田中健介の麺食力-それから- 第7回 「あの鐘を鳴らすのは ~暖簾を守り続けるということ~」
第7回 あの鐘を鳴らすのは ~暖簾を守り続けるということ~
2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第七回目でございます。
春になりました。横浜は3月末になって桜が満開です。
この麺食力という本は、ブログに書き溜めていたものをまとめたもので、好き勝手に書き綴っていたので、失礼がないか、または内容に間違いはないかなど、出版を前にお店に確認する必要がありました。なにせ165店舗分もの文章がありましたので、一軒一軒電話なりご挨拶なりしている時間が取れず、この文章で問題なければそのまま掲載させていただきます、という旨を誠に失礼ながらお手紙という形でお知らせをさせていただきました。
「値段は現在変わりまして…」「うちこそサンマーメンの元祖なのであとで資料をFAXします」「掲載とか、そういうのいらないから!」
いろいろなレスポンスをいただきましたが、中でも印象に残っていたのが一通の葉書でした。
9年前にいただいた一通の手紙。毎年春が来るたびに眺めていた。
何気ない短い文の中に、お礼の気持ちと季節感が込められ、ほっこりとした気分になったことを覚えております。
いつかちゃんとご挨拶に伺わねば、「桜切り」をいただかねば!
春が来るたびにそう思いながら9年という年月があっという間に過ぎてしまったのです……。
今回は金沢区洲崎町の「そば越後屋」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は62ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。
越後屋外観。
国道16号線を磯子方面から君ヶ崎交差点を左折すると、そこは旧街道だという。
昔ながらの日本料理店や鰻屋などが軒を連ね、旧街道らしい味わいがある。
越後屋はこの通りにある。
明治後期創業、正確な時期は不明とのことですが、100年以上の歴史があることは間違いないとのこと。一昔前のあきんどは、自分の出身地を屋号にするケースが多くありますが、こちらも例に漏れず、新潟県出身の初代は元々大工をしていましたが、兵役に就いた日露戦争で負傷し、大工が出来なくなってしまったことでリヤカーを引いて夜鳴きそばを始めたのが越後屋のはじまり。
明治後期に初代・越後屋店主が夜鳴きそばをしていた時に使用した鐘は商売繁盛の祈願を込めて店内に大切に飾っている。
「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」という言葉があるように、夜鳴きそばは風鈴を鳴らして周囲に存在を知らせることが一般的だったそうだが、越後屋はオリジナリティを重視してこの鐘を鳴らしていたとのこと。
(暗くてわかりづらいと思うので、後ほど別画像を)
拙著では「柚子切り」をいただいていました。ちょうど年明けの時期。訪店前に初詣をし、うっかり路上駐車で駐車違反の切符を切られてしまったという顛末が書かれています。本当にくだらない。だから読み返したくなかったんだ……。しかしあの「柚子切り」の爽やかな余韻は、今でも思い出します。「桜切り」がますます楽しみになってきたぞ!
メニューブックの1ページ目から「桜切り」推し。
私はこれをいただきに来たのだ!
初夏は抹茶切り、夏は山椒切り、大葉切り、秋冬は柚子切りなど、その季節毎に楽しめる「変わりそば」が有名です。そして春の桜切りは3月中旬から4月中旬までと短い期間しか味わえないレアアイテムなのです。
桜切り ふつうの海老天盛りセット。
桜切りは軽く塩をつけて手繰ると桜の香りと蕎麦の甘みが相まって楽しい。
桜切りだけでは寂しいと思い「ふつうの海老天盛りセット」をいただきました。懐に余裕があれば車海老天もあるのですが……、未来のいつかへの宿題にしよう。ふつうの海老でも十分楽しいです。
見た目も春らしい桜切り。最初はつゆではなく塩で食べてみてくださいと勧められました。
あまりつけると塩が立ってしまいますので、ほんの少しだけ。桜の香りと蕎麦の甘みが口の中に広がり、「ああ、春だ、春が訪れたんだ!」実に楽しいです。
改めて創業時の鐘の画像を明るいバージョンで。
(「金沢八景で100年続くそば屋越後屋」公式ホームページから画像拝借)
5代目の竹内大喜氏にお話を伺いました。
前出の葉書を書いたのは4代目の精一氏とのことで、拙著出版時は大喜氏は高校生だったとのこと。精一氏が病気で店に立てない状況となり、三年ほど前から大喜氏が引き継いだとのことでした。
まだ27歳という大喜氏。幼少期は店を継ごうという気は全くなかったそうです。
「高校に入ってから、とにかく勉強が嫌いで、店を継ぐという選択肢しかなかったんです。」
そう笑いますが、店を継ごうと決めた本当の理由は、大喜氏の強い地元愛でした。
「この街に生まれ育って、いい街だなっていつも思うんです。いい人ばかりだし。物騒なことも滅多にないし、住みやすい。いろんな歴史も詰まってる。この店を継ぐ前に17歳から25歳くらいまで東京のそば屋で修業したのですが、その経験でさらにこの街が好きになりました。鎌倉も近いし。」
飲食店というのは仕込み作業などは客がどのような流れで来ようとも常に準備万端でなければなりませんが、個人店の場合は一から十、いや百までを自分たちでやらなければなりません。それ以外にもお店をやる、という苦労は数多くあるだろうから、暖簾を引き継ぐことは相応の覚悟を要したに違いありません。
それらの苦労を一番知っているのが家族で、当初は反対されたそうです。
「確かに継いでみて大変さを思い知りました。他で修業した自分なりに、新しい要素を取り入れようと変化させた部分がありますが、それで一部の常連さんは離れてしまいましたし。ただ、私が変えた部分を辛抱強く見守ってくれて、結果認めてくださった常連さんもいますし、新しいお客さんも増えつつあります。毎日『ああ今日も暖簾が出せる』という喜びに感謝しています。」
越後屋の強みは自家製粉で作る蕎麦だけではなく、釣り船が多く停泊している平潟湾に近い場所に位置していることもあります。金沢の海は今でも江戸前の魚介類の宝庫。新鮮な地魚を天ぷらや刺身でいただけます。
「漁師とのつながりが深いことは代々暖簾を守ってきた冥利に尽きます。底引き漁で獲れた魚よりも一本釣りで獲れた魚はストレスが少なくて抜群に旨いと私は思っています。」
竹内大喜氏と拙著。
「シーサイドラインの金沢八景駅が京急と直結したことでウチの店に何かメリットがあるかどうかよりも、金沢八景という街の良さを皆さんにもっと知ってもらえるきっかけになれば嬉しいです。マジいい街ですから。」
つまずいて、傷ついて、泣き叫んでも。さわやかな希望の匂いがする越後屋5代目店主・竹内大喜氏。夜鳴きそばを今更やることはないにしても、あの鐘を鳴らすのは、大喜さん、あなたです。
筆者紹介
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ヨコハマNOW 動画
新横浜公園ランニングパークの紹介動画 | ||
ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。 |
横浜中華街 市場通りの夕景 | ||
横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。 |
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