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「近代地図に見る東海道と三宿」を読み解く(神奈川宿編)。横浜都市研究会 石黒徹さん

by staff on 2011/1/10, 月曜日

イントロダクション

 江戸幕府により慶長6年(1601)に、江戸~京都間の東海道に伝馬の制が布かれ、現在の横浜市内には神奈川・保土ヶ谷・戸塚の各宿が設置された。

 この近世の東海道と宿場は、江戸幕府の道中奉行が18世紀から19世紀初頭にかけて実地調査により作成した「東海道分間延絵図」や歌川廣重や葛飾北斎の浮世絵などに描かれ、街道筋の景観、人々の行き交う様、宿場の風俗などを私たちに伝えてくれる。

 しかし、これらの貴重な資料はビジュアルではあるが、当時描かれた事物を現在の場所との地理的位置を割り出すことは、都市化で景観が一変してしまった現在は非常に困難なことになっている。

 そこで、分かり易く精確に地理的位置を把握するため、近代測量の成果である地形図の中に、横浜市域の東海道と神奈川・保土ヶ谷・戸塚の三宿を読むこととした。資料とした地形図は、まず「第一師管地方迅速測図原図」(以下「迅速図原図」)である。

 この迅速図原図は明治13年(1880)から同19年にかけてほぼ関東一円を測図した縮図二万分の一の地図である。今回掲載した迅速図原図は同14年から15年にかけて測量されたもので、近世後期の面影を色濃く残す貴重な資料である。

 この迅速測図原図には、その図郭の外側には軍事的観点から河の渡河横断面や坂の縦断面などの図に加えて、それぞれの図葉を代表する景観や

 
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国土地理院の所蔵

構造物のスケッチ(視図)が描かれている。このスケッチを現在の地形図と比較ことで近世の”失われた景観”も読み取ることができる。

 なお、現在の地形図としては国土地理院から発行されている最新の縮尺二万五千分の一地形図を使用した。

 

神奈川宿

 神奈川宿は、日本橋を出て品川・川崎に次ぐ3番目の宿場で、慶長6年(1601)に成立している。日本橋からは7里、川崎宿からは2里18町(1里は約4キロ、1町は約109メートル)の距離にあった。神奈川宿は神奈川町、青木町から構成され、宿内の町並みの延長は18町29間(1間は約1.8メートル)であった。

 また、神奈川宿は中世以来の湊(みなと)であった神奈川湊があり、陸上だけでなく水運の中継点としてもにぎわい、東海道の宿場としても有数の規模を誇っていた。

 迅速測図原図に描かれた神奈川宿周辺は、保土ヶ谷・戸塚両宿周辺と比べれば、幕末から明治初期にかけても変化の激しかった地域である。

 地図上に見る大きな変化としては、万延元年(1860)、松山藩によって築造された神奈川砲台(神奈川台場)と明治5年(1872)9月に開通した新橋・横浜間の鉄道敷設、神奈川停車場の設置などがあげられる。

 しかし、このような変化がある中でも、東海道の生麦付近を見ると、「東海道分間延絵図」に描かれている松並木が、まだ約500メートルにわたって残っており、近世後期の東海道の景観を確認することができる。

 この松並木の辺りで文久2年(1862)、イギリス人リチャードソンが殺害された生麦事件が起きている。現在の地形図上に、国道15号と旧東海道が合流する位置に表示されている生麦事件碑は、迅速図の測量の翌年、明治16年(1883)にこの地に建立されたものである。

 迅速測図原図に描かれた東海道の内陸側は、近世後期の景観がそのままで、平坦な地形は水田を中心に一部が畑として耕作されている様子や、農業水利が悪かったのか、大小のため池が比較的多く存在していることが読み取れる。

 東海道の海側は、海岸線から沖合い500メートル程度まで砂洲が描かれ、その後の京浜工業地帯造成につながる埋め立てやすい遠浅の海であったことを示している。

 迅速測図原図を測量した1882年(明治15)以降、同38年に京浜電鉄の品川(現北品川)・神奈川間、1908年(明治41)9月、横浜鉄道の東神奈川・八王子間が開通、その3年後には臨港貨物線として海神奈川まで延長している。この延長区間では東海道と平面交叉し、その処理は電動門扉・引戸式で対応していた。東海道の交通が立往生する状況は海神奈川までの延長線が1959年(昭和34)4月に廃止されるまで続いた。なお横浜鉄道は1917年(大正6)に国有化された。

 
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 さらに1926年(大正15)2月、東横電鉄の丸子多摩川・神奈川(現在廃止)が開通し、神奈川は現在の横浜駅ができるまで、横浜における一大交通結節点としての様相を呈していた。

 近世の東海道の幅員は、3間から4間程度であった。そのため、京浜間の道路改良が計画され、大正15年に震災復興事業の一環として神奈川付近は27メートルから33メートルに拡幅整備された。その後も戦災復興区画整理事業などによる街の再整備に合わせて拡幅整備が行われており、旧東海道は一部を残しその面影はない。

 しかし、歴史を生かした街づくりの視点から、神奈川区では「神奈川宿歴史の道」として、歴史や伝説を残す要所にガイド・パネルを設けるとともに、景観整備と道づくりを行い埋もれた遺産に新たな光を当てている。

参考資料:東海道(田中好・和田篤憲著、好文館書店 昭和13年4月発行)
注:本稿は横浜市発行の「市民グラフ ヨコハマNo.97 横浜近世の九街道をゆく」(1996.09発行)に掲載した「近代地図に見る東海道と三宿」を基に加筆修正したものです。

 

石黒 徹 プロフィール

石黒徹(いしぐろ とおる)

1948年横浜生れ。ライフワークとして横浜の都市形成史を研究。研究資料として文献とともに都市空間を読む最適な資料として都市図、都市計画図等の地図資料や絵葉書等の資料を収集。

東海道に関係する編著作

  • 横浜の都市形成と地図:清水靖夫・石黒徹編『明治前期・昭和前期 横浜都市地図』 柏書房(1995)
  • 近代地図に見る東海道と三宿:市民グラフ ヨコハマ第97号『横浜近世九街道を行く』 横浜市市民局(1996)
  石黒徹さん

その他共編

  • 港町/横浜の都市形成史:横浜市企画調整局(1981)

 

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