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【新年のご挨拶】
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

明治34年(1901年)創業のお米屋さん「伊藤米店」の伊藤雄二・直美さん

by staff on 2020/1/10, 金曜日

 

伊藤雄二・直美さんご夫婦
伊藤雄二さん
 
お名前 伊藤雄二・直美(いとうゆうじ・なおみ)
おとし 50歳代後半
お住まい 横浜市南区
趣味 雄二さん:日曜大工
直美さん:お笑い番組を観て大笑いすること
Facebook https://www.facebook.com/0141hamanokome/
Instagram #伊藤米店ハッシュタグ

 

先代から米店を継がれるまでのことを教えて下さい。

 雄二さん

私どもの店は明治34年(1901年)にこの場所で創業しました。初代は三重県伊勢出身の曾祖父で、横浜に来て丁稚奉公のあと独立して店を開きました。当初は粉やうどんを扱っていたようですが、間もなく米店を営むようになり、祖父、父、そして私と四代に渡って一世紀以上米屋を営んできました。父は当然のように私がこの店を継ぐものと考えていましたし、私も大学生の頃から配達などを手伝っておりました。大学を卒業してすぐ家業に専念することになりましたが、苦労もいろいろありました。昔は代金をつけにされることも少なくなく、その集金の時などは結構大変でした。そして、父から私が引き継ぐ頃には、米店を取り巻く状況は父の頃とはずいぶん変わってしまいました。

伊藤米店全景

どんな変化があったのでしょうか。また、どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。

 雄二さん

食生活がパンやパスタなど多様化して米離れが起きましたし、そもそも世帯の人数が減ったので、消費量も減ってしまいました。そのほかに、私はインターネットの普及も大きいと思います。わざわざお店まで買いにいかなくても、ネットで購入できる時代になり、買い物の仕方自体が変わってきました。昔は店頭に米袋を重ねて売っていましたが、今はそういう事もなくなりました。平成5年頃、冷夏で米が不足した時は、お客さんが店に殺到された時期もありましたが、それ以降は一気に減ってしまいました。そもそも米屋は商店街の真ん中のようなお客の多い場所にはあまりありません。かつて主食の米は価格や供給などが国の管理下にありましたので、立地の良い場所でなくてもやって来れたのかもしれません。守られた環境の中にいた面もあると思います。

そんな状況を何とかしようと、いろいろ試みはしてきました。銘柄米だけではなく、各銘柄をブレンドした“四代目伊藤の米”といううち独自の商品を販売しています。これは、先代がお坊さんの托鉢の米はいろいろな家の米が混じっていて美味しいと言っていたことをヒントにして創り出しました。また、新潟県中魚沼郡津南町のグリーンアース津南の代表をされている桑原健太郎さんの米も販売しています。この方は多くの賞を受賞されているとても有名な米農家さんですが、粘り強くお願いしてようやく販売することができるようになりました。そのほか、地元の野菜や卵を置くなどいろいろ工夫してきました。ですが、ここまでやって来れたのは、何と言っても“女房と二人だから”だと思います。

ブレンド米

奥様と二人三脚でやってこられたことが大きいのですね。奥様は、三代続く米店に嫁がれた時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。そもそもの馴れ初めも含めてお話いただけますでしょうか。

 直美さん

私は大阪で生まれ、東京、大阪、千葉と転勤するサラリーマンの家庭に育ちました。高校、大学と剣道をやりながら体育教師を目指しておりましたが、たまたま大学の剣道部で主人と知り合ったのが縁で一緒になりました。

米屋に嫁ぐことには、家族の反対もありましたが、当時は若かったのですね。 “何とかなる!” とそれを押し切って一緒になりました。が、嫁いで一日目で、 “少し違うかな?” と思いました(笑)。先代のお義父さんは自分の考えをしっかり持っておられる方でしたので、正直、いろいろ苦労はありました。辛くて、外に出て働きたいと思ったこともありましたが、主人と一緒に、何とか乗り越えてきました。そして、先代が引退されてお店の経営が私たちに引き継がれ、それからは、主人と一緒に試行錯誤しながらやってきました。頑張ってきたというより、その時々の水に慣らしながらやってきた感じです。

