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ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
アメリカンフラワー講師の高原あおいさん

by staff on 2020/8/10, 月曜日

「美しいものに心震わせ感動を覚えることが、幸せの瞬間ということなのかもしれませんね。幸せな気持ちを贈るお手伝いをしたいと思い『ユリシスの夢』を立ち上げました」と熱く語ってくれたのは今月のヨコハマこの人 高原あおいさん です。彼女の作品を見て私も幸せな気持ちになりました。

ユリシスアメリカンフラワー教室主宰 高原あおいさん
ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
高原あおいさん
 
お名前 高原 あおい(たかはら あおい)
お生まれ 1972年
お住まい 横浜市磯子区
ご家族 夫 娘 犬
お仕事 アメリカンフラワー講師
ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
ネットショップ『ユリシスの夢』
イベント等への出店
HP http://flower.uly-dream.com/
趣味 アメリカンフラワー制作
テニス

 

それは偶然の出会いでした

横浜そごうデパートで手工芸品の展示即売会が開かれていました。その会場で偶然出会ったのがアメリカンフラワーでした。(ディップアートとかディップフラワーとも呼ばれています。) ガラスのような繊細さ、透明感のある美しさ…花弁一枚一枚に思いが込められてそれぞれの花が作られていました。展示されていた作品はアメリカンフラワーのエキスパートT先生のもので花々が織りなす色彩の調和やデコレーションに使われているビーズ等のキラキラした感じも素晴らしく、足を止めて見入ってしまいました。展示場の光彩の中でシャボン玉がそのまま花弁になったように輝いて見えました。

どうしても1つ欲しくなり、どれにしようか迷いに迷って様々な質問をしていたら、1時間位お話する中で、「ご自分で作られたらどうですか」とお誘い頂きました。それがT先生との出会いとなりました。私が34歳の時でした。

10年もの間、私がこのアメリカンフラワーを続けて来られたのは、恩師と仰ぐT先生の「高原が上を目指すなら、生徒が高原一人になっても私が責任もって教えるよ」という言葉でした。私の人生を変えた「ひとこと」です。

恩師のT先生とは1年ほどの短いご縁となりましたが、その後、南区でお教室を開いていたF先生にお声をかけて頂き、アメリカンフラワーを引き続き勉強出来ることになりました。

F先生のご指導により、
2012年のトウペディップアート協会作品展にて
カレンダー賞を受賞しました。

アメリカンフラワーを広めたい

アメリカンフラワーとは、ワイヤーで花びらや葉っぱの形の枠を作り、その枠を合成樹脂の液(ディップ液)に浸して表面張力の作用で皮膜を作り、乾いたら、それらのパーツを組み合わせて作る、ガラスのような輝きを持つお花のことです。お花以外にも、蝶々や鳥など、又はアクセサリーなど、様々なものを作ることが出来ます。

ワイヤ-は金や銀の金属色のものや色がコーティングされているものもあり、どのワイヤーを選ぶかによっても仕上がりが違ってきます。ワイヤーを折り曲げたり、反らせたりすることで表情が生まれます。合成樹脂(ディップ液)の原色は28色ありますが、色を混ぜて作ることができるので、色は無限大の広がりがあります。また、クリア液の加減でも透明感が違ってきます。ディップ液から取り出す時の微妙な角度によっても変化を生み出すことができます。仕上げにカラースプレーやビーズ、金粉、アクリル絵の具などを使って変化を楽しむこともできます。

ガラスの様な透明感がアメリカンフラワーの大きな魅力です。

アメリカンフラワーに使う合成樹脂(ディップ液)は株式会社トウペ製のもので、トウペディップアート協会を設立し、アメリカンフラワー界を盛り立てています。

私は今でもF先生の下で様々な花の技術を学び続けています。日々、道端に咲いている花を気に掛けるようになりました。花屋さんを覗いては季節の花々を観察しています。花についての興味は尽きることなく、フラワーアレンジメントも習いました。生け花のこと結婚式のブーケの作法、パーティ会場のテーブルを飾る花のこと、花の美しさを引き出すリボンやラッピングペ―パーのこと・・・学ぶことは沢山ありました。

こうして私の作品も協会の展示会に出品するようになり、大作を手掛けるようになりました。協会の認定が下りて講師として教室が開けるようになりました。 私のお教室『ユリシスアメリカンフラワー教室』のお話は後ほど詳しくご紹介させていただきます。

トウペディップアート協会作品展用アレンジ

活発な女の子でした

私は埼玉県上尾で生まれ、千葉県の真砂で幼少期を過ごしました。保育園では、先生の代わりを務めるほど小さな子達の面倒をみるのが好きでした。女の子とはピンクレディーごっこをしたり、男の子とは砂場でダムつくり等をして遊びました。昼寝が大嫌いな活発な子でした。将来の夢は『保育園の先生』になることでした。

小学生時代は横浜市金沢区に・・・れんげ畑が近くにあって、習い事の『エレクトーン』等が無い日は、お友達と「基地ごっこ」をはじめ、戸外遊びをたくさんしていました。勉強は嫌いでは無かったけれど、音楽と体育が好きで、マーチングバンドではピアニカを吹いていました。本当は目立つ大太鼓やかっこいい小太鼓がやりたかったのですが、6年生でようやくテストに合格した楽器は中太鼓でした(笑) 学校から家までリコーダーを吹きながら帰ったりしていました(笑)

