シンポジウム 『ヨコハマ・ドリームを語ろう会』 レポート
『ヨコハマ・ドリームを語ろう会』は平成22年10月20日に横浜市開港記念会館で行われました。主催の神奈川県中小企業家同友会横浜支部の方々、後援のNPO法人経営支援NPOクラブ神奈川チームの方々、横浜国立大学と横浜市立大学の方々等、約110名の方にご参加いただきました。
開港期の横浜で「ヨコハマ・ドリーム」の体現者となった人々の姿に学びながら、今後私たちがいかにして現代の「ヨコハマ・ドリーム」を再現し新たな産業や雇用を創造していくべきか、そのための方策や課題について有益な議論がなされました。
開会 神奈川県中小企業家同友会横浜支部 支部長 佐々木雅一
第1部:基調講演「幕末・明治のヨコハマ・ドリームを検証」
横浜乾物株式会社 取締役会長 斉藤秋造氏
開港当時の横浜には、一旗上げようという高い志を持った若者が全国各地からやってきました。それが「ヨコハマ・ドリーム」であり、出身を問われずに、努力と勤労によって誰もが成功者になれるという気運が横浜にはあったのです。 その礎は、開港以前の江戸時代初期にありました。材木商であった吉田勘兵衛は、人口増加により村民が広い田地を求めていた時期に、12年がかりで入海(現在の横浜市中区・南区)を埋め立てて新田(4代将軍徳川家綱によって吉田新田と名づけられる)を開墾しました。多くの小作人が働けるようになり、雇用創出にも寄与したのです。 |
基調講演での斉藤秋造さん |
また、ペリーの来航を見て世界観を変えた多くの若者たちがいました。日米和親条約を締結し日本を開国に導いた阿部正弘、横浜に来てすぐに、オランダ語を捨てて英語を学び始めたという福沢諭吉、そして吉田松陰や坂本龍馬など志半ばで「ヨコハマ・ドリーム」を体現せずに終わった若者もたくさんいました。中居屋重兵衛は外国人を相手に上質の生糸を売り、大変繁盛しましたが、横浜へ来て2年で行方不明になるという最期を迎えています。その意味でも、横浜は大変多くの人に影響を与えた街でした。
明治初期に生糸の販売で財を成したのが原善三郎です。開港当時は中居屋重兵衛のもとで働いていた原は、生糸の品質を見抜く目に優れ、「亀屋」を創業後は商人のまとめ役として生糸業界全体の向上のために尽力しました。その後は現在の横浜商工会議所の初代会頭にも就任し、市議や国会議員としても活躍しました。
原善三郎の孫娘と結婚し「亀屋」の二代目となったのが原富太郎ですが、彼もまた大卒者を積極的に採用したり海外に出張所を拡大させるなど、優れた経営者でした。また1923年の関東大震災のときには、横浜市のために私財を投じ、自ら先頭に立って復興支援を行っています。
また日本茶の商人だった大谷嘉兵衛は、アメリカから日本茶に対して高い関税がかけられた際に陳情し、その撤廃に寄与しました。私利だけではなく日本茶の品質向上にも取り組み、原善三郎に続いて二代目の横浜商工会議所会頭や国会議員としても尽力しました。
このように歴史をさかのぼって見てみますと、幕末・明治のヨコハマドリームの体現者たちには皆、自分のことだけではなく業界や地域、国全体のために頑張ろうという意気込みが感じられます。まさに私たちの誇りだと感じます。この気風、意気込みをぜひ平成の時代にもついないでいき、新たな「ヨコハマ・ドリーム」を皆さんの手で引き起こしてくれることを願っています。
第2部:パネルディスカッション 「現代のヨコハマ・ドリームを語る」
パネリスト | セグウェイジャパン株式会社 代表取締役社長 大塚寛氏 株式会社新藤 代表取締役社長 藤澤徹氏 横浜国立大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー 講師 船場ひさお氏 |
コーディネーター | 株式会社ともクリエーションズ 代表取締役 渡邊桃伯子氏 |
パネリストのご紹介
渡邊:これからお話しいただくパネリストのみなさんは、それぞれに横浜に対する思いやご自身の経営哲学をしっかりと持ったうえで、ここから世界に向かって情報を発信していこうとしている方々です。まずは自己紹介と、お仕事の内容についてお聞かせください。
