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書評「渋沢栄一の『士魂商才』」 中経の文庫 寺島実郎(監修),古川順弘(著)

by staff on 2019/6/10, 月曜日
 
タイトル 渋沢栄一の「士魂商才」
文庫 244ページ
出版社 KADOKAWA(2010/3/27)
ISBN-10 4046029587
ISBN-13 978-4046029584
発売日 2010/3/27
購入 渋沢栄一の「士魂商才」 (中経の文庫)

「渋沢栄一は後進たちが持ち込んでくる構想や提案を誠実に支援することによって自らが進化し続け、周りから盛り上げられることによって常に時代の中心にたったのである。“人徳”という言葉が胸にしみる。」と寺島さんは語られる。「運命の転機というべきか、慶応三年(1867)、慶喜の弟徳川昭武の訪欧使節団の一員として、27歳の渋沢は約2年間にわたるヨーロッパ視察の体験をする。この時の欧州体験が渋沢栄一の視野を広げる原体験となり、その後の人生にとって重要な意味をもった。」渋沢栄一さんはパリでの万国博覧会を視察しただけでなく、スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、英国を巡った。日本での大政奉還を知り、急遽帰国している。そしてそれらを驚嘆すべき観察眼と吸収力で各国での見聞を記録している。鉄道、電信、諸工場、上下水、博物館、銀行、造幣局、取引所、科学研究所などを冷静に観察しており、後の渋沢栄一さんの視座を構築したことがわかる。

われも富み人も富んでこそ、真正の富

「自分だけでなく、他人をも富ませ、そして最後は、国や社会全体が豊になることにつながらなければ、いくらお金を儲けても、本当の富は得られない。商業の目的は私利私欲ではなく、公利公益たるべき」と表現している。

商工業者の地位を進めたいというのが、唯一の目的

「パリでは、皇帝の命を受けた陸軍大佐ヴィレットと、徳川幕府の日本名誉領事を委嘱されていた銀行家フリューリー・エラールの二人が世話人として使節に付き添った。日本でいえば、ヴィレットは刀をさした武士、エラールは算盤を片手にした町人、士農工商という階級のある国では、同席さえ許されないほどに身分の差がある。」「ところがこの二人、互いに臆することなく自由に意見を述べ合い、さかんに議論し、どう見ても対等の関係である。ときには、軍人のほうが実業家を尊敬しているようにさえ映った。」のである。

常識はいずれの地位にも必要で、また欠けてはならぬ

栄一自身は、非凡な英雄をいたずらにめざす道を戒め,世を渡るうえで、自戒をこめて、“常識”を保つことの大切さを説いている。では、その常識というのは何なのか。」

智・・・物事の善悪・利害・得失を識別する能力。智恵。
情・・・自分本位を抑え、他者を思いやる情愛。季語哀楽。
意・・・感情をコントロールして、トラブルに遭ってもぶれることのない意志。

「この三つのうちのどれか一つでも突出しすぎてしまうと、社会では有用な人物とはなりえず、仮に一時は成功することがあっても、結局は、失意のうちに空しい生涯をおくることになる、と栄一は強く警告している。」

その企業が時機に適合するかー企業家の心得

「どんなに有望有益な事業だろうと、時代が不況ならば、起業が容易ではないのはもちろんだ。かといって、好景気が企業の時機にふさわしいというわけではない。“潮流に乗じて実力以上に肥大しようとする、好況の時機こそ警戒が必要なのだ”――そう渋沢栄一は説く。バブルは必ず崩壊する。その景気が一時的なものか、それとも長期的なものか――それを見きわめて行動することが、起業の成否を分かつ。」

正しい道を進んで行こうとすれば、争いを避けることはできぬ

「私はもちろん、好んで他人と争うことこそせざれ、全く争いをせぬというのではない。いやしくも正しい道を飽くまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできぬものである。」―論語と算盤―「合理主義者の栄一と、独裁商法を貫いた三菱の創始者・岩崎弥太郎は、実業界では終生のライバルだったが、この二人が真っ向から激突し、死闘を演じたことがある。両社が合併することで決着した。世間は三菱の勝利だと噂したが、この合併の半年前、弥太郎はガンで死亡していた。“円満を旨として争いを避けようとすると、ときに善が悪に阻まれ、正義が行われなくなる。人間はあまり円いとかえって転びやすく、どこかに角がなければならない”?そう諭す栄一は、後年、結局三菱に請われ、日本郵船の重役に就任している。」

逆境に陥ったら天命と諦め、来るべき運命を待つ

「人生に逆境などあるわけがないと豪語する栄一だが、その一方で“絶対にないとはいいきれない”と、なんとも矛盾した言い方をしている。」「たとえば栄一自身がそうだった。尊王倒幕を論じる草奔の獅子が、はしなくも幕府の臣下となり、将軍の弟に随行してパリに渡るも、その間に大政奉還・明治維新の大動乱が母国を襲い、帰朝してみれば幕府はすでになく、旧主徳川慶喜は零落、栄一も一転して浪人の身となった。まさに、時世の大波に呑まれて、逆境に陥ったわけだ。」「帰国後の栄一は、慶喜の縁で留まった静岡藩で、フランスの見分をもとに商会を設立。やがてそれが新政府の目にとまり、栄一は新天地へ雄飛する。逆境をばねにして飛躍する。それがひたすら進歩を続けた男の鉄則だった。」

