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大文字では表せない小文字の横浜の歴史「裏横浜研究会」
ノンフィクション作家檀原照和さん

by staff on 2011/2/10, 木曜日

2008年3月、BankART Studio NYK で「朗読 甦えるメリケンお濱」というイベントがあった。朗読者は当時37歳の檀原照和さん。その若さに驚いたこと、クールな語り口が却って強烈な印象となって残っている。第10回「ヨコハマこの人」は、横浜裏面史ならこの人檀原さんをご紹介いたします。

檀原照和さん  
名前 檀原照和(だんはらてるかず)さん
出身地 東京
年齢 40歳
現在の住居 横浜市南区
職業 ノンフィクションライター
講演活動、朗読、司会
著書 「ブードゥー大全」
「消えた横浜娼婦たち」
趣味 カヤック
Web Site 「消えた横浜娼婦たち」の事情
夜の種族

 

著書の「消えた横浜娼婦たち」は黄金町が舞台だと知りました。
本のさわりの部分をちょっとお聞かせ願いますか?

 黄金町は内容の一部に過ぎません。〆の部分に相当します。割とよく知られている話ですが、造成当初の横浜には、中心部に外国人専用の遊郭がありました。以来昭和40年代中盤まで、盛り場には外国人専用娼婦がいたのです。

 ところがバブルの時代になると、一転。外国人女性が来日して黄金町で日本の若者相手に娼売するようになります。その大きな流れを追うことで、横浜の街を今までとは違った角度から検証しています。かなり読み応えがあると思いますよ。

 
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著書「消えた横浜娼婦たち 港のマリーの時代を巡って」購入 by amazon

 

なぜ横浜の娼婦だったのですか?

 多くの場合、ノンフィクション作品は、戦争や政変、大きな社会事件といったことを題材にします。あるいは途上国の悲惨さとか環境問題、自然災害を取り上げます。しかしわざわざ戦場や被災地へ行かなくても、事件の渦中にある人物に会わなくても、日常の中に物語の種は埋もれています。バックパッカーになって世界を放浪しなくても、歴史のない新興住宅地や人口5万人の地方都市にも、豊かな物語が眠っているはずです。ですから逆転の発想で、敢えて身近な場所を選んで書いてみたい、という考えがありました。

 前作「ヴードゥー大全」のときは、地球の反対側にあたるカリブ海まで取材に出かけました。しかし、「消えた横浜娼婦たち」に登場する世界は、自宅から自転車で15分圏内で完結しています。もし大阪に住んでいたら大阪の話を、名古屋に住んでいたら名古屋の話にしたでしょうね。

 

そこに娼婦が絡んできたのは?

 僕のイメージしていた横浜は、1980年代初頭の角川映画とか、昭和30年代の日活無国籍映画の世界です。子供の頃、親に連れてこられて見た横浜は、外国人や外車が多くて、映画の世界そのままでした。本牧基地が返還される直前だったと思います。でも、95年に引っ越してきたら、かなりイメージと違う(笑)ので、「昔の映画に出てきたような港町らしい怪しい世界、ひと癖もふた癖もある人物はいないのか」と思っていたところ、例の永登元次郎さん  を知りました。ゲイでシャンソン歌手。若い頃は男娼で生計を立て、そこからはい上がって上品なシャンソンライブハウスを持つまでになった…という人です。日本ビクターからCDも出しています。評論家の平岡正明さんは「横浜のジャン・ジュネ」と呼んでいました。

 その元次郎さんのお宅に何度かお邪魔してお話を聞きました。その時、メリーさんのことを教えて貰ったのです。

 
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「私の話より、メリーさんの話の方がおもしろいわよ。結局、私は成功したけれど、メリーさんは落ちぶれてしまった。その方が題材としていいでしょう」と。

 はじめはメリーさんだけの話だったのですが、調べていくうちに横浜史と絡ませた方がふくらみが出るのだろうな…と考えてああなりました。ただし、あの本は単なる「横浜の娼婦の本」ではありません。「娼婦の話」はつかみで、「いかにも横浜らしい異国情緒」が次第に失われ、街が「薄っぺらい観光地」へと転落していく過程を外国人専門娼婦を切り口にして捉えています。つまり、「メリーさんという娼婦の話」をきっかけに、そこから分け入って街の誕生から娼婦の街の壊滅までを1世紀半の長さに渡って描いた「ほとんど神話的」な物語です。でも、この辺の事情を本の中に書いてしまうと、白けるでしょう?