大塚:セグウェイジャパンの大塚です。先日イギリスで起きたオーナーの事故で世間をお騒がせしておりますが、まだ真相が分かっていません。本日は安全性を立証したいので、僕が実際にこの場で乗らせていただきたいと思います(笑)。 |
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藤澤:株式会社新藤の藤澤です。オーガニックコットンを使った自社製品を販売しており、現在は横浜に2店舗、東京に3店舗を展開しています。会社は来期で50周年を迎えます。 |
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繊維製品については、有機の綿花を使うことはもちろんのこと、工業生産のプロセスもきちんと認証された方法でなければいけません。しかし日本の場合はこの部分が曖昧です。私たちは綿花の栽培から生産工程まで正式な認証を取得しており、全ての製品に確かな品質を保証することを信念にしています。
船場:横浜国立大学の船場です。生まれは栃木です。大学に関わって3年、それまでは会社勤めをしていました。 |
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横浜には大学がたくさんありますが、学生と出会ったり、大学で何をやっているのかについてお知りになる機会はあまりないのではないでしょうか。私たちが行っているのは、起業を目指す大学院生たちをサポートする授業が中心です。具体的には創業者の方にお話を伺う企業訪問や、単なる就業体験では終わらない210時間の長期インターンシップなどを行っています。
ヨコハマ・ドリームとは?
渡邊:それでは一つめのテーマとして、みなさんがお考えになる「ヨコハマ・ドリーム」についてお話しいただきたいと思います。これまで横浜でお仕事をされてきたなかで“これがヨコハマ・ドリームなのではないか”とお感じになったことはありますか。 大塚:僕は以前はスーパーコンピュータの会社におりましたが、未来のあるロボット産業を興したいと思い起業しました。モノを売るのではなく、コトを生む会社を創りたかったのです。様々な文化が発祥してきたこの横浜で、次なる輸送手段としての日本らしいサービスを生み出したいと思いました。 |
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ロボットは人の代わりになるものではなく、人を援助するものです。そのしくみを補うサービスを横浜から提供していきたいと考えました。
しかしこの2年間行政とのやりとりを続けていますが、なかなか関係を構築することができません。若い人の産業的クリエイティブを、もっと行政は後押しすべきだと感じています。“東京にあるモノが横浜にもある”というだけでは寂しいです。僕は人をコーディネートすることで環境にも優しい文化を横浜から始めたい。
しかしセグウェイを導入した特区が、横浜よりも先につくばでできてしまったのが現状です…。
藤澤:このディスカッションのお話をいただいた時に、私は一度無理ですお断りしました。どうしても「ヨコハマ・ドリーム」の実感が湧かなかったからです。現在の経済状況を考えると、簡単に「希望がある」とは言えない気がしました。雇用を生み出すということよりも、今ある雇用を守り抜くことで精一杯だからです。ですから壁にぶつかりながらも、社員と会議で議論し合います。そうすることで道が見えてくるんですね。
父から会社を引き継いだときは、非常に苦しい経営状況でした。それまでは和装小物を扱うお店を経営していましたが、会社を立て直すためにオーガニックコットンを始めました。
以前ベトナム戦争で使われた枯葉剤に対する抗議運動をしておりまして、環境問題について勉強していました。化学製品を使わずに有機の状態を保つことで、自然の生態系は維持され命をつなぐことができます。それに直結しているからこそ、オーガニックコットンを扱おうと思い現在に至ります。
船場:横浜国立大学は、地方から「横浜に行きたい!」というドリームを持って出てくる若者が多いですが、いざ入学してみると山の中なので港のイメージとは違ったと感じる学生が多いようです。しかし意外と居心地がいいので、いつの間にか入学当初に抱いていたドリームを眠らせてしまうため、それをたたき起こすことが私の使命だと思っています。
