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書評「死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子『あゝモンテンルパの夜は更けて』」 北辰堂出版 新井 恵美子(著)

by staff on 2019/2/10, 日曜日
 
タイトル 死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」
単行本 248ページ
出版社 北辰堂出版(2015/07)
ISBN-10 4864271917
ISBN-13 978-4864271912
発売日 2015/07
購入 死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」

キリノ大統領は「日本人の処刑については考慮をはらいます」とローマ法王に手紙を書き、約束された。昭和28年加賀尾の発案で完成した「ああモンテンルパの夜は更けて」のレコードは20万枚を売る大ヒットとなり、支持者の数も増えていったと書かれている。

昭和19年頃のことです。「フィリピンでは日本軍の占領政策のあやまちから、かって存在した反米ゲリラが撃滅し、反日ゲリラの数はみるみる増えていった。残虐な日本軍という印象ばかり強く、すでに比国の7割がゲリラ地区となっていた。」「日本軍はフィリピン人を見ればゲリラかと疑うようになり、のちの戦犯疑惑の元になるような事件が日常茶飯事となった。ゲリラといっても米軍の保護のもと、武器や食料の供給を受けた比国人のグループは、ボロボロになった日本軍より優勢で討伐もままならなかった。そのうえ、物量の欠乏と輸送不能になった軍部は上陸部隊に対して、自活自戦せよ、との命令を出したのである。」

「仲間を殺して食料を奪う者、病に倒れる者、小銃の引き金を頭に向けて自殺する者、統率力を失った部隊ははてしないジャングルをさまよい歩いた。日本軍は劣勢を何とか回復しようと、最後の悪あがきとでもいうようなことを考え出した。全員で敵陣地に突っ込む切り込み隊も、レイテから出ていった特攻隊も無謀この上ない体当たり作戦だった。」

日本では、戦犯家族は周囲から石を投げられるような生活を続け、生活も困窮を極めていた。教誨師加賀尾に家族たちはすがって泣いた。「この人たちを救わないで、どうして僧と言えようか」と加賀尾は立ち上がった。減刑嘆願書を作成して、マニラに持参することを考えた。モンテンルパ刑務所内に居住するようになって、自分の居室を観音堂とし、戦犯たちのよりどころとした。

「ほとんどの裁判の結論はすでに出尽くしていた。無罪となって日本に帰れる者、死刑を宣告されたもの、無期・有期で服役を言い渡される者と、明暗はくっきりとなった。」「加賀尾がふしぎでならないことは、残される者も帰る者も互いに恨みつらみを持たないことだった。少々の偶然で無罪・有罪と区別されたことを知り尽くしているせいだろうか。」

ある学徒出身の死刑囚がポツリと言ったことがある。「50万人の日本軍が比島の全土を完膚なきまでに荒らしまわったんです。生き残った十四、五万人の中から、二百や三百の者がその責任を問われてもしかたのないことだと、僕はあきらめています。」「死刑、無期刑を言い渡された者の大部分が冤罪で身に覚えのない罪をきせられていた。あるいは上官の命令によって、やむなく手を下した者もいた。命令を下した上官はさっさと帰国してしまい、実際にフィリピン人に害を与えた者が罪に問われ、死罪を言い渡されるという場合もあった。」

死刑執行が始まり、残された者たちも同じ運命になるのだと自覚せざるを得なくなった。加賀尾の任期はとっくに終わっていた。日本側は加賀尾の勝手な延期に滞在費用も出す気はなかった。加賀尾は戦犯たちの残飯を食べて生活していた。「十四人の処刑者を出してしまったことを痛恨した加賀尾は、今後一人たりとも失ってはならないと考えていた。何としてでも守らなくてはならないと覚悟をあらわにしていた。“もう歌よりほかにありません”と加賀尾が言ったのはそんなときだった。歌によって日本人の心に訴えるしかないと加賀尾はおもったのである。」

「戦争が終わって、すでに七年、人々は戦争を忘れようとしている。忘れたいと思っている。本国では新しい風が吹き始めていた。南の島に置いてきぼりされた戦犯のことなど考えようともしないのだ。歌だったら、人々の心に素直に届くだろう。有名な作曲家や作詞家に依頼するのではなく、死刑囚の言葉を、死刑囚自身の手で歌にしなければならない。」代田ならよい詩が書けるとふんでいた。日本から送られてくる楽譜をオルガンで弾いて楽しんでいた伊藤の手によって作曲された。一度目の歌は戦犯たちにも受けなかった。

加賀尾は「もう一度、曲を作り直せ」と命じた。そして二度目の曲は仲間たちに聴かせることもなく、加賀尾の手で、歌手の渡辺はま子に送られた。「加賀尾は渡辺あてに、楽譜を送り、素人が作った歌だから、添削してほしいと依頼したのだった。」「なぜ渡辺はま子だったかといえば、彼女は来日したデュランの口からモンテンルパの戦犯の存在を知らされ、積極的に釈放運動を国内で展開してくれていたからだった。」

「モンテンルパに朝が来りぁ
のぼるこころの太陽を
胸にいだいて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは
かってこの歌に救われた命たちが、今はすっかり年老いて、自分たち自身への応援歌のように歌を歌っていた。」

平成八年の初版のあとがきで荒井さんは次のように記されている。
「戦争終戦後もモンテンルパで生きなければならなかった人々は苦難の日々をも、ごく当たり前の日常と受け止め、最悪の環境の中でさえ普通の喜びや悲しみを見つけていきたことを私は知らされた。戦争を否定しきってしまうことも、戦争を忘れることも、私にはできない。その時代を若者として生きた人々の足跡をかぎりなく愛しいとおもうのだ。“歌に救われた命”たちの晩年が安らかで、幸せにみちたものでありますように、と祈りペンを置きたい。」

平成が終わる。昭和をこえて!忘れていはいけないことがある。戦争のなかった平成の時代というだけでいいのだろうかと思う。そして「死刑囚の命を救った歌」を実は小学校5年生の孫が、ときどき私の書斎にきて、読んでることを知って書評を書いておくことにした。いまを大事にすること、そのうえで新しい明日を迎えようと思う!

(文:横須賀 健治)

 

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