※永登元次郎:故人 シャンソン歌手 日の出町でシャンソニエ「シャノアール」を経営

 

横浜の娼婦の話というと五大路子さんが演じている「横浜ローザ」が有名ですが・・・

 「五大さんのメリーさん」とは、かなり捉え方が違います。「後出し」という立場ですから、意識して「横浜ローザ」や「ヨコハマメリー」とはかなり違う切り口にしました。たとえば五大さんは「メリーさんは娼婦。化粧や身だしなみにも気を遣ったはず。あの白塗りの白粉は決まった店で買っていたのではないか」と考えて、伊勢佐木町の柳家さんを捜し当てます。

 でも、晩年のメリーさんはホームレスでした。彼女が気にしていたのは化粧や身だしなみよりも、むしろお風呂の心配だったのではないでしょうか。メリーさんは香水の匂いがきつかったという話ですが、それも体臭を気にしてのことだったのではないかという気がします。そういった具合にリアルさにこだわりました。

 五大さんのローザは、終戦後の貧しい時代を乗り越え、最後まで施しを受けずに誇り高く生きた娼婦。僕の書いたメリーさんは、なに不自由なく暮らしていた田舎を離れ、あえて食糧難の都会に移り住むという不可解な過去を持つ女性。故郷の同世代の人達の多くは、海を見ないまま一生を終えてしまう。そんな土地に生まれながら、「港のメリー」と呼ばれるまでになったのは、興味深いと思います。メリーさんの故郷で取材すると、印象は変わりますね。

 僕はメリーさんその人よりも、まわりの人達が勝手に伝説を創りあげてしまう、そのメカニズムに興味を覚えます。たぶん、メリーさんの人生そのものは、どこかで聞いたことがあるようなありきたりの悲劇でしかないのでは。それよりも歴代の外国人専用娼婦と重ね合わせて語られるうちに、巨大なアイコンのようになっていくのがすごいですね。

 メリーさんと対になる存在として「メリケンお浜」を取り上げたのですが、お浜も白塗りで外国人専門の横浜娼婦という共通点があります。メリーさんは盛りを過ぎた娼婦として有名になりました。一方のお浜は新聞にも登場したほどの売れっ子です。お浜の人生を念頭に置くことで、メリーさんの理解に変化が生じると思います。

こういう話が成立するのは横浜ならではでしょう。神戸など他の港町には、ここまで有名な娼婦はいませんから。

 
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東京生まれ、埼玉育ち、そして異国情緒溢れた横浜へと・・・ご自身のストーリをお聞かせください。

 大学時代に東京暮らしを始めました。引っ越しを考えていたとき、当時つきあっていた彼女から「引っ越すなら横浜にして」と言われたのが横浜に来たきっかけの一つです。
最初の半年は山手の地蔵坂にあった外人ハウスにいました。それから根岸森林公園に近い山元町商店街の裏手に移りました。
ちょうどその当時は、舞台活動をしていて、大野一雄、笠井叡、山田せつ子といった先生達のところでダンスを学んだり、劇団にいたこともありました。

 

では、横浜との関わりは、実際に引っ越してきてからになりますか?

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 じつはそうでもないんです。学生時代、田村明という先生のゼミに在籍していました。飛鳥田市長の時代に辣腕をふるった都市プランナーの先駆けです。みなとみらいや高速道路の地下化、ベイブリッジ建設、港北ニュータウンなどといった「六大事業」を中心に、現在の横浜のグランドデザインを立案した人物として知られています。

 僕はあまり熱心な生徒ではなく、横浜に足を運ぶこともありませんでした。ただ、先生から横浜のまちづくりに関する裏話をいくつも聞いていたため、耳年増状態にはなっていましたけど(笑 町を裏側から見るようになったのは、

その辺りのことも関係しているかも知れません。 今になってみると、先生のゼミに在籍していたことは、プラスになっていますね。

 

最近、横浜で注目しているテーマは?

 時代でいうと、大正末期から昭和初期にかけての、いわゆる「モダン横浜」ですね。この時代と昭和30年代が、横浜が一番輝いていた時代だと個人的には考えています。この二つの時代を繋ぐ人物として、大衆作家の北林透馬(きたばやし とうま)に着目していますね。

 彼のことは、生粋のハマッ子であっても70歳以上の方でないと知らないと思います。つまり完全に忘れ去られた存在です。彼の作品は娯楽作が中心なので、読み捨てられています。しかし、生き方がおもしろい。戦中・戦後の知識階級のアキレス腱のような存在とでもいうか、いわゆる「転向者」なのですが、あまりにも日和見主義で節操がない。

 流行の先端を行く「モダンボーイ作家」としてデビュー。戦時中は西洋からの流行を全面否定して、大政翼賛的な作品を書き連ねた挙句、ビルマで軍の放送局の立ち上げと局長就任を経験。戦後は本牧基地の「ビル・チカリン・シアター」の役員に就任…と、その節操のない人物が、「歴史上もっとも横浜らしい作家」といわれている。

 「横浜らしさとは何か」という問題を考えるとき、彼を俎上にあげると議論が白熱するか、完全に黙殺されるかのどちらかでしょうね。年配者にとってあまり触れて欲しくない問題を多分に孕んでいますから。

 

今後のご予定など~次回からヨコハマNOWのコラムを担当されますね。

 連載の一回目をコラムの予告篇にするつもりです。「見過ごされがちな角度から街を見る」ということを象徴する回にしようと思います。ご期待ください。

(紹介者:高野慈子/高野さんの記事を見る

<参考>

ヨコハマNOW関連記事 : 連載コラム 檀原照和の「レッドライト」

 

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