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書評 「人生を豊かに生きる12章」 祥伝社 松原泰道(著)

by staff on 2020/9/10, 木曜日
 
タイトル 人生を豊かに生きる12章
単行本 272ページ
出版社 祥伝社
ISBN-10 4396612931
ISBN-13 978-4396612931
発売日 2007/10/23
購入 人生を豊かに生きる12章

平成19年出版の本に出会った。「おまかせする心で楽になる」と副題がついていました。著者松原泰道さんが満百歳を前に上程された本です。この63年前の昭和19年が私の生れです。表紙カバーの裏をみてなぜかこの本に飛びついてしまいました。

最初に出てくるのが、坂村真民さんの詩でした。
  「年を取ることはいいことだ
  とってみなければ
  わからない世界が
  開けてゆく
  特に今年は
  何だかすべてが
  新鮮だ」
松原さんは「この詩を読んで、私も深く共感しました。」と書かれる。そして「素直に年を取る、素直に病気する、素直に死んでいく。そのように、エゴを出さずに、自然に従っていくことではないかと考えています。」と書かれます。

「希望を失わなければ老いることもない」の処で、サミュエル・ウルマンの詩を紹介し、次のように書かれます。「どんなに年をとっても、“おやっ“と感動することが大切です。たとえば、道端に人に踏まれながらも花が咲いている。そういう何でもないところに驚きを感じて、何かを教えていただこう、学びとって行こうという姿勢です。いつも何かを学ぼうという気持ちを持っていれば、老いてぼけることも少ないだろうと思います。」そしてつぎの話に進みます。非常に徳のある方の話です。「そーっとふすまを開けて覗いてみると老眼鏡をかけて、さらに拡大鏡で小さな本を一生懸命みていらっしゃる。何だろうと思って側へよってみたら、驚いたことに、70歳を越した老人が”コンサイス英和辞典“をひいておられるではありませんか。このお年になって英語の勉強とは・・・とおかしくなって、ついひとり言で”遅すぎたな“と小声でつぶやいたら、それが聞こえてしまいました。」和尚は言ったそうです。「確かに遅すぎた。だけど、死ぬまでに単語を一つ覚えておくと、今度生まれてきたときに勉強が楽だからのう。死ぬまでに単語を覚えつづけるのだ」と。

「“長く”よりも”深く“生きる」の処で、「長命とか短命とかは時間の長さではなく、生き方の深さだと思います。人間はどういう死に方をするかというよりも、どういう生き方をしたかというほうが大事だと考えるからです。その生き方も長さではなく、価値ある、深みのある生き方でなければなりません。そのために、やはり丹精という生き方が必要だと思います。そのように丹精に丹精を重ねて、長さよりも深い価値ある生き方をしていく。そうすると、自然に年とった顔にも、人生の苦労を経た美しさが現れてくるものです。」

「人間関係に疲れたときにどうすればよいか」という処で「人生の中で行きづまりを感じることはよくあることですが、行きづまりを嘆く必要はなくて、行きづまったらこれは必ず先が開ける前兆だと思って、逃げずに、もだえるときにもだえぬいていくと、何でもないことの中から神の声を聞くことが出来るのだと思います。」「人間関係に疲れても、そこから逃げてしまわずに、何かを学ぼうと思って一歩外へ出てみることです。そうすれば、必ず何か得るところがあるはずです。」そして次のように続けられます。「嫌いなものを食べ続けていくことによって、いつの間にかそれがすきなものになり、自分の滋養になります。嫌いな人に出会っても、好きという気持ちを持ってつき合っていけば、必ずその人の良さがわかってきます。あの人から何かを学ぼう、何かを得ようという尊敬の気持ちで突っ込んでいけば、やはり向こうにも感ずることがあって、赤の他人でもこちらへ行為をもってくれることが多いのではないでしょうか。」