お店の雰囲気がおしゃれで、商品のパッケージなども工夫されていますね。また、お店に隣接する建物や蔵を若者達に貸し出され、カフェとして活用されているようですが。

 直美さん

結婚前、就職情報を提供する会社に勤めていた時期がありまして、その時の経験が今生きている気がします。ブレンド米“四代目伊藤の米”というネーミングやラベルのデザインなどにも、取組みました。炊いた時の粘り気が異なる3種類のブレンド米を主人が考え、私がそれぞれ「苗」「俵」「蔵」と名付けました。手軽に味わっていただけるよう、2合ずつ小分けにした利き酒ならぬ“利き米”セットを作ったり、おにぎりの販売も始めました。それと、お店の暖簾は、よく皆さんから「素敵ですね!」と言われますが、実は伊勢の「赤福」の暖簾を作られたお店にお願いして作っていただいたものなんです。

カフェは、使われなくなっていた敷地内の建物を主人が何とか活用できないかと思っていたところ、ある日突然、3人の若者がやってきまして「音楽事務所兼カフェをやりたいので、是非貸してほしい」と言われ、正直ビックリしました。彼らは、自分たちでリフォームをしてカフェに改装し、1年ほど前にオープンしました。毎週、金・土・日・月の午後を基本として営業しています。

余談ですが、最初に現れた3人の若者のうちの1人は、佐藤嘉風さんといって、先日、NHKで放送され話題となっている「AIでよみがえる美空ひばり」で“新曲”として発表された「あれから」を作曲された人なんですよ。おかげで最近はカフェの帰りにお店に寄って、お米を買っていってくれる若者もいるんです。若者達に元気づけられています。

そして、もともとスマホも使ったこともなかった私ですが、2年くらい前からインスタグラムやフェイスブックで積極的に情報発信するようにしました。すると反響が大きくて驚きました。それで毎日、写真や記事をアップすることを自分に課しています。それを見て、お米の注文が入ることもあります。

何だかここにきて、急にパーッといろいろな事が広がっていく感じがしています。主人からは、先々も見通して、店じまいも考えるように言われていましたが、今は「米屋を続けたい」という想いが強いです。

野菜販売

伊藤米店の四代目としてお店を継がれ、ここまでやってこられた想いや今後のことについてお聞かせください。

 雄二さん

先代まで、女性がお店に立つことはあまりありませんでした。ですが、女房は積極的にお店に出てくれています。夫婦というよりも、「友達」「同志」と言う言葉が合っているかもしれません。

これからも米店の経営は決して楽なものではないと思いますし、とても子供たちにはこの店を継がせられません。

父の頃と比べて、町の様子やそこに住む人たちも大きく変わりましたし、先ほどもお話したとおり、人々の食生活が変わり、ネット社会で買い物の仕方も変わりました。もともと米店は国の管理下で守られてきた面がありますが、もうそういう時代ではありません。最近は自分たちのことやうちの商品のこと知って、いろいろな方が集まってくれるようになりました。たくさんの人たちと信頼関係で結ばれながら、新しい繋がりが広がっていくことを嬉しく思っています。これからも二人で頑張っていきますよ。

のれん

おむすび売場

食べ比べセット

最後に、お二人にとって横浜とは?

 雄二さん

横浜といっても、ここは下町です。気取らずに生活できる町です。おしゃれで、楽しく、何でもある町で、住みやすいです。

 直美さん

結婚して横浜に住むようになり、今や一番長く住む場所になりました。実家に行っても横浜に帰ってくるとホッとしている自分がいて、もう自分の故郷は横浜なんだなと実感しています。

あなたの横浜

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

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