インターネットで得られる情報が全てだと思っている学生には、実際に人と会うことが大切であると伝えています。そうやってインターンシップに送り出してあげると、みんなびっくりするくらい大人びて帰ってきます。
大学には私のように社会経験の長い職員が少ないことが気がかりです。現在は大企業に入ったから順風満帆と言える世の中ではありません。ぜひ学生たちには強くなってもらい、起業などの違う活路があるということに気づき、世界に向かっていけるようサポートしていきたいと思っています。
ヨコハマドリームを具現化するために必要なこと,足りないこと
渡邊:それではどうすれば私たちが「ヨコハマ・ドリーム」を実現できるのかを、次のテーマにしたいと思います。具現化するために今必要なこと、足りないことは何だとお考えになりますか。
大塚:あきらめずに言い続けることです。法改正をしたいと言うと99%は無理だという反応がきます。つくば市では特区ができましたが、規制緩和はまだまだ進んでいません。それでも経営者が言い続けることが必要です。
雇用創出に関しては、帯広での事例ですが、歩くトレッキングツアーにセグウェイを導入したところ年に30人だったお客さまが3年間で?2000人に増えたということがありました。観光客が増えるとお土産を買う人が増えるので、その場をよくしようと地元の方々が集まり多くの雇用が生まれています。
良いロケーションに対しては、セグウェイはもちろんですが歩いたり自転車を使ったりすることで、ゆっくりと通り過ぎることが経済効果を生み出します。車で通り過ぎるのは一番最悪ですね。今後も「近距離移動を見直す」ということを言い続けていきたいと思います。
藤澤:創業から50年、なんとかやってきましたから、今後の50年をどうするかがテーマです。今年の9月に青山に路面店を出しました。百貨店に出していましたら、そちら側の都合で売り場を減らされることが何度もあり、その度に従業員はどうするのかという問題に直面したからです。会社の都合で従業員を切ることはしたくありません。ですからなんとしても青山の路面店を成功させるため、最低でも3年間は頑張りたいと思います。雇用の継続が何よりも大切なのであって、事業が発展すれば結果的に雇用を増やす方向に向かっていくのだと思います。
また衣食住について安心、安全、健康的な生活が営めるような社会作りにも貢献していきたいです。すでに様々なフェスタも行われていますが、農業×工業×商売をオーガニックの観点から広げていきたいです。
船場:授業で学生にビジネスプランを作らせると、「お金儲け」という発想は出てきません。常に環境や子育てなどいかに自分が社会のために貢献できるのかを第一に考えていますし、そこに魅力を感じている学生ばかりです。
また留学生も非常に多いのですが、みんな日本語が上手で、横浜に馴染んでいて、横浜で学んだことを自分の国に持って帰ろうと一生懸命です。そうすれば、その横浜で学んだ知識や技術によって世界中で雇用が生まれることになります。日本だけではなく世界の雇用まで考えていかなければならないのだと感じています。
質疑応答
Q.横浜市立大学 出光氏:私は大学で入学前の学生を相手にしており、毎日ドリームと接しているので「ヨコハマ・ドリーム=職業そのもの」だと思いました。
大塚さんのお話で行政との関係にご苦労なさっているということで、大学も独法化されてはおりますが、なるほどと感じた部分もあります。その点について詳しく教えてください。
大塚:横浜市は367万人都市でサイズが大きいから、何かを変えようと思っても時間がかかると言われてしまいます。さらにイエスでもノーでもない反応が返ってきて、特区申請をするにしても今あるフォーマットを押し付けられるだけで、中身の話が進みません。では、変えるためにはどうすればいいのかを、一番僕たちが知りたいと思っているのですが・・・。なかなか具体的な答えが返ってこないのでもどかしいです。
Q.横浜国立大学 大学院生 上野氏:今回のお話を伺って、挑戦する気持ちを持って社会に出て行くことがとても大切だと感じました。そのための社会のしくみが、横浜を拠点として生まれてくれたらいいと思います。僕もこれから社会に出ようとしている人間ですので、それまでにやるべきことについてアドバイスをいただけますでしょうか。