運動では小学6年生の時に市の水泳大会に自由形のリレーで出場したことが良い思い出となっています。

中学校時代も音楽と体育が好きでした。部活動はバレーボール部に入っていました。この頃にちょっと屁理屈をこねるようになりました。「日本人なのになぜ英語を勉強しなければいけないの?」「外国人は日本に来たら日本語を話せばいいじゃない」・・・と英語を毛嫌いしていました。「後悔は先に立たず」のことわざどおり、高校受験では苦労することになりましたが、塾の先生が諦めずに丁寧に教えてくれたおかげで希望していた神奈川県立の高校に進学できました。

子供に教えることが好き・・だけど

高校でも音楽と体育が好きなのは変わらず、体育委員になりました。高校からテニス部に入り、部活では練習に汗をながしつつ、親友5人と青春を謳歌しました。その後の進路は指定校推薦が受けられたので「玉川大学文学部芸術学科児童専修課程」(今はない)に進み幼い頃からの夢だった『保育園の先生』になることに決めました。

大学卒業後は世田谷区で保育士として6年間勤めました。1年目は1歳児のお世話をしました。受け持った乳児3人がいっぺんに泣き出して、なかなか泣き止まず、困ってしまったこともありました。家に仕事を持ち帰ることも多かったです。

結婚してからも数年間は共働きを続けました。保育の仕事は大好きでしたが、自分の子供の子育てがしたいと思っていました。家庭と保育の仕事の両立の難しさを感じ、保育園を辞め、両親の仕事を手伝うようになりました。

ユリシスの夢

ユリシスは、オーストラリアなどに生息する青色が鮮やかな蝶で、見たら幸福になれるという言い伝えがあります。美しいものに心震わせ感動を覚えることが、幸せの瞬間ということなのかもしれません。幸せな気持ちを贈るお手伝いをしたいと思い、ユリシスの名前を付けたネットショップ「ユリシスの夢」を立ち上げました。

「ユリシスの夢」では、着物の帯をリメイクした小物や、「ほっ」とするような温かみの ある手作りの商品をご紹介し販売していました。その関連で、手工芸品の物販展に参加したり、アートフェスタに出かけたりしていた時にそごうデパートの手工芸展でアメリカンフラワーと出合うことになりました。

今はこの「ユリシスの夢」のサイトを使ってアメリカンフラワーもご紹介・販売しています。また、横浜ハンドメイドマルシェやみなとみらいのクイーンモールマーケット等に出店しながら、ギフトにピッタリのお花や季節ごとのアレンジ等を販売したりしています。

2019.10クイーンモールマーケットに出店
たくさんのお客様にご来店頂きました。

アメリカンフラワー教室を身近なところで

私の作品もデパートの手工芸品展や、ビッグサイトのデザインフェスタ等に出店するようになり、お客様に買っていただけるようになって、アメリカンフラワーをもっと広めたいと思うようになりました。「ユリシスアメリカンフラワー教室」のサイトを作り、教室開催にも力を入れるようになりました。

保育園では子供に教えることが好きだったので、その経験を『教室』では生かすことができました。私の教室では樹脂の色は指定せず、好きな色を使って良いことにしています。樹脂の色を混ぜて使ってもかまいません。すると本当に十人十色の作品が生まれます。個性あふれる作品に仕上がるので、生徒さんの作品から学ぶことが多いです。

おかげさまで商店街のイベントや地区センターや施設などのイベントに呼ばれることも増えました。2~3人の集まりにも大きなカバンに色とりどりの樹脂を持って行きます。小さなお子さんから大人の方まで、花びら数枚の簡単なものから幾つかのお花を組み合わせて見栄えのするものまで作ることが出来るアメリカンフラワー。簡単なものなら数分で完成するので、イベント会場でのワークショップにも最適だと思います。

身近な場所でアメリカンフラワーを作りませんか? ご興味がおありになる方は是非お声を掛けてください。

アメリカンフラワー親子講習会
色とりどりのお花を作っています。

アメリカンフラワーで家族の絆?

娘たちが小さい時は夏休みの宿題にアメリカンフラワーを作らせていました。 子供の年齢に合わせて難易度をあげていくことができます。初めのうちは私が主導していたフラワー作りも子供たちが成長するにつれて、「転任する先生に花束を贈りたい」とか「結婚する先生にミニブーケをプレゼントしたい」とか自分たちから提案してくるようになりました。私は34歳から始めたのですが、子供の頃からフラワーに親しんでいる子供たちの成長が楽しみです。まだまだ私の方が上手ですけれどね(笑)

あなたにとっての横浜は?

私にとっての横浜は「いつでも居心地の良いところ」です。里山の自然も残っていますし、海のある景色は好きです。みなとみらい地区は新しい空気が感じられて魅力的です。都市であっても美しい自然がバランスよく残っていることが「心地よさ」になっているのだと思います。子供たちの世代に「居心地の良い横浜」を引き継いでいきたいと思います。

私にとっての横浜は「いつでも居心地の良いところ」です。

(文:高野慈子

 

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