「いじめを克服するために必要な“報福”の心とは」の処で、江戸時代後期の学者、七歳の頃失明し、江戸へでて鍼や按摩、の指導をうけたのですが、いくら学んでも技術を習得できなかった塙保己一の話が出てきます。「保己一は若い頃、ある国文学者から、大事業を成そうと思うなら神仏の加護を得なければ成功しないといわれたので、たまたま天神様を信仰することになります。」ある大雪の日、平河天神へおまいりするために歩いていたところ、高下駄の鼻緒が切れてしまいました。平河天神の前にあった前川版木店という、現在の出版業の店に行って、ひもの切れ端をくれませんかと頼みました。「当時の通貨は穴開き銭だったので、多くの商店ではその穴にひもを通して店先につり下げてありました。版木店のいたずら盛りの小僧たちは、まだ使用していないつり下げひもを、手渡しせずに雪の中にぽいっと放って“あそこにあるから拾え”と言いました。それを保己一が一生懸命に探すのです。盲目の人が雪の上で、見当違いに探しまわるのを面白がって、小僧たちは手を叩いてはやします。保己一は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、鼻緒の切れた下駄を下げ、はだしで帰りました。

それから何十年かたって、江戸幕府の援助もあって、“群書類従”が完成し、いよいよ出版というときになって、どこに出版させようかという評議になりましたが、容易に決まりません。そのときに、保己一が遠慮がちに“私も推薦申し上げたい出版店がある”と発言すると、幕臣たちが“塙先生がおっしゃるなら”といって決まったのが、平河天神前の前川版木店だったのです。」版木店の主人が恐縮して、店の小僧の無礼を詫びると、保己一は「いいえ、そのおかげで今日の私があるのですから」と丁寧に感謝するのでした。
「自分の受けたいじめをプラスにして、自分も成長して相手も救う。そしてそれが世の中に役立っていくのです。そういうプラス思考で、私はこの“報復から報福へ”という言葉を使っています。」

「いちばん近くの“めぐりあい“」から「破れ鍋に綴じ蓋の関係」<,br />
このことわざには二通りの意味があります。ひとつは、どんな人にも、その人にとってふさわしい連れ合いがいるものだということ、もうひとつは、縁のかけた鍋と修理した蓋がぴったり合うというように、両方とも欠点があることで、逆にうまくいくという意味です。「結婚する当初においてはマイナスもあり、欠陥もある人間が一緒になって、人間完成に努力するのであって、」最初から完全な夫婦ではないということを、まず意識することが大切です。そして、互いに破れ鍋となり、綴じ蓋となって、相手の欠点をみとめながら、それをカバーして助け合っていくことです。夫婦愛というものは、そこから生まれるものではないでしょうか。」

「“組織”は歯車ではなく網の目である」の処で「組織という熟語は”組む“”織る“から成り立っています。”組む“は組み立てること、”織る“は織りなすことです。」熊本城の堀の石垣の話が出てきます。石垣の中にまるい石臼があります。出すものがなくて供出したのか、石臼というと粉を挽くまるいものです。まるい石を組むのはずいぶん骨が折れたろうと思いますが、石臼の周囲に細かい石を入れて、上手に組んであります。築城の名手加藤清正の居城だけのことはあります。「現代のキーワードだといわれている共生ですが、いわゆる自然と人間の共生のみならず、宗教と哲学、宗教と科学といったような異質のものが組み合わさり、現在の日本の文化というものがある、そういったことに気づくことが本当の共生になってくるのだと思います。」「他を生かしながら自分も生きる、あるいは自分を生かしながら他を活かしていくというのが組織です。このように考えてみると、組織という字は実にいい字だと私は思います。そこに個と全との関係が見事に表れているからです。」

「組織という網の目」(自分を生かし、他人を活かす知恵)の処から「組織は歯車でなく網の目」そして「目立つべきところと、目立ってはいけないところ」を。組織の「織」は、おりものを表します。織物は縦糸と横糸で織りなされています。布地の横糸は外から見えますが、縦糸は見えません。縦糸が外から見えたら、それは布地が傷んでいる証拠です。「企業でも同じことだと思います。宣伝する方面はやはり目立たなければいけないし、企業の本質というものは、外からうかがいしれないものがある。」「会社の中では、自分がいる意味が感じられないといったようなことがありますが、自分は網の目の一つとか、五番の目の一目であるとか、石垣の中の一個の石であるということ、つまり他を生かしながら自分も生かされて生きていくということが分かってきます。個がなかったら全体は築けませんし、全体はまた個によって保っているものなのです。」

終わりに坂村真民さんの詩を紹介されます。
  「病(やま)いが
  また一つの世界を
  開いてくれた
  草光る」
人はひとりではいきられません。自分の役割を感じ、お互い様の中で生きていきます。自分の役割は何だろうかと考えさせられる時間がありました。ありがとうございました。

(文:横須賀 健治)

 

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