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2019年12月 三ツ池だより 「詩を100日続ける」

by staff on 2019/12/10, 火曜日
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詩を100日続けて作っていくことを突然思い立った。
それは「お気使いありがとう!」の孫からの返事が飛び込んできたからでもあった。
それを受けてなぜか毎日つづけての100詩づくりを決めたのだった。

 「路端に」
いつも歩いている道に
いつもの人が花を咲かせている
  ありがとうございます
  嬉しいですね
ただ歩いている道に
ただ植えているだけなのかもしれないのに
  ありがとうございます
  嬉しいですね
道に色がついている
道に喜びが跳ねている
  ありがとう
  うれしいね

10日目には次の詩を書いている。悩む前に実行することだと思っている。続けていくことだと思っている。

 「悩む」
悩みを考えて
悩むのだと思った
考えるのでなく
出会いなのではないかと
  花を考えて
  花を感じることだと思った
  見えるのでなく
  見えた感じなのだ
人は歩いている
人は少し止まっている
歩くのも止るのも
現象なのだ
  そこに私がいるのでなく
  今ここに私がいるのだ
  居るということは
  歩くことであり止まっていることである
ここを歩いている
目的をもって
止まっていることもある
必要があってのことだ

詩を書き始めて15日になる。詩が浮かんでくるから書き取るのではなく、100日続けていくために書いている。難しさを感じる。詩とは何なのかとふと思う。詩は言と寺の合成語である。言葉を土の上に収めると考えると、今一度詩との向き合いを考えていくことになる。20年前の詩を見てみる。

 「あるがまま」
山は山であって欲しい
海は海であって欲しい
  己は己であって欲しい
  おぬしはおぬしであって欲しい
無理をせず
我慢せず
  あるがままに
  ゆったりとしておれる
山は山、海は海
山も海もひとつになる
  あるがままの姿という
  強い己でありたい

その頃入院することがあって、順調に回復してきていての詩がある。

 「私は動いている」
今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
雲は動き知らぬ間に形を変える
  日にてらされて
  吾は生きてる
我も又
知らぬ間に動き形をかえるのか

元気に働きだしての詩である。俳句を作りながら、ふっと詩を書くことがほんとにたまにあった。

 「静かな朝に」
雪の白さの向こうに
日の出が見える
橙色に地平をして
明るくなってくる
  今日に感謝
  あなたに
  家族に
  日本中に
しずかな朝に
湧きあがるのは
今何をしようとしているのか
課題をおいかけるだけでいいのか
  大地を白くそめてくれた
  大自然に感謝し
  鳥の囀りのなかに
  やすらかな朝をめでる
詩が欲しい
詩が私の頭のなかにある
おりてきてほしい
大丈夫と言ってほしい
  経済の中に生きていて
  明日を見とおせない時
  だから詩に頼るのではなく
  詩と共に生み出すのだ
炎のようでなくていい
おだやかな魂のほとばり
詩から発せられるものを
安らかに受け止めて生きていく

坂村真民さんの詩に「タンポポ魂」がある。

踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

この詩に何度元気づけられたか!そしてこの詩に出会う本「生きてゆく力がなくなる時」には30年前に出会ったのであった。今改めて詩の100日に取り組んでいるのは不思議なことである。

 

Photos

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(文・写真:横須賀 健治)

 

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