私は孔子の人物観察法を最も適当であると信じる

「まず基本は、人の身なりや行為を肉眼でよく視る。次には、ただ視ることから一歩進んで、その人の行為がいったい何を動機としたものなのかを、心眼で観る。そして最後は、その人の安心がどこにあるか、つまり何に満足して暮らしているのかを察する。この“視・観・察”を実践すれば、人物の姿が明確に見えると栄一はいう。」「ポイントになるのは“察”で、金儲けだけに満足する人間か、それともその先にヴィジョンがある人間かどうかが、人物の正邪を見抜く鍵になるというわけだろう。」

人気は他方より来るものではなく、己れより出てくるもの

「決して人を踏みつけてまで押し通ろうとはしない。人から受けた恩は忘れずに報いようとし、泣きつかれても厭わず、誠意をこめてとことん面倒を見ようとする。栄一のもとには、終生、四方八方からたくさんの人が集まった。彼の資金力や名声をあてに寄ってきた人物もいただろう。だが、結局みな栄一の内部から発せられる香気、磨かれた人格を慕って、信服していったのである。」

「栄一の人気の源はなんと言っても“仁”だった。そしてもちろん、この仁の力もまた、誰かが授けてくれるものではなく、内面から発せられるものだ。」「仁の道は、進もうと思えば、いつでも進んでゆける。だが仁を行うのは自分自身、他人の力に頼ったとて、どうにもならないのだ。」

「論語」をつねに座右から離したことはない

「栄一は、子供のころに父親から“論語”の素読の手ほどきを受け、七歳ごろからは  師匠格から“論語”を丁寧に学んでいる。だが、郷里を出て憂国の志士となった青年期から、維新後の大蔵省士官時代までの十余年は、あわただにしい毎日が続き、“論語”を熱心に読み返すこともあまりなかった。」「ところが明治六年(1873)、大蔵省を辞していよいよ実業界に足を踏み入れようとしたとき、ふと考えた。“これからの荒波を乗り越えるうえで、処世の拠り所となるものは何かないだろうか?”―-そこで思い起こしたのが。“論語”だった。」「仁義思考を説く“論語”は、奇跡を吹聴することなく、いつの世にも万人に通じる実用的な教訓を豊富に示している。ならば、これを拠り所として身を修め、商売をし、商人の道徳を高め、そして実業界を発展させよう――そう栄一は決心したのだ。」

事の成敗以外に超然として立て

「真の成功とは、“道理に欠けず、正義に外れず、国家社会を利益するとともに自己も富貴にいたる“ものでなくてはならぬ。」(青淵百話)
「栄一節全開だ。とにかくまず誠実に努力する。それでも失敗したというのなら、自分の力が及ばなかったせいだと納得する。また仮に成功者だと騒がれても、己れの知恵がたまたま活用されただけと考えて、振り向かずに前を見つづける。」そして「七十にして心の欲するところに従って、矩を踰えず」(論語)渋沢栄一が理想とした境地だろう。

日に新たの、心掛けが肝要である

「万人が栄一の真似をして、激務の毎日をおくればいいというものではないだろう。そもそも、ただたんに一日一日が違うということと、新しくなるというのは、同じことではない。栄一は、重要なのは“心掛け”だとはっきり強調している。」「今日は昨日よりも新しく、明日は今日よりも新しい。」心の底から言えるようになりたいものだ。

求められたら、成功・失敗にかかわらず、すべてをありのままに話す

「晩年の栄一が日々面会の時間を設けて、来客を厭わなかったというのは、すでにふれたが、若き日の栄一は、日夜幕末・維新の歴史に名を刻む一流の人物と接し、彼らからじつに多くのことを学んでいる。徳川慶喜・近藤勇・土方歳三・西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・・・“偉大な人物と出会うと人間が活性化できる”と語る栄一は、各界の人間から生きた情報を仕入れ、さらにそれを分析して活用する鋭い感覚を養っていった。そして、乞われれば乞われるままに包み隠さず自身の体験を明かし、みずからすぐれた情報の発信者ともなって、人脈の輪をより一層ひろげていった。汲めども尽きぬ新鮮な情報の泉――それが人間渋沢栄一だったのである。」

社会が私を信じ、援助してくれたからであって、私一個の力ではない

「栄一が九十一年の生涯のうちに携わった役職は、実業・経済関係が五百、公共・社会事業関係は六百にのぼったと言われる。だが、これだけの仕事をこなしつつも、本人は蓄財して財閥を築くことを潔し(いさぎよし)とはしなかった。保有する株式の運用管理のために同族会を組織してはいるが、自分が関係する会社に対しては、総発行数の五㌫以上の株は持たないという原則をたて、みずからを厳しく律している。」

「私自身では大いなる富を造ることはできなかったが、実業方面においては、その進歩に相当の力を添えたと申し得るつもりである。しかしこれは私自身に資本があったためでなく、社会が私を信じ、私を援助してくださったからであって、決して私一個の力ではないのである。」(青淵回顧録)「日本ビジネス界の偉大な先人の言葉を、今こそ、重く深く受け止めてみたい。」

著者の古川順弘さんはあとがきで次のように述べている。「ただ過去の偉人として称揚するだけではつまらない。彼の言葉は、まさに彼が愛読した論語のように、時代を超え、現代にも通じる、実用的な教えや警句にあふれている。本書をきっかけに渋沢栄一に関心を深めていただければ幸いである。」

この本は平成22年3月(2010年)発行の物です。令和元年の今、一万円札に渋沢栄一が印刷される。改めて偉大な足跡を読む時に、新たな歴史の一歩が始まる期待感でいっぱいである。

(文:横須賀 健治)

 

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