」は横浜では美味しいお店として繁盛していましたが、父の病気のことなどがあって、2000年より休業しておりました。

うずら卵 温此梅

父母の写真

2013年に「此のみち」を再開したのですよね

10年以上休業しておりましたので、役所から廃業届を提出するように言われました。私の息子(現シェフ)が、ヨーロッパで研鑽を積み、小布施(長野県)や津久井(神奈川県相模原市)で料理長を経験しておりました。
母のたっての願いもあり、横浜山手のフレンチ懐石レストランとして2013年に開店しました。シェフは息子の智、嫁の温子、マダムの私、その3人での出発でした。

「横浜・山手にて 至福のひとときを」をモットーに箸で食べるフレンチおまかせコースをお出ししています。1日1組の完全予約制です。器は母が収集したものを今でも使用しております。和と洋の文化の融合を心掛けて、春慶等で八寸スタイルの前菜をお出ししております。素材は自家農園、自家製造を中心にシェフが各地で出会った素晴らしい食材、素材を組み合わせて、季節感あふれるお料理を楽しんでいただいております。

此のみち 全景

「此のみち」を再開して、「ここで結納をしました」「こちらには忘れられない思い出があります」と仰って下さるお客様にお会いすることが多く、嬉しい限りです。

私は、着物を着てお客様をお迎えしています。
母は女優でしたが、人前にでるのが好きでなかったので、「此のみち」ではほとんど表に出ませんでしたが、私はオーナー兼マダムとしてお客様との会話を楽しませていただいております。

「此のみち」を再開して5年になりますが、様々なシーンに立ち会わせていただきました。少人数の結婚パーティーや同窓会の会場として使っていただいておりますが、有難いのは、「最後の晩餐」の場所として選んでいたけることです。完全予約制なので、病院から車いすでパジャマのままでいらして、お好きなものを中心にご家族と卓を囲み楽しんでいらっしゃる・・・そんなお姿を拝見すると「此のみち」を再開して本当に良かったなと思います。

先日も、アレルギーで、生まれてからケーキを食べたことがないというお子様向けにシエフが腕をふるったケーキをお出ししましたら、とても喜んでくださって・・。お客様の喜びのお顔を拝見することが、私の元気の源になっています。

「此のみち」はこれから様々な展開を考えていらっしゃるとか

これまでも金原亭馬生師匠の「此のみち落語会」(2019年1月19日に第七回を開催予定)やワイン会などたくさんを開催してきました。ヨコハマNOWで主催している「盆栽カフェ」の会場としてもご利用いただいております。
また、ギャラリーとしても貸出しております。お茶会や絵画展、着物を楽しむ会などが行われています。
今後は地域活動のためのカフェとして活用していただきたいと考えております。お気軽にお声を掛けていただきたいです。
私は「着物」が趣味ですので、「着物文化を広める」活動をしていきたいですね。昨年も「着物を着る会」催したところ、大勢の方々に来ていただきました。

此のみち落語会

梅澤さんにとって横浜は?

横浜山手には子どもの頃は休日のたび、結婚してからは自宅のある津久井(神奈川県相模原市)から数え切れないほど通っていましたが、母の体調がすぐれなくなって、こちらに移り住みました。今や私にとって横浜は「第二のふるさと」と言える存在になっています。
これからも「横浜山手」で「此のみち」の味を守り、発展させていきたいですね。

横浜は私の「第二のふるさと」です

<取材を終えて>

梅澤さんのお料理、ワインに対する知識はもちろんのこと、着物に対する造詣の深さにも驚かされます。何気ない一言がズバッと真相を突いていて、いつも勉強になります。
ヨコハマNOWの活動では、「盆栽カフェ」の会場提供のみならず、様々なイベントに積極的に関わっていただいております。先日の「100号記念イベント」では、チャリティーオークションを仕切っていただきました。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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