藤澤:どんな職についてもいいですが、まずは一生懸命やってください。そうすれば必ずサポートしてくれる人が現れるので、その人にとって必要な存在になってください。そのためには人の3倍働いて仕事の密度と質を向上させる、それを3年続けてほしいです。労働は創造です。おもしろくなるまでやってください。
大塚:ビジネスは生ものです。常に変化しますから、まずは感性を磨くことが必要です。僕の場合は通勤電車の中吊り広告でした。不況になれば消費者金融の広告が増えるなど、広告は経済情勢をうまくとらえています。自分なりの感性を磨く場を、自分で見つけてもらいたいです。
そして熱意が大切です。やりたいことがあり誰かに物事を依頼するときには、何度断られてもしっかり目を見て説明する。熱意を伝える。この二つは昔から変わらない大切なことだと思います。
Q.横浜国立大学 周佐氏:学生を教えていて、真面目であるがゆえに問題だと感じることが二つあります。一つは今ある能力でできることを厳密に考えてしまい、将来はできるようになるかもしれないことに対して今努力をしてみようとする発想が足りないこと。もう一つは、「できる」と言われて育った子が多いので何でも一人でやりたがり、人の助けを借りて自分だけではできないところまで手を広げていこうとはしたがらないことです。そのような学生たちへの対応について、よいお考えがありましたら教えてください。
大塚:採用活動をしていると学歴が高い人ばかりですが、本人のコアを大事にしたいのでそこはあまり見ないようにしています。若い人には自分のコアをどう確立していくのかを、全部教える必要はありませんが、少しずつヒントを与えながら見せて育てていくことが大切だと思います。
藤澤:真面目であることはとてもいいことだと思います。私は大好きです。真面目であっても個性もあるし、それぞれいいなと思います。思わぬところで存在感を出してくれることもあります。そのままでいいんじゃないかと思いますよ。
Q.中小企業家同友会相模原支部 西田氏:私は関西出身なので「神奈川=横浜」のイメージがありとても横浜に憧れています。横浜の持つブランド力をビジネス上でもより活かせるのではないかと感じていますが、いかがでしょうか。
船場:横浜というとイメージが港の周辺に偏ってしまいます。もっといろいろな横浜の顔を出していってもいいのではないかと思います。
藤澤:「Yes ‘89横浜博覧会」は横浜を世界へという趣旨でしたが、20年が経った現在は「横浜だから」といって世界で通用するわけではありません。使えるものは使って、そのうえで横浜で何を作るのか、中身の問題だと思います。
大塚:151年前の開港以来多くの発祥がありますから、とにかく「横浜発」と言い続けること。洗脳です。環境モデル都市といっても現状はまだ準備段階ですが、経営者が言い続けることでスパイラルが生まれ、一つひとつの点が線になっていくのだと思います。
Q.NPO法人経営支援NPOクラブ神奈川チーム 渡邉氏:私たちの団体では中小企業の経営支援を行っていますが、モノやサービスが先にできてしまってから、ではどうやって売ったらいいのかという相談をされる方がとても多いです。今回のお話を聞き、やはり人に求められるものを創っていかなければならないのだと改めて学ばせていただきました。
渡邊)ありがとうございました。今日お話しいただいたことの全てが「ヨコハマ・ドリーム」であり、パネラーや会場の皆さまそれぞれが「ヨコハマ・ドリーム」を持っていらっしゃることが伝わってくる、素晴らしいディスカッションだったと思います。お話を伺いながら、「ヨコハマ・ドリーム」を実現させていくための勇気が湧いてきました。本日はありがとうございました。
インターネットTVヨコハマ象の鼻ステーションで映像配信
シンポジウムでは、インターネットTVヨコハマ象の鼻ステーションがビデオ撮影を行いました。シンポジウムの模様は、ヨコハマ象の鼻ステーションのウェブサイトで映像配信